NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が18日に最終回を迎えた。歴史的にあまり有名ではない北条義時(小栗旬)を主役にした作品は最初から義時があまり目立たず、彼の周辺の登場人物のほうが目立っていた。そもそも大河ドラマはちょっと出てパッと散る役のほうがおいしいと言われているようで『鎌倉殿』はまさにそのオンパレード。上総介(佐藤浩市)にはじまって義経(菅田将暉)、頼朝(大泉洋)、八重(新垣結衣)と魅力的な人物が鮮烈な死を迎え、その後も続く多くの人々の死とタイトルの13人が見事に最終回で回収されて三谷幸喜氏の圧倒的な構成力を見せつけた。

  • 『鎌倉殿の13人』北条義時役の小栗旬

■タイトル「13人」の“もう一つの意味”に衝撃

13人は、合議制のメンバーのことと思ってすっかり油断していたら、「梶原殿、全成殿、比企殿、仁田殿、頼家様、畠山重忠、稲毛殿、平賀殿、和田殿、仲章殿、実朝様、公暁殿、時元殿。これだけで13」とこれまで死んでいった者を振り返る義時に、政子(小池栄子)が「頼家がどうして入っているの」と気づいてしまう。終盤、義時は頼家(金子大地)に手をくだしたことを隠していることに罪悪感を抱いているように描かれていたが、ここでうっかり政子の前で漏らしてしまうとは。そして政子も流さず気づいてしまうとは。

のえ(菊地凛子)が「私(のえ)のことなど少しも見ていなかったから」と、人柄を見抜けず、毒を盛られるはめになったのだというようなことを言うが、のえには興味がいっさいなかった冷たい義時は、政子とはとても仲のいい姉弟。いつもお互いのことを気にかけて注意深く親身になって話を聞いていたからこそ、義時はうっかり本音を漏らしてしまい、政子がその本音を見逃さなかったのかと思うと悲劇である。政子が義時から薬を取り上げてしまうくだりはドキドキしてやがてもの哀しく余韻の残るものだった。

現存する公式の北条家の記録『吾妻鏡』(冒頭で家康〈松本潤〉が熱心に読んでいた、このサプライズも面白かった)は北条家に都合のいいように書いてあると言われている。誰が書いたかはっきりしないようだが、三谷氏があの時代に生きて『吾妻鏡』を書いたら、もっと名作になったであろう。それだけ承久の乱の演説も、政子と義時の場面も、登場人物が愛すべき人物になっていた。

三谷氏は『鎌倉殿』を、先の展開がわからないように、あらかじめラストから逆算して脚本を書かないようにしたというような発言をしていて、実際、このラストは「13人」の使い方を含め、想像できない脱帽ものであったが、とはいえ、このラストを迎えるうえでただただ無軌道ではなく、なるほどなあと説得力の権化なのである。

■床を這いずる義時の姿は、生々しい人間だった

前述した、人がどんどん死んでいくこと、義時が多くの死に関与してきたこと、でも頼家の死の真相については政子に隠していたこと、政子は素朴な人物だが機転が利くこと、こう! と思うと一目散なこと、亡くなった4人の子供のことに胸を痛め続けていたこと、義時が嘘をつくときのクセに気づいていたこと、義時を心配していたこと、義時に手を汚していないと責められたこと……等々、これまで描かれてきたことがすべて積もり積もって政子の行動につながったと思えるから、驚きの行動でも政子の気持ちが理解できて、だからこそ胸が詰まる。

そして、最後までやるべきことがあると生きようとした義時も、北条家の人々がここまでずっと生き抜こうとしていたから、床を無様に這いずって薬を求める姿も全48回の集大成だと感じる。このシーンのために小栗旬は目立たぬように、本心がはっきりわからぬように粛々と過ごしてきたのではないかとすら感じるほど、少しやつれて、でも目がギラギラと生きる欲望に燃えていて、それでも涙で濡れているという、強さと弱さが行ったり来たりした姿はスーパーヒーローでない、稀代のダークヒーローでもない、生々しい人間だった。そしてどんな事情であろうとも悪いことは悪いと、サブタイトルのように「報い」を受ける、因果応報の物語であった。

「この世の怒りと呪いをすべて抱えて私は地獄へもっていく。太郎のためです。わたしの名が汚れるぶんだけ北条泰時の名が輝く」はなかなかの名セリフ。とくに「この世の怒りと呪いをすべて抱えて私は地獄へもっていく」は舞台で語ってほしいようなセリフだった。

■『ハムレット』を感じさせた義時と政子のラスト

三谷氏は『鎌倉殿』を書くうえで『ゴッドファーザー』『仁義なき戦い』『スター・ウォーズ』『ブレイキング・バッド』などを見たと、17日に放送された『三谷幸喜の言葉~「鎌倉殿の13人」の作り方~』で語っていた。ほかにアガサ・クリスティやシェイクスピアなど古今東西の名作にインスパイアされていたようなこともインタビューなどで語っていた。シェイクスピアに関しては、『マクベス』や『ヘンリー四世』などのタイトルが例に出ていたが、義時と政子のラストは『ハムレット』の変形のようにも見えないことはない。『ハムレット』をざっくりネタバレすると、デンマークの王子ハムレットはあれやこれやで毒殺を図られ、結果的に死屍累々となる悲劇である。

小栗旬は19年前の2003年、ハムレットの死後、さっそうと現れ、ハムレットを讃えるセリフを語り去っていく次世代の王子(他国だけど)フォーティンブラス役でシェイクスピア作品デビューをした。このときのハムレットは藤原竜也である。2016年、蜷川幸雄さんと今度はハムレットをやる予定があったが実現しないまま蜷川さんが亡くなって「あれができていたら今、役者としてまたちょっと違っていたかもしれないですね……」と語っている(SPICE「舞台初日に40歳の誕生日を迎える小栗旬、シェイクスピアの面白さと醍醐味をどのように表現するのか 『ジョン王』インタビュー」より)。

そんな小栗にちょっとハムレット的なラストを三谷氏が当てて書いたのではないだろうか。ただ、ハムレットは偉大なる父を思い続けた息子であったが、義時は息子を思う父であった。いまの小栗旬には父のほうが似合っている。そしてこのあと小栗旬は19年前に『ハムレット』を上演したシアターコクーンでシェイクスピア劇(『ジョン王』)に主演するのである。義時の最期は繊細で弱く、でも懸命に生きる人間のもの悲しさが出たいい演技を見せてくれたから、5年ぶりの舞台も期待している。

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