太宰治の代表作の一つでもある『斜陽』は、戦後の没落貴族の姿を、恋と革命をテーマに描いたベストセラー小説です。

今回は『斜陽』のあらすじや作者・太宰治の伝えたかったこと、考察や背景をまとめました。2022年11月全国公開の映画『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』についても紹介します。

※本記事はネタバレを含みます

  • 太宰治『斜陽』のあらすじ

    太宰治『斜陽』のあらすじやポイントを紹介します

『斜陽』のあらすじを簡潔に紹介

『斜陽』はかず子と直治姉弟のそれぞれの恋が、没落していく貴族の存在と重ねて描かれる作品です。まずは簡単なあらすじを紹介します。

戦後、没落した貴族のかず子と母が懸命に暮らす伊豆の家に、戦死したはずの直治が戻ってきました。しかし直治は薬物と酒に侵されており、一方母は結核と診断されます。

母が病死した後、かず子は長年恋い焦がれていた上原とついに関係を持ちます。上原は直治の文学の師であり妻子ある身です。

その翌朝、直治は自殺します。遺書には上原の妻に恋慕していたことを匂わせる文章と「僕は、貴族です」の言葉がありました。

貴族としてしか生きられなかった家族を亡くし、上原にも捨てられたかず子は、おなかの子と2人、「古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きる」ことを宣言します。

『斜陽』の意味と概要

「斜陽」とは西に傾いた太陽のことですが、太宰治の『斜陽』をきっかけに「没落しつつあること」という意味も持つようになりました。「斜陽産業」などの言葉を聞いたことがある人もいるかもしれません。

また『斜陽』は、敗戦によって没落した貴族を指す「斜陽族」という流行語を生むなど、社会的にも大きな影響をもたらしました。

『斜陽』の作品概要についてまとめました。

作者 太宰治
発表時期 1947年(昭和22年)、雑誌『新潮』にて発表
発行部数 約394万部(新潮文庫、2004年時点)
物語の舞台と時代 伊豆の山荘・戦後
テーマ 恋と革命、貴族の没落

『斜陽』の主な登場人物

『斜陽』はかず子の家族を中心に、戦後の日々の生活の様子とともに、恋と苦悩が綴られる物語です。主な登場人物について見ていきましょう。

かず子

没落貴族の女性です。一度結婚しましたが身重の体で離婚し、死産を経験しました。現在は伊豆で母親と暮らしています。

上原と一度だけキスを交わしたという「ひめごと」を持ち、時を経てようやく、その恋をかなしく成就させます。

上原

直治が師匠と呼んだ小説家で、かず子の「ひめごと」の相手。妻子持ちで酒におぼれた生活を送っています。

弟・直治

かず子の弟です。戦地で死んだと思われていましたが、かず子たちのもとに戻ってきました。しかし直治は阿片(アヘン)中毒になっていて、さらに上原とともに飲み歩く荒れた日々を送ります。実はある人の妻にかなわぬ恋心を抱いていました。

母の死後、直治は自殺します。

お母さま

かず子と直治の母親です。スープの飲み方などのちょっとした仕草に「可愛らしい感じ」があり、子供たちからも「日本で最後の貴婦人」「ほんものの貴族」と称されています。

最近体調を崩しがちでしたが、ついに結核のために帰らぬ人となります。

『斜陽』の詳細なあらすじ

『斜陽』は全8章の小説です。そのうちのいくつかの章は、手紙や、遺書の形をとっています。かず子の視点で語られる物語には、戦後の移りゆく時代や、周囲の人たちの生活の様子も垣間見えます。

『斜陽』の詳しいあらすじを見ていきましょう。

伊豆での暮らし

父を亡くし、戦後の混沌の中、東京の家を手放したかず子と母は、叔父の勧めに従って伊豆へ越してきました。引っ越しの前日、母は体調を崩して「かず子がいてくれるから、私は伊豆へ行くのですよ」と言い、もしもかず子がいなければ「死んだほうがよいのです」と弱音を吐きます。

伊豆でかず子は母を支えながら懸命に生活を送りますが、ある日、不注意から火事を起こしかけます。近所の人から「子供が二人で暮しているみたいなんだから、いままで火事を起さなかったのが不思議なくらいのものだ」と言われ、もっとしっかりしなければと思ったかず子は、翌日から畑仕事に精を出します。

最後の幸福

地下足袋を履き、母においしい野菜を食べさせようと「野性の田舎娘」になっていくかず子のもとに、ある日、弟の直治が生きていると言う知らせが届きます。南方で戦死したと思われていた直治は、重度の阿片中毒になっていました。

実は直治が薬物中毒に陥るのは2回目で、前回、薬屋からの借金を返すのに2年もかかっていたのです。

そんな様子では直治は働けないからと、叔父はかず子に嫁入りするか、奉公に出るように勧めます。それを母の口から聞いたかず子は「かず子がいてくれるから、お母さまは伊豆へ行くのですよ、とおっしゃったじゃないの」と母をなじります。激高したかず子は、家を出ると宣言しました。

母は叔父の言いつけに背くことを決め、母子は仲直りします。そのときかず子は、「ひめごと」についてほのめかします。

その日のあたりが、かず子たちの最後の幸福のときでした。直治が戻って来た日から、「本当の地獄」が始まったのです。

直治の苦悩とかず子の「ひめごと」

戻って来た直治は、家のお金で飲み歩き、東京の上原のところに遊びに行って何日も帰ってきません。かず子がなにげなく見た6年前の直治の日記には、貴族として生まれたばかりに友人たちにもなじめず、苦悩する直治の心の内が吐露してありました。

かず子は当時のことを思い出します。6年前かず子は、直治の薬屋からの借金にあてるお金を、ばあやのお関さんを通じて上原に預けていました。次第に多額のお金をねだられ心配になり、様子を尋ねに上原のもとを訪れたかず子は、初対面の上原にキスをされます。それがかず子の「ひめごと」となったのでした。

さて具合の悪い母を置いて伊豆を離れられないかず子は、上原に3通の手紙を書きます。「あなたの赤ちゃんがほしいのです」と、胸が焼きこげるほどの思いを綴った手紙に、返事はありませんでした。

母の死と、恋と革命

結核と診断された母は、微笑みを含んだように、「ピエタのマリヤ」に似た顔で亡くなります。そしてかず子は「戦いとらなければならぬもの」があると、恋にすがることを決心します。

母の葬儀も終わり、直治が女性を連れてきたある日、かず子は東京の上原の家を訪ねるのです。しかしそこには、上原の妻と娘がいるだけでした。2人を前にしてうしろめたく思ったかず子ですが、「神も罰し給(たま)う筈(はず)が無い、私はみじんも悪くない」と自らを鼓舞し、そのまま上原を探して歩きます。

ようやく探し当てた上原は、別人のようにくたびれた様相になって、やはり酒盛りをしていました。しかしかず子はかまわず、上原と一夜を共にします。

直治の死

翌朝、直治は自殺していました。

その遺書には自分がある人の妻に恋をしてしまったこと、庶民として生きようと努力したけれどうまくいかなかったことなどが記してありました。遺書は、「僕は、貴族です」と締めくくられていました。

最後の手紙

直治を失い、上原にも捨てられたかず子は、上原に手紙を書きます。子供を宿し、「ひとすじの恋の冒険の成就(じょうじゅ)」を果たした彼女は、自分たちを聖母子に例えて「勝った」と述べます。

そして自分や上原を「道徳の過渡期(かとき)の犠牲者」と呼びます。さらに、もう一人の犠牲者である直治のために、産まれてきた子を「これは、直治が、或る女のひとに内緒に生ませた子ですの」と言って、上原の妻に抱かせてもらえるよう頼むのでした。

『斜陽』の考察

  • 『斜陽』の考察

    さまざまな意味が込められている『斜陽』を考察していきましょう

『斜陽』には、「貴族」、そして「恋と革命」が重要なテーマとして織り込まれています。それぞれのテーマにどんな意味が込められているのか、考察してみましょう。

『斜陽』で描かれた「貴族」とは

『斜陽』では、「貴族」が象徴的に描かれています。1947年に日本国憲法によって廃止されるまで、日本には「華族」という特権階級がありました。かず子たちは爵位を持つ華族でしたが、それを失い、一般の人と同じ身分になった没落貴族です。

冒頭、直治は「爵位(しゃくい)があるから、貴族だというわけにはいかない」と、生まれだけで貴族になるわけではないと説きますが、その中でも母については「ほんものの貴族」であると述べます。また、かず子は母を「日本で最後の貴婦人」と呼びます。

母親が貴族の象徴として描かれ、静かに弱っていく一方で、その子供たちが時代の波を乗り越えようともがき、「革命」を目指す様が、倫理を外れた恋とともに対照的に描かれました。

姉弟の恋と革命

遺書の中で、直治が恋をした相手は「洋画家」の妻と記されます。しかしこれは「フィクションみたいにして」書かれた言葉です。直治が「スガちゃん」と記したその女性は、上原の妻だったのではないかと推察できます。

つまり、姉はある夫に、弟はその妻に恋をしていたのです。恋を「革命」と呼び「戦闘、開始」として上原のもとを訪れたかず子。かず子の道徳への革命は、その子供を宿すことで成就します。しかし直治の恋は打ち明けられることもないまま、その身を滅ぼしたのです。

革命とは、身分の低い者が権力者を倒す行動です。革命を成し遂げるには、まず自分自身が庶民である必要があります。「からだの血が何だか少し赤黒くなったような気がして」「胸に意地悪の蝮(まむし)が住み」と述べ、どんどんとたくましく、「野生の田舎娘」になっていくかず子は、上原への恋に対しても「鳩(はと)のごとく素直(すなお)に、蛇(へび)のごとく慧(さと)」く振る舞います。

一方で、貴族であることにあらがいながらも、結局逃れられなかった直治は、革命に挑むことすらできずに滅んでいったのかもしれません。

「道徳の過渡期の犠牲者」とは

かず子は自分たちを、「道徳の過渡期の犠牲者」と呼びました。古い道徳に打ち勝ち、革命を起こして「よい子を得た」と誇るのです。そして「こんどは、生れる子と共に、第二回戦、第三回戦をたたかうつもりでいるのです」と述べます。

かず子は「こいしいひとの子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成」と言います。これは変わりゆく時代の中で、古い体制から脱しようとする人の姿といえます。

『斜陽』は戦後の新しい時代を生き抜こうとする、一人の新しい女性を描いた作品でもあるのではないでしょうか。

『斜陽』執筆時の背景

『斜陽』を深く理解するためには、執筆当時の背景、状況についても簡単に押さえておく必要があるでしょう。

チェーホフの『桜の園』と『斜陽』の関係

『斜陽』では、かず子が求婚者に対して『桜の園』の話題を持ち出すシーンがあります。

『桜の園』は、ロシアの劇作家、チェーホフによる、没落貴族をモチーフにした戯曲です。美しい桜の園を手放さざるを得なくなった没落貴族たちの、時代の流れを理解できず、現実を見ようとしない姿が喜劇的に描かれます。

太宰治は『斜陽』を書く際、『桜の園』を参考にしたと語っています。彼は青森の地主だった実家が力を失う様を見て、「『桜の園』のようだ」と繰り返し口にしていたそうです。戦後の農地改革による生家の没落が、日本版の『桜の園』を書こうという動機となったのでしょう。

しかし『桜の園』とは違い、『斜陽』はかず子や直治の恋を大きなテーマの一つにしています。これには、執筆当時の太宰治の実生活が大きな影響を与えていたと考えられています。

太宰治と、愛人でありかず子のモデルの太田静子

かず子のモデルは、太田静子だといわれています。彼女は太宰治の愛人だった女性で、太宰治の子供を産んでいます。その娘・太田治子さんは、作家として活躍しています。

実は、『斜陽』は太田静子の日記をベースにした小説だといわれています。つまり『斜陽』は、太宰治を愛した一人の女性の実話を基にした物語でもあったのです。

のちに太田静子は、当時の回想録的な実際の日記を、『斜陽日記』として発表しています。こちらと『斜陽』を読み比べ、太宰治の創作部分について考えるのも楽しそうですね。

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『斜陽』で太宰治が伝えたいこと

かず子は、地下足袋を履いて畑仕事をし、肉体労働も厭(いと)わないなど、「田舎者」として適応していきます。しかし直治は「下品になりたかった」と述べがらもなじむことができず、ついに死を選びました。

革命とは、それまでの常識や価値観を覆すこと。革命を起こしたかず子は、子供とともに「古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きる」ことを宣言しています。

かず子は、敗戦によって貴族としての地位を失いました。庶民となって革命を起こすかず子の姿には、貴族だけでなく、敗戦国であった日本そのものに対する、新たな形での復興への願いが込められていたのかもしれません。

『斜陽』の名言

『斜陽』には、記憶に残るセリフやフレーズがいくつも出てきます。ここでは特に印象的な2つのフレーズを紹介します。

鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ

かず子が上原に書いた手紙に記された言葉です。かず子は手紙を書こうかどうか迷っていましたが、「鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ」というイエス・キリストの言葉を思い出し、上原と接触するのです。

返事が来ることはありませんでしたが、これらの手紙をきっかけにして、かず子と上原は再び「ひめごと」を持つことになります。

道徳的には許されない恋であると知りながら、革命を突き通すかず子の覚悟が表現されています。

人間は恋と革命のために生れて来たのだ

母の死の直前、直治の部屋から持ち出した本を読んだかず子が、「革命」について語る際のフレーズです。

かつて、大人たちは恋も革命も「最も愚かしく、いまわしいもの」と教えていました。しかし本当は、「革命も恋も、実はこの世で最もよくて、おいしい事」だとかず子は確信します。

そうして恋と革命に人生の意味を見いだしたかず子は、「戦闘、開始」として、上原のもとに向かうのでした。

2022年11月全国公開の実写映画『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』

『斜陽』の執筆から75週年となるのを記念して、2022年11月4日、近藤明男監督による映画『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』が全国公開されました。前述の通り、「鳩のごとく 蛇のごとく」とは、かず子が上原への手紙で引用した言葉です。

かず子を映画初出演の宮本茉由さんが、上原を安藤政信さんが演じています。その他、母を水野真紀さん、居酒屋の女将を萬田久子さん、医師を柄本明さんなどの名優が演じ、美しい映像とともに話題を呼んでいます。『斜陽』を読んだ後は、ぜひ映画でも楽しんでくださいね。

没落貴族と恋、そして革命から見る、人生の意義

『斜陽』には、貴族として生きて死んだ母と、庶民として革命を起こすことに成功したかず子、そして庶民になりきれずに貴族のまま身を滅ぼした直治の姿が対照的に描かれています。

「道徳の過渡期の犠牲者」でありながらも恋と革命に生きたかず子は、現代に生きる私たちにも人生の意義を問いかけているようです。

※作品内には、現在では不適切とされる可能性を持つ表現がありますが、本記事では基本的に、作中の表現を生かした形で記載しています