大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)では、公暁(寛一郎)による実朝(柿澤勇人)暗殺計画がひたひたと進行していく。鮮烈な出来事に至るまでの関係者たちそれぞれの行動を描くとき三谷幸喜氏の筆は冴え渡る。
公暁をはじめ、その出来事に真剣に向き合っている人もいれば、単純に拝賀式を楽しみにおめかしする実衣(宮澤エマ)など、何も知らずに存在している人もいる。でも彼らの大小様々なエネルギーがすべて、川の支流が一気に大河に注がれるがごとく、実朝の拝賀式という名誉ある瞬間に集中したときのカタルシスといったらない。しかもそれが極上のミステリー仕立てになっていたのが第44回「審判の日」(脚本:三谷幸喜 演出:保坂慶太)である。
実朝は右大臣になった。その祝いのためなのか、十二神将を義時(小栗旬)が運慶(相島一之)に依頼。先に一体、戌神像のみが届く。その前に義時は白い犬の夢を見ていた。
身内が右大臣になった喜びからはしゃぐ北条家。神のポーズを思い思いにとるなか、嫁ののえ(菊地凛子)だけは家族の余興のなかに入っていけない。彼女は入る気があるものの皆が彼女を遠ざけているのだ。
のえはこれまで調子のいいちょっと悪妻な雰囲気だったが、彼女は彼女で北条家に馴染めないストレスを抱えているようで、妙に親切な仲章(生田斗真)の貝合わせにつきあっていると、情報を漏らしているのではないかと義時は警戒する。
のえ「手も握っていません」
義時「そんなことはどうでもいい」
のえ「どうでもいい?」
義時は、妻として、女として、のえに全く興味を持ってないことを何気なく口に出して、「私を見くびらないで!」とのえを怒らせてしまう。
義時はいろんなことに気の回る敏い人物のように見えて時折、他者に対しての大事なケアに欠けているような気がする。頼家(金子大地)も実朝も、義時のそういうところに接して心が離れていったように思う。のえのことも適当に機嫌をとって自分の都合のいいように働かせればよいものを……。
『鎌倉殿』における義時は不思議なキャラだなあと思ったけれど、ふと考えてみると日常で、仕事はすごくできる優秀な人が妻をコントロールできず、へんな行動に走らせていることもあるなあと気づいた。時政(坂東彌十郎)もそのひとりであろう。
義時は義村(山本耕史)のことはよくわかっていて、気持ちと裏腹のことを言うとき襟に触ると見抜いている。義時自身は、姉の政子(小池栄子)に思いと反対のことを言いがちと見抜かれている。親しい者たち同士、お互いが周囲にひた隠しにしている本音を見抜いているつもりながら、これとて、完全に見切っているかといえばわからない。「人の心は分かりませぬ」と義時は端的に言っているように、誰も他者の心はわからない。
だからこそ他者がふと漏らす、ささやかなヒントを用心深く観察し裏を読み合い続ける。『鎌倉殿』には合戦シーンがさほどないけれど、人間と人間の最小単位の闘いである、心の探り合いが日夜繰り広げられているのだ。そういう意味では義時は心はもう刺し傷、切り傷だらけに違いない。でも義時も前述のように誰かを傷つけている。
義時に心を傷つけられた実朝は朝廷に心を寄せていく。その気持ちも知らず、激しく苛立つ義時だが、彼には後ろめたいことがあった。
「主君殺しは最も重い罪」「血で汚れた」などと仲章からねちねち責められる要因である頼家を殺したことだ。これこそ、頼朝(大泉洋)時代からコツコツと大義名分に従ってやってきた義時にとって、かなりの汚点にほかならない。誰にも何も言えずひた隠しにしていてさぞ苦しいことだろう。
指摘できないほど悪い顔になったと運慶に言われる所以も義時が人に言えない秘密を抱えているからではないだろうか。それを執拗に嗅ぎ回っている仲章は邪魔だし、頼家の忘れ形見・公暁が出張ってくるのも困る。なにかの拍子にバレたら大変である。「ここからは修羅の道だ」と決意して、時房(瀬戸康史)を巻き込む義時。泰時(坂口健太郎)には関わらせないところが義時のギリギリの良心か。
「もはや愛想が尽きた」と実朝のことを憎々しく言うのもバレたら大変と思っている節もあるのではないか。そう思うと、義時、みみっちい感じもするが、世の中の汚職はたいていこんな感じのような気もする。思惑を超えて話がどんどん大きくなって誤魔化し続けないとならなくなってしまっている問題が社会にはたくさんあるのではないか。
ともあれ、実朝が頼家の死の真相を知ろうとしはじめる。義時のせいで実朝と政子が、実朝と公暁が、関係性を悪化させていく。
「おまえの気持ちは痛いほどわかる」と謝る実朝に公暁は「あなたに私の気持ちなど分かるはずがない」と逆に怒りをぶちまける。純粋な実朝は北条家を武力ではなく処分しようとするが公暁の凍てついた心は解けることはなかった。
実朝、公暁、義時、仲章……と拝賀式に向けてそれぞれが思惑に従って行動に出る。仲章を襲ったトウ(山本千尋)が捕まるのは義時の織り込み済みのような気がする。
「夕方から降り始めた雪がうっすらと降り積もりはじめている」「粉雪は戌の刻を過ぎたああたりから牡丹雪となっている」とささやくようなナレーション(長澤まさみ)がこれほど効果的なこともないと感じた。ささやく語りはこの回のためにあったように思えてくるほどだった。
“戌の刻”と、ここにも戌が。戌神は義時を守ってくれるだろうか。ちなみに、北条義時は戌年生まれではないが、小栗旬は戌年生まれである。
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