日本テレビ系特番『いきざま大図鑑』(14日19:00~)では、ダチョウ倶楽部の肥後克広と寺門ジモン、盟友の出川哲朗が、“リアクション芸”について語る。

  • (左から)出川哲朗、寺門ジモン、肥後克広、澤部佑=日本テレビ提供

番組では、彼らのリアクション芸がどのように生まれたのか、数々の“名物リアクション”が生まれた秘話と進化・成長の歴史を語り尽くす。

それを語る上で欠かせないのが、1989年にスタートした『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』。爆破、スタント、宙吊りなどの過激な企画に数多くの芸人たちが体を張って挑戦し、お茶の間の人気を博したこの番組の優勝者は「翌日からM-1優勝並みにもてはやされた」(出川)という。

その中で活躍していたダチョウ倶楽部は、多くの芸人たち憧れの的に。しかし、肥後は「当時はトガってたから」と、最初はリアクション芸を嫌がっていたことを告白。そんな彼らを変えたのは、番組MCのビートたけしとたけし軍団の会話の“盗み聞き”がきっかけだった。結果を残したいと焦ったダチョウ倶楽部の御法度な行為に、出川も「普通は絶対あり得ない」と驚く。

そして、番組中で確立されていったのが、スタッフ・芸人が一丸となって作る「リアクション芸」。事故が起きないよう念入りに準備されたセットの中で、芸人がそれぞれの役割を演じて1つの笑いを生み出していったという。

出川は「フリがあってフリがあって、オチがあるから、みんなで1個の笑いを作る団体芸なんだって、この番組で教わった」と振り返る。

そして、ピン芸人として戦ってきた出川が、あるとき『お笑いウルトラクイズ』で、ダチョウ倶楽部らが一丸となってやってくれた行動に「泣きそうになった」と感謝。肥後とジモンも「生死をかけてやってるから絆が生まれる」「戦友であり永遠のライバル」と出川を称える。

番組ではさらに、今ではあり得ない演出の詰まった衝撃的な出来事や上島竜兵さんの代名詞となった名物リアクションの誕生秘話など、リアクション芸人のいきざまが明らかになる。お笑い界の歴史を変えた『お笑いウルトラクイズ』の貴重映像も登場する。

ロケを終えた寺門は「リアクション芸がぼくらの日常だった」と振り返り、肥後は「『お笑いウルトラクイズ』には上島竜兵の人生が詰まってる。どんな人生かわかんないけど笑」と語った。

そして、ロケに参加したハライチの澤部佑も「命がけで笑いをとりにいった上島さんという人がいて、そんな上島さんがリアクション芸を生みだしていった過程が見れます。一見、怖い、危ないという風にみえてしまうかもしれないけど、出ている人はみんな好きでやっている。リアクション芸に憧れてやっている。なんで、気にしないでとにかく楽しく見てほしい」と話している。

『お笑いウルトラクイズ』のロケの様子は、YouTubeの日テレ公式チャンネルで放送に先駆けて公開。上島さんが笑い以上にこだわったお尻の美しさについての爆笑エピソードが語られている。