大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第42回「夢のゆくえ」(脚本:三谷幸喜 演出:末永創)では、義時(小栗旬)がついに執権になり実朝(柿澤勇人)との対立が深まっていった。
義時や政子がよかれと思ってやることがことごとく裏目に出てきた印象で、ところどころくすりとなるようなエピソードが入って緩和されているとはいえ、基本トーンは仄暗い。夢、船、京都……これらが絡み合っていく。それと年齢、裸。
まず夢と船。夢は実朝が頼朝(大泉洋)の正当な血筋であることがわかるモチーフになる。頼朝が上皇様(後白河法皇/西田敏行)の夢を見たように、上皇様(後鳥羽上皇/尾上松也)の夢を見る実朝。この夢と実朝の夢(人生目標)がダブルミーニングになっていて、実朝は聖徳太子にならって船を造って宋に行く大望を抱くことになる。船を造る夢を抱いたきっかけも夢。夢とまったく同じことを、源仲章(生田斗真)が連れてきた陳和卿(テイ龍進)に言われたことからすっかり信じ切ってしまう実朝。じつは仲章あたりが前もって実朝の夢日記を盗み見たのではないか疑惑がある。つまり、京都が実朝をコントロールしているのではないか疑惑である。その象徴が冒頭の上皇様の夢なのだ。
そして実朝の夢の結末はとても哀しい……。夢、船、京都はシリアスパートで機能するモチーフ。お次は年齢、裸。これらは船のエピソードに関わっているがコメディパートで機能する。
「鎌倉で普請といえば八田殿」と泰時(坂口健太郎)に頼まれて、船造りに参加する八田知家(市原隼人)。この大仕事が終わったら隠居すると言うと三善康信(小林隆)が「まだお若いではないか」が怪訝な顔をする。可笑しいのはそのあとだ。「若く見えるがじつはあなたとそう変わらない」と八田は言うのだ。三善はこの頃70代設定。義時はこの頃50歳くらいのはず。いったい八田は何歳なのだろう。
三善役の小林隆は63歳で市原隼人は35歳だが、俳優の実年齢と役年齢がかなり違うことは『鎌倉殿』に限ったことではない。それはそれで構わない。俳優は演じることが仕事。老若男女(?)、様々な役を演じることが醍醐味だ(歌舞伎俳優はとりわけ役の幅が広い)。だがそれにしたって八田は第42回の時点では60代以上のはずだが、「若く見える」と自ら言うように若く見え、鍛えられた体は「隠居」という言葉がまったく似合わない。上半身裸になって船を引っ張る姿は、現実に高齢者でもボディビルをやっていてたくましい人もいるようなものであろうか。その違和感をあえて八田にセリフで言わせてしまう喜劇は市原隼人が真面目に言うからよけいに効果的だった。
どんなにしんどい話でも笑いを忘れないところが『鎌倉殿』の魅力である。第42回は八田がもろ肌を脱ぐだけでなく、三浦義村(山本耕史)も脱いで、喜劇度をいつも以上に乗せて来た印象だった。たぶん、俺も手伝うという気持ちで脱いだという設定なのだと思うが、船を八田と共に引っ張るシーンはなく、ただもろ肌を脱いで立っているだけ。これで十分、面白みが伝わってくるのは、義村、あるいは山本耕史が、前からなにかと脱いでいたから成立することだろう(山本耕史は『新選組!』『真田丸』と三谷大河でなぜか毎回脱いでいる)。八田は「若く見えるが」と言葉にしたが、義村はあえて何も言わずに裸で立っているだけで可笑しみを出す。同じ裸を使った笑いでもいろいろな表現を見せてくれた。SNSでも“筋肉祭り”と盛り上がった。
年齢不詳の肉体自慢でしばし笑ったが、宋船の失敗自体は極めてもの哀しい。実朝がようやく自立して鎌倉を率いていこうと頑張ったものの結果は出なかった。ここに義時と時房(瀬戸康史)が絡んでいて、時房が船の図面の数字を修正する場面も、時房が単にほのぼのキャラではないことを突きつけてくる。泰時がまじりっけない善でいるため、時房は汚れ仕事を引き受ける。そうまでしてなぜ北条家を守らないといけないのだろうか。
政子(小池栄子)は訊ねて来た丹後局(鈴木京香)に平凡な人生で良かったのだと漏らすが、頼朝と結婚しておいて「人並みの人生」を望むことはありえないと指摘する。地方都市・伊豆に生まれ育った政子は雅なものに憧れていただけだったが、それがあとにはひけない大事(おおごと)になってしまった。あとでわかるが、りく(宮沢りえ)は時政(坂東彌十郎)を残して、京都に戻ってしまっている。それだけ京には魔力があるのだ。
「なんのために生まれてきたのか、なんのためにつらい思いをするのかいずれわかるときがきます」と政子に語る丹後局。このセリフはチェーホフの『三人姉妹』にあるものだ。家が没落し、それでも生きていかないといけないと三人姉妹が互いを励ますときのセリフである。
「楽隊の音は、あんな楽しそうに、あんな嬉しそうに鳴っている。あれを聞いていると、もう少ししたら、なんのためにわたしたちが生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、わかるような気がするわ」(訳:神西清)。
これまでシェイクスピアを思い出させるシチュエーションがたびたび出てきたが、今回はチェーホフ。三谷氏はかつてチェーホフを翻案し、三谷版『桜の園』を上演したことがあるのだが、ここでチェーホフを出してきたわけはなんだろう。やっぱりどんなことがあっても生きていかないといけないのだということであろう。どんなに無様でも嘘をついても酷いことをしても。
政子は大江広元(栗原英雄)にも励まされ自分なりに道を模索するが、「母は考えました」という選択がますます実朝と義時の関係を悪くしていく悲劇。実朝と千世(加藤小夏)の男女の仲を超えた関係、時政が伊豆で女性(磯山さやか)に世話されてのんびりやっていることが救いだった。
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