オンライン会議が当たり前になるなど、コロナ禍で改めて脚光を浴びたIT。今後さらに社会のデジタル化が進展するとみられる中、IT業界は「日本で唯一の成長産業」とも言われている。一方で、多重下請け構造やエンジニア不足など、さまざまな課題が表面化しているのも事実だ。IT企業が直面する課題へのソリューションのひとつとして「M&A」がある。
IT業界の現状や、M&Aが解決できる業界の課題について、株式会社日本M&Aセンター 業界再編部 IT業界専門グループ グループリーダーの竹葉聖(たけば きよし)氏に聞いた。
IT業界に特化したM&A支援を手がける
――まずは、竹葉様のご経歴と現在の業務内容についてお聞かせください。
高知県・四万十市で育ち、大学進学を機に上京。大学時代から会計士の勉強を始め、会計士試験合格後は有限責任監査法人トーマツで銀行の監査業務に携わっていました。トーマツに2年半勤めた後、より自分に合った仕事や環境を求めて、日本M&Aセンターに入社しました。入社後は、IT業界のM&Aを専門に手がけて7年目になります。
――IT業界の概要について教えてください。
大きく分けて、IT業界には、メルカリやマネーフォワードのような自社サービスを持っている企業と、他社向けのシステム開発を受託している企業があります。約9割が他社向けのシステム開発を行っている後者の企業で、「SIer(エスアイヤー)」と呼ばれています。
SIerの国内市場は約15兆円と言われており、100万人のIT人材と1万5,000社の小規模IT企業から成り立っています。
初めての高齢化時代を迎える日本のIT業界
――現在、日本のIT業界はどのような課題を抱えているのでしょうか。
日本のIT業界は1960年代に黎明期を迎えました。比較的新しい業界ではありますが、すでに60年が経った現在、初めての高齢化時代を迎えています。1980年から2000年にかけて、大手IT企業で働いていたエンジニアが独立する動きが目立ちました。現在、当時30~40代で起業した経営者が60~70代を迎えていることから、事業継承問題が集中的に起きています。
成長産業でありながら事業継承が難しい理由のひとつとして、資金の問題が挙げられます。当初は1人親方のような形で創業した企業でも、年数の経過とともに50~100人規模まで事業が拡大し、それに拡大に伴って株の評価額も上昇しているため、譲受するには数千万円~数億円単位の資金が必要になってきます。なかなか個人に手が出せる金額ではありません。
また、エンジニアは技術を探求する職人気質の方が多く、「経営がしたい」と考える人は少ないため、社長のなり手がないという課題もあります。製造業などに比べ、IT業界では子どもが親の会社を継ぐというケースも少ないですし、社内で社長を抜擢しようにも、経営を担える人材がいないことも珍しくありません。
――最近では、「エンジニアの採用が難しい」という話もよく耳にします。
IT業界は好調な業界ということもあり、最近は人材の争奪戦になっていますね。市場が拡大を続けているにもかかわらず、国内のIT人材は100万人しかいません。特に資本力のない中小のIT企業は、採用や人材育成に苦戦しているのが現実です。
M&Aで「営業力」と「採用力」の強化が可能に
――M&Aは、IT業界の課題をどのように解決できるのでしょうか。
人が稼働することによって売上を上げているSIerの場合、事業運営のポイントになってくるのが「営業力」と「採用力」です。M&Aを通じて大手企業と手を組むことで、これら2つの力を高めることができます。
IT 業界は多重下請け構造になっていて、一次請け、二次請け、三次請け、四次請けと、商流が深くなっていくほどに仕事の単価が下がり、エンジニアの年収も下がっていきます。1万5,000社のSIerのほとんどが二次請け、三次請け、四次請けの非上場企業です。そして、非上場IT企業の多くが、後継者不在、株の承継者不在、営業力不足、採用力不足といった悩みを抱えています。
対して、M&Aで一次請けの企業グループに入ることができれば、仕事の単価が上がってエンジニアの年収も上がります。エンジニアの年収が上がれば、必然的に採用がしやすくなりますし、大手企業のグループに入ることで採用にかけられるコストが大幅に増えるという点でも有利になります。「営業力」と「採用力」は、一定の資金力や社会的信用などを必要とするので、単独での底上げは簡単ではありませんが、M&Aはこれらを同時に引き上げることができるのです。
また、エンジニア目線では、より上流に位置する大きな企業グループの一員になることで、仕事の幅が広がり、開発のバリエーションが増えるというメリットもあります。
M&Aを選ぶことでより早く、遠くに行ける
――竹葉さんが過去に手がけた、IT企業のM&Aの事例についてお聞かせください。
2020年に東京・神田のSIer、スタイルズのM&Aを支援したことがあります。増収増益の成長企業でしたが、株の承継問題を解決するためにM&Aを選択されました。IT企業同士のM&Aは比較的多いのですが、社長は一般事業会社への譲渡を希望していたんです。マッチングの結果、DXを推進していた半導体商社・菱洋エレクトロとのM&Aが成立しました。
スタイルズにとって良かったのは、このM&Aが受託開発モデルからの脱却を図るきっかけになったことです。また、譲受側である菱洋エレクトロの視点では、グループ内でシステム開発ができるようになっただけでなく、クライアントに提案できるメニューや対応できるニーズが増えたと、営業現場でも喜ばれているそうです。
もうひとつご紹介したい事例が、2022年にお手伝いしたITスタートアップ・バーチャルレストランとUSENグループのM&Aです。
バーチャルレストランは、飲食店向けサービスを提供している2020年創業のスタートアップですが、当時すでに約500社との取引がありました。上場や資金調達という選択肢もありましたが、さらなる成長をスピーディーに実現するため、M&Aを選びました。USENグループは有線放送事業を通じて約90万件の顧客基盤があったので、M&Aの結果、バーチャルレストランは90万件の顧客に対して、営業できるようになりました。
実際に、USENグループのリソースを活用することで、バーチャルレストランは狙い通り成長を加速させていると聞いています。それだけの顧客基盤を自力で開拓しようとすると途方もない時間と労力がかかりますが、「M&Aでより早く、遠くに行く」ことを実現した事例です。
「人」が一番の業界ならではの難しさも
――M&Aを支援する中で、IT 業界ならではの難しさはありますか?
食品企業ならブランド、製造業なら生産設備などがありますが、無形商材を扱うIT企業は、「人」が一番の資産です。人が退職すると価値が下がってしまう「人の集団」だからこそ、条件面だけでなく、働く人のパフォーマンスが上がるような譲受企業とマッチングさせることが大切です。
「人の集団」をうまく引き継ぐことがIT企業のM&Aの難しさであり、一番のポイントだと言えますね。
目指すのはM&Aから生まれる好循環
――最後に、竹葉さんが目指していることなど、今後の展望をお聞かせください。
M&Aを通じて企業同士を連携させることで、IT業界がより良い方向に進んでいくお手伝いをしたいです。
IT業界は日本で唯一の成長産業ではあるものの、エンジニアの年収はまだまだ低いのが実態です。「M&Aで商流が上がることで仕事の単価が上がり、結果としてエンジニアの年収も上がって、エンジニアの幸福度が上がる。それによって、もっと優秀な人がIT業界に入ってきて、さらに業界が活性化する」という好循環を生み出していければと思っています。