日本テレビ系ドキュメンタリー番組『NNNドキュメント’22』(毎週日曜24:55~)では、東日本大震災から後悔を胸に刻み今を生きている人たちを追った「あの日の後悔~東日本大震災12年~」(テレビ岩手、ミヤギテレビ、福島中央テレビ制作)を、きょう5日に放送する。

岩手県の沿岸部、震災で当時の人口の約1割にあたる1,200人余が犠牲になった大槌町。かさあげ地に新築した自宅で暮らす、煙山佳成さん(84)は震災当時、町の消防団長を務めていた。あの日、大きな揺れの後、外出先から急いで帰宅、身支度を整えた後、妻に「頼んだぞ」と言い残して、すぐさま海面監視のため海に。やがて町は猛火に包まれ、煙山さんは対策本部で対応に忙殺された。津波で義母と妻、長男が帰らぬ人に。なぜただひと言「逃げろ」言えなかったのか…。消防の仲間14人も犠牲になり、「後悔だけしかない」。

カメラが趣味の煙山さん。自宅には妻が趣味でつくっていた和紙ちぎり絵や自らが撮影した写真を飾るギャラリーコーナーを設けた。こだわりは妻が大好きだった忘れな草の描かれたステンドグラス。陽光を浴びて燦燦と輝く。心に抱えた後悔の念は今…。

宮城県内有数の港町・気仙沼市の鹿折地区で創業103年の酒店を営む菅原文子さん(73)。最愛の夫は目の前で津波に消え、義理の両親も亡くした。それから夫の帰りを待ち続ける日々を送り、震災の1年3か月後に夫の遺体が見つかった。夫が眠っていたのは家族で営んでいた酒店にほど近い解体工事中の市営アパートだった。ふるさとに酒店を再建させ、続けることが亡き夫の願い。しかし、店があった場所はかさ上げされ道路が整備されることになった。仮店舗を転々としながら店の営業を続けた菅原さんは、震災の5年9か月後に鹿折地区の一角で店を再建する。知人からの紹介で借りたその場所は、震災後に夫の遺体が見つかった市営アパートの跡地だった。

まちは復旧、復興工事を終え新たな一歩を踏み出しているが、時の経過とともに家族を失ったあの日の後悔は増すばかりだ。あの日から菅原さんは何を受け入れ、何を支えに生きているのか。

福島第一原発が立地する福島県大熊町の木村紀夫さん(57)は、大津波により父、妻、娘を失った。当時7歳の娘・汐凪ちゃんだけはなかなか見つからず、最初の遺骨発見までに5年9か月の月日が経っていた。「汐凪に大きな地震の後には津波がくるかもしれないと伝えていれば…」――後悔の念を抱きながら、捜索を続けた。木村さんの自宅周辺は、原発事故の影響で立ち入りが規制され、さらに汚染廃棄物を30年保管する「中間貯蔵施設」の建設予定地に指定された。土地を手放す人が多い一方で、娘の捜索を続けることは復興の妨げになっているのでは…木村さんの葛藤が続いた。

しだいに教訓を伝える伝承活動が本格化し、一時、捜索活動から離れるが、沖縄で戦没者の遺骨収集を続ける男性と出会い、木村さんを動かす。昨年1月、捜索を再開すると、奇跡的に子どもの大腿骨が見つかった。「汐凪はここにいる」――そう確信した木村さんは、自宅や発見された場所を後世に残し、語り継いでいきたいと考えている。木村さんがこの12年抱えてきた娘への思い、そして今を生きる人たちへ伝えたいこととは…。