長浜駅の西、琵琶湖畔にそびえる長浜城は、戦国時代に浅井氏が居城としていた小谷城を織田信長が攻略した後、戦功により浅井氏の領地の大部分を与えられた羽柴秀吉が築いた城である。当時、この一帯は「今浜」という地名だったが、秀吉は主君・信長から1字を取り、「長浜」に改名したという説がある。秀吉は長浜城から出世の階段を駆け上り、天下人となった。そうした経緯もあり、長浜城は「出世城」とも呼ばれる。

  • 長浜城方面の最寄りとなる長浜駅西口。レンガの煙突が特徴

長浜城へは長浜駅西口が近い。一方、長浜駅東口の駅前広場には、秀吉と家臣だった石田三成の銅像が建立されている。三成は秀吉の子飼い武将として活躍。関ヶ原の戦いで西軍の大将を務めた。それほど秀吉は三成を愛し、三成も恩義に応えようとしたわけだが、三成は最初から秀吉の部下だったわけではない。

三成は寺院の寺小姓だったとされる。秀吉は鷹狩りの帰り、寺に立ち寄り、茶を所望した。三成は最初にぬるい茶を出し、そこから少しずつ熱い茶を出した。秀吉は三成の茶を出す手際が良かったことに感服し、家来に迎えたといわれる。これは俗に「三献茶」と呼ばれるエピソードで、長浜駅前の銅像はこのエピソードの一場面を表している。

  • 長浜城は秀吉の居城になったため、「出世城」とも呼ばれる

  • 秀吉と三成の「三献茶」のエピソード再現した銅像。長浜駅東口に建立された

その後、長浜城は徳川家康の家臣だった内藤家が城主を務める。しかし、内藤家は大阪の陣の後、高槻へと移封されたため、長浜城は廃城となった。長浜城で使用された部材は、当地を治める井伊家の居城、彦根城に使われたといわれる。

以降、長浜は江戸時代を通じて彦根藩の統治下に置かれた。城のある彦根に対して、長浜は町人たちの力によって商工業が発達。こうした長浜の気質が町人たちの結束力を強くした。江戸時代から明治時代に移っても、町人の気質は受け継がれていく。他都市に先駆けて長浜が近代化した過程において、豪商・豪農たちが率先して資金を出し合い、開知学校の設立に動いたことも、江戸時代から連綿と受け継がれてきた精神によるものと推測できる。

長浜の近代化を先導した鉄道は、1882(明治15)年に長浜駅が開業。現在の長浜駅は北陸本線に属しているが、当時は東京と大阪という東西両都を結ぶ幹線の駅だった。1889(明治22)年の静岡~浜松間開業で、東京側の起点となる新橋駅と直結。東海道線という線路名称の制定は1895(明治28)年だが、実質的に東京側とつながったこのときから、長浜駅は東海道線の要衝地になった。

  • 長浜駅東口。2006年に橋上駅舎へと生まれ変わった

  • 建て替えられた後も、どことなく洋風建築の雰囲気を感じさせる

しかし、天下分け目の決戦地として知られる関ケ原駅付近は険しい山岳地帯のため、鉄道の運行は辛苦を極めた。そうした事情もあり、鉄道当局は東海道線を米原駅へ接続させるルートに変更し、長浜駅は北陸線へと所属を変える。これが長浜という都市の運命を左右することになった。

東海道線のルートから外れてしまった長浜だが、早くから鉄道が開業したこともあって、滋賀県随一の近代都市として発展していた。滋賀県内で最初の銀行となる国立二十一銀行は1877(明治10)年に開設されている。

国立二十一銀行の開設により、長浜は経済都市として商工業が活発化した。国立二十一銀行もさることながら、国立第百三十銀行の長浜支店が長浜経済を支えてきた。現在の滋賀銀行の前身でもある国立第百三十銀行は、国立二十一銀行に遅れること2年、1879(明治12)年に彦根で設立。1900(明治33)年、長浜に支店を進出した。

国立第百三十銀行の長浜支店は、2階建て瓦葺き屋根という外観で、当時のムーブメントだった文明開化を意識して洋風の意匠を取り入れた。外壁を黒漆喰で塗っているところも特徴的で、銀行としての役目を終えた後も、モダンな外観から長浜カトリック教会として使用されていた。

1989(平成元)年、この黒壁を基調とした建物は、観光振興の起爆剤となるべく「黒壁ガラス館」として生まれ変わる。「黒壁ガラス館」が立地する一帯は、観光地として整備が進められた。そのため、北国街道沿いに歴史的な古い街並みが現出する。

  • 長浜駅東口から広がる「黒壁スクエア」。黒い建物が並ぶ街並みには、櫓のような懐かしさを感じさせる建物も

  • 「黒壁スクエア」のアーケード商店街

  • 「黒壁スクエア」の中心的な存在である旧国立第百三十銀行長浜支店。現在は「黒壁ガラス館」として活用されている

古い街並みは観光客の心をつかみ、観光客が増えたことに手応えを感じた行政と民間は連携し、周辺の家屋も黒壁に統一した。現在は「黒壁ガラス館」を中心に、「黒壁スクエア」と呼ばれるエリアが広がっている。

「黒壁スクエア」の一帯は多くの観光客が訪れる。ただし、観光地特有の観光客だけが歩いているという雰囲気ではない。「黒壁スクエア」から続くアーケード商店街には、生活感のあふれる青果店や生活用品店などもある。そうした普段の生活と溶け込むように、カフェや工房などが並んでいる。

城下町のような街並みは中高年に人気があるが、長浜はそうした歴史ある観光スポットばかりではない。若者を引き寄せるスポットもある。それが、アーケード商店街の中ほどにある「海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館」だ。

  • 「海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館」は若者が多く訪れる観光スポット

鉄道・ミリタリー・フィギュア・食玩など多岐にわたる模型メーカーでもある海洋堂が2005年にオープンさせた「海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館」は、世界初のフィギュア専門ミュージアムを謳い文句にしている。若者人気の高い施設だけあって、ミュージアムの前で記念撮影する若者は多い。

中世から波瀾万丈の歴史を経験してきた長浜は、昔と今の文化がほどよく混ざり合う。琵琶湖も目の前にあり、自然が豊かという魅力もある。商業都市であり、観光都市でもある長浜は来年、「平成の大合併」前の旧長浜市発足から80年の節目を迎える。