新横浜ラーメン博物館(神奈川県横浜市港北区)では2022年12月16日から2023年1月9日まで、久留米「大砲ラーメン」に続く第9弾として、青森・八戸「八戸麺道 大陸」が出店する。

  • 佐野実氏の想いを繋ぐ“幻のラーメン"が復活!

同館は7月1日、「あの銘店をもう一度」をスタート。同企画は、開業30周年を迎える2024年へ向けた取り組みとして、過去に出店した約40店舗の銘店が2年間かけ、3週間のリレー形式で出店するプロジェクトとなる。

「八戸麺道 大陸」は、プロデューサーとして「支那そばや」創業者・佐野実氏を迎え入れ、「新ご当地ラーメン創生計画 第2弾 八戸編」で2002年3月6日〜2003年2月23日の間、同館に出店した。

店名「八戸麺道 大陸」(はちのへめんどう たいりく)は、「八戸の地で新しいラーメン文化を切り開いて行く」という思いから名付けられている。

  • ラー博出店時の箭内氏(2003年撮影)

日本各地にはそれぞれ個性的な「ご当地ラーメン」があるが、地域によっては明確なラーメンスタイルが無い場合もある。そのような地域の食文化や特産品を活かした、新たなラーメンの提案、それが「新ご当地ラーメン創生計画」となる。

エリアとプロデューサーを決め、そのエリアに在住・在勤している人を対象に出店事業主を募集し、審査・面接後に出店事業主を決定。2カ月の修業を経て1年間ラー博で運営し資金を貯め、必ず現地に戻り店を開業するということが条件となる。

  • 地元の新聞に掲載した募集広告(2001年)

古くから漁港として栄えた「八戸」は、漁港を背景とした新鮮な海産物をはじめ、周辺の旧南部藩地域には鶏、豚、各種野菜等、全国的に見ても良質な農作物が豊富な「知られざる食材の宝庫」。プロデューサーの佐野実氏もこの食材大陸に惚れこんだという。

2001年9月27日に出店事業主募集を始め、約50名弱の応募者の中から出店事業主に選ばれたのは、昭和32年創業の老舗中国料理店「大陸飯店」の箭内一三総料理長(当時の肩書)だった。

箭内氏が修業に入ったのは2002年1月15日。当時20人弱の弟子を持つ箭内氏の修行はゴミ捨て、下処理から始まった。2月に入ると、ようやく佐野氏とラーメンの試作に取り組みはじめ、お互いもてる力を振り絞り、最高の味を目指した。長いようで短い期間内、試行錯誤を繰り返し、2月14日、ついにお互い納得の行く味が完成した。

そして2002年3月6日、新横浜ラーメン博物館8周年記念日に、「八戸麺道 大陸」がオープンを迎えた。オープンと同時に大勢のお客さんが同店を目指し、あっという間に長蛇の列に。結局この日は夜まで一度も行列が切れることなく、閉店を迎えることとなった。

  • 修業当時の佐野氏と箭内氏(2002年撮影)

  • 2002年3月6日、オープン当日の様子

ラー博の出店期間終了後、「八戸麺道 大陸」は2003年に八戸で帰郷オープンし、2009年4月30日、惜しまれながら閉店した。そのため、今回の出店は"幻のお店の復活"となる。店自体が復活するのが13年ぶり、ラー博に復活するのは約20年ぶり。そのラーメンの基本コンセプトは「いつかどこかで食べた懐かしさ。朴訥とした北国の郷愁と手作り感」だ。

  • 「八戸麺道 大陸」のラーメン

手間をかけ1玉1玉手もみした太麺は「南部小麦」と「ねばりごし」を使用。八戸の郷土料理「ひっつみ」にヒントを得て、モチモチとした食感と舌触りを出した。

  • モチモチとした食感と舌触りの麺

スープは「シャモロック」、「ガーリックポーク」をはじめ、モクズガニ、焼き干し、干しイカ、干し貝柱など厳選された北国の食材をふんだんに使用。

  • 北国の食材をふんだんに使用したスープ

タレは、醤油の風味で懐かしさを演出。岩手県陸前高田産の2年もろみ熟成醤油に小川原湖産のしじみから抽出したエキスを加えた。

具材は、チャーシューには収穫量日本一のニンニクを餌として食べさせる十和田産「ガーリックポーク」を使用。食感の違いを楽しんでもらえるようモモ肉と肩ロースを1枚ずつ配置。メンマは麺の食感との一体感を考え、短冊状のものを使用。彩に緑鮮やかな小松菜とねぎを加えている。

  • あの銘店をもう一度

なお、青森「八戸麺道 大陸」に続く10店舗目には、高知・須崎「谷口食堂」が出店。出店期間は、2023年1月10日〜2023年1月30日となっている(※第11弾以降の出店スケジュールは、改めての告知となる)。