近年ではNHK連続テレビ小説『エール』や、TBSドラマ『最愛』などで印象を残し、映画ファンには『SR サイタマノラッパー』シリーズの頃から、その存在を知られている俳優・奥野瑛太。現在は主演映画『死体の人』が公開中だ。
演じているのは、演じることにかける想いは人一倍強いものの、死体役ばかりをあてがわれている“生きることが苦手で死んだふりは上手”な男。まっすぐな姿が奥野自身にも重なり、これまでの硬派さに柔らかな空気も加わったベストな作品となった。だが奥野自身は、「主人公とは違って、僕には抗えない“埃”みたいなものがある」と話し、最初に草苅勲監督に会った際に「ミスキャストじゃないですか?」と話したとか。しかし同時に、奥野も主人公と同様に「お芝居に恋い焦がれている」と、芝居への片思いを続けていた。
■俳優として立つためにできてしまった「埃」みたいなもの
――『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(12年)以来の主演作です。そのことへの意識はありますか?
ないです。最初に脚本を読んでいたときから、とにかく草苅勲監督の顔が浮かんでいました。その時点では、監督にお会いしていませんでした。これは(俳優経験もある)監督自身のお話だなと思ったので。なので、最初は監督が演じているのを見たいなと思いました。主役ということに関しては、死体を演じている役者の話ですし、主役、主役していないので、そこへの意識はなかったです。
――俳優ということへのシンパシーはありましたか?
僕自身、小劇場からスタートしています。僕の場合はたまたま映像作品に出て、今もこうして続けさせてもらっていますが、立ち位置的にも似たようなところがあると思います。撮影現場あるあるみたいなものも感じました。ただ僕には、主人公の吉田広志や草苅監督のような温かい視点だけじゃない、抗えない「埃」みたいなものがある気がします。俳優として立つために、踏ん張るために自分で燃やさなきゃいけないエネルギーみたいなものが、役柄とはまた違うひねくれたエネルギーになっていくところがあって、それによってできてしまった「埃」がある。そこが吉田広志と僕とは違うと感じました。
――でもその「埃」は役者として積み上げてきたものへの「誇り」でもあるのでは?
広志や監督は、その辺を面白がって笑える温かさや視点があるんですけど。そこの違いを感じてしまったので、実は最初にお会いしたとき「僕ではミスキャストじゃないですか?」とお伝えしました。
――方向が違っていたとしても、そのまっすぐさが、監督から見れば広志と共通していたのではないでしょうか。
とにかく僕からは、広志の作品への関わり方は純粋にすごいと感じました。作品の中でも「夢を追いかけて」という言い方をしていますが、僕はそこに、単純に明るい希望的な意味合いを持っていないので、広志が明るく優しい視点で、自分で「夢」と言えるのはすごいと思います。ただ、近しい部分があるからこそ、「埃」という違いが明確に浮きだって見えたのかもしれません。
■芝居にずっと片思い「楽しいし、好きなんだけど、愛されない」
――奥野さんは日本大学藝術学部映画学科を出られて、小劇場でも活動されてきました。映画ファンに知られるようになったのは、入江悠監督の『SR サイタマノラッパー』シリーズの頃からです。主演を務めた『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』の公開時には26歳ですが、別の道に進もうと迷われたことは?
あまりなかったですね。面白いメンバーも周りにいましたし。でも当時、一緒にやっていたメンバーはほぼほぼ辞めちゃってるので、今続けられている僕はラッキーですね。そういうラッキーが連続しているなとは思います。
――「ここが自分の居場所なんだな」と感じられた瞬間はいつですか?
感じたことはないです。今もお芝居には恋い焦がれているかもしれないですけど。
――お芝居に恋い焦がれている。
はい。恋い焦がれてはいますが、好かれてはいないと思ってます。ここが難しいんですけど。「お芝居をするのは楽しいし、好きなんだけど、愛されないね」というのは、似たようなメンバーで、お酒を飲みながらずっと話してきました。
――その想いは燃やし続けているんですね。
やっているときはやっぱり面白いんです。だから続けたいんです。「でもあの一瞬ができないんだよね」って。ずっとその繰り返しですね。
――俳優さんはそうした気持ちを持ち続けるものなのかもしれませんね。ベテランになっても。本作でもご両親を演じた烏丸せつこさん、きたろうさん、ベテランおふたりとのシーンが特に素晴らしい空気感でした。
そうですね。笑いをこらえるのに必死でした。よく覚えているのが、母親が検査入院した病室で、久しぶりに親子3人で会うシーン。テレビでの広志の出演シーンを見た母親が「顔色悪かったね、大丈夫かい」と言ったセリフに、もともとは広志がツッコミを入れるセリフが入っていたんです。それをきたろうさんが、「このくらいのほうがいいんじゃない?」って本編のようなセリフに変えてくれて。コメディのバランス感覚っていうんですかね。それが素晴らしくて、さすがだなと。監督も「じゃあ、それで」と。実際に僕がそのセリフを言ったら、きたろうさんも笑うのをこらえているし、烏丸さんは実際に笑っちゃって、何度も撮り直すハメになりました(笑)。喜劇と悲劇のバランスをものすごくわかってらっしゃるなと感じました。どのシーンも、おふたりとも百戦錬磨の空気感でした。
――この現場以外で、印象に残っている先輩はいますか?
たくさんいますが、本作に絡めてお話すると、鈴木晋介さん(カンコンキンシアター旗揚げメンバー)とずっと前に共演させていただいた事がありまして、首吊りした後の畳の上に降ろされて横たわってる死体役を演られてました。撮影日は、熱中症になるくらい真夏の暑い日で、その上室内での撮影でしたのでまさにサウナ状態。その中、休憩時間も、みんなが弁当を食べている間も、ずっと死体現場で横たわりながら「どうやったら死ねるか」って考えてたんです。それ見て、「すげーな」と思っちゃって。
――まさに本作の広志と同じ! リアル“死体の人”ですね!
そうなんですよ。すごい、本当に死んでる! と思って。「今…、何考えてるんですか?」と聞いたら、「いや、何を思ったんだろうね……これでこうなって死ぬ……難しいよね。難しいな」って首から切れたロープを垂らしながらずっと死体と向き合ってて。結局その日まる1日をそうやって過ごしていたのを目の当たりにした時「敵わん…」と思いました。鈴木晋介さん、本当に大好きな役者さんです。
――奥野さんは近年、朝ドラ『エール』、人気ドラマ『最愛』の好演でも評判を集めましたが、街中で話しかけられるといった変化はありますか?
ないですよ。全く。仕事が増えたとかもないと思いますし、影響とかあるのかな、ないと思いますよ。あ、一度、サウナで声をかけられました。たまたまテレビで流れてたんですよね。それで出たあとに、おじさんに、「吉高(由里子)ちゃんのお兄ちゃん?」って(笑)。それくらいですね。
――せっかくなので、奥野さんのことをもう少し。小さい頃のことでもいいので、何かちょっとした失敗エピソードなどありますか?
北海道苫小牧の出身で小さな頃からアイスホッケーをずっとやっていて、市の選抜で国際大会に出た事があったんです。順調にチームが勝ち進んで、いよいよ決勝。世界最強のカナダと対戦することになりました。同い年なのにフィジカルの差がでかくて、身長2メートルのムッキムキの黒人の選手とかもいらっしゃって、やっぱ本場は違うなと圧倒されてました。でも僕としては試合で会う前に仲良くなりたいなという、ピュアなチュウボウの人類皆友達精神があって、お近づきのしるしに一芸を披露しようと思って、日本というかアジアに対してのイメージってなんだろうと必死に考えたら、何でかわからないんですけど「少林寺拳法だ!」って思ったんですよね。そこでリー・リンチェイ(ジェット・リー)のマネして合掌から拳を突き立て『ハッ! ハッ! ハッ! ハッハッ!!』ってやったら、すごい人数から怒っていて……英語はあんまりわからなかったんですけど、それはすんごくよくわかりました。
――ああ。
これで平和にはならないのか、と学びました。僕としては、映画は世界共通言語だ!」というお茶目な気持ちだったんですけど、相手からは戦いを挑んでいるように見えてたみたいです。ちょっとズレてたみたいですね。まあ、そういうズレが、自分はいまだに続いているのかなって。そういうメンタリティはあんまり変わってないのかなと思います(笑)
――ありがとうございます(笑)。最後に、ひと言お願いします。
死体の役ばかりをやっている主人公の映画です。ぜひ映画館で観てください。
■奥野瑛太
1986年2月10日生まれ、北海道出身。日本大学芸術学部映画学科に在学中からインディペンデント映画や小劇場で活動。入江悠監督の『SR サイタマノラッパー』(09年)のMC MIGHTY 役で印象を残し、シリーズ3作目『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(12年)で映画初主演を務めた。主な映画出演作に『アルキメデスの大戦』(19年)、『スパイの妻』(20年)、『すばらしき世界』『太陽の子』『空白』(21年)、『グッバイ・クルエル・ワールド』『ラーゲリより愛を込めて』(22年)など多数。近年はNHK連続テレビ小説『エール』(20年)、ドラマ『最愛』(21年)でも話題を集めた。