川崎フロンターレとのデッドヒートを制し、3シーズンぶり5度目の優勝を最終節で決めた横浜F・マリノスには歓喜の第2章が待っていた。2日後の7日に行われた年間表彰式「Jリーグアウォーズ」で、優秀選手賞に選出された5人全員が、初受賞となるベストイレブンに輝いたのだ。その一人、プロの一歩を踏み出したF・マリノスに復帰して3年目で、右ウイングとして群を抜く存在感を放ち続けたのがプロ15年目の水沼宏太だ。優勝を決めた瞬間から号泣していた理由や黎明期のマリノスでプレーしていた父・貴史さんを介したF・マリノスへの思い、そしてチームの未来像を32歳の闘将が熱く語った。

  • 水沼宏太 撮影:蔦野裕

――優勝を決めたヴィッセル神戸との最終節。号泣していた姿が印象的でした。

勝手に涙が出てくるとはああいうものなのか、うれし涙とはああいうものなのか、という気持ちが、改めて振り返ってみるとすごく強いです。一気に泣いて、その後は切り替えて騒いでいました。

――いつぐらいから涙腺が決壊していたのでしょうか。

試合終了直前、2分前ぐらいです。最後まで気を抜いてはいけないし、みんなには申し訳ないと思っていましたけど。ピッチ上で最後まで戦い抜いている仲間。ベンチから試合に出ているメンバーのために声を出し続けている仲間。そしてベンチ外だけど神戸まで来てくれた仲間もいたし、何よりもゴール裏にたくさんのF・マリノスのサポーターのみなさんが来ている。ベンチからそうした光景を見て「やばい」と思った瞬間にはもう泣き始めていました。試合終了の笛が鳴った瞬間は「よっしゃー!」とピッチへ走っていきたかったんですけど、いろいろな感情が出てきてしまって。

――いろいろな感情のなかで、中心を占めていたものは何だったのでしょうか。

一度は外へ出たこのクラブ、そして昔からの憧れで大好きだったこのクラブでタイトルを取れた。これまであきらめずに夢を、目標を持ってやってきてよかったと改めて感じましたし、自分のなかでは想像もしてもいなかった未来が、自分で限界を作らずに頑張ればこうして訪れるのだとすごく感じた瞬間だったので。

  • 優勝を決め歓喜する水沼宏太ら横浜F・マリノスの選手たち

――出場機会を求めてJ2の栃木SC、そしてJ1へ昇格したサガン鳥栖へ期限付きを繰り返しましたが、鳥栖での2年目だった13年に完全移籍へ切り替えました。

そのときは「絶対に帰りたくない、帰るものか」という思いだったし、そこからはF・マリノスに特別な意識はありませんでした。アウェイで行くたびに「かっこいいチームだな」とは思いましたけど、「いつか帰りたいな」とは思わなかったです。

――それが一転して、20年にセレッソ大阪から完全移籍で戻ってきました。

F・マリノスがリーグ優勝した19年のオフに、外から見ていて「やっぱりF・マリノスはすごい」と思っていたときにオファーをいただいて。最初に抱いた正直な気持ちは「何でいま僕なんだろう」でしたが、オファーをもらった事実を改めて考えると、自分のなかでこみ上げてきたのが「めちゃくちゃうれしい」という気持ちでした。昔からサッカー選手になるのならこのチームしかないと、F・マリノスだけを見て育ってきた少年時代だったので。自分のなかでは消していたかもしれないけど、そういう気持ちが心のどこかにあったんでしょうね。昔とは違って自分に対して自信を持った状態でオファーをもらえて、いまならば絶対できるという気持ちで帰ってきたところがあるので。

――その意味で、人生は面白いですよね。

正直、どうなるかわからない、という部分で本当に面白いと思います。じゃあ何ができるかといえば、いまをどれだけ全力でやれるか、自分の最大限の力を出して成長し続けられるか、というのがその人にできることだと思うので。そうした姿勢を続けていれば、縁がなかった景色といったものを見られると、今年は特に感じました。