伝説の格闘技イベントとして語り継がれる『PRIDEグランプリ2000決勝戦(2000年5月1日・東京ドーム)』。トーナメント優勝を果たしたのはマーク・コールマン(米国)だったが、もっとも注目を集めた闘いは第2試合(準々決勝)のホイス・グレイシーvs.桜庭和志であった。

  • ホイス・グレイシーvs.桜庭和志、90分の死闘! なぜ、タオルが投げられたのか?

    桜庭和志(左)と90分に及ぶ死闘を繰り広げたホイス・グレイシー。(写真:真崎貴夫)

特例として<15分×無制限ラウンド>で行われたこの一戦は、90分に及ぶ闘いとなる。そして衝撃的な「グレイシーの敗北」。あの時、リング上で何が起こっていたのか?

■東京ドームに漂った独特な緊張感

2000年代に入った頃、総合格闘技イベント『PRIDE』の人気は高まるばかりだった。 もっとも多くファンの支持を得ていた選手は桜庭和志。
『PRIDE.2(1998年3月・横浜アリーナ)』でヴァ―ノン・タイガー・ホワイト(米国)に腕ひしぎ十字固めを決めて勝利すると、一つの引き分けを挟み7連勝。「プロレス界の救世主」とも呼ばれ、時の人となっていた。

1999年11月、東京・有明コロシアム『PRIDE.8』では、ホイスの兄ホイラー・グレイシーにも勝利している。だが、この試合の結末は後味の悪いものだった。桜庭がチキンウイング・アームロックを仕掛けたが、ホイラーはタップせず膠着状態に。試合時間残り104秒の時点でレフェリーは試合を止め、桜庭の勝利を宣した。

当然、グレイシー陣営は猛抗議。これはレフェリーの悪意のこもったジャッジだった。
「レフェリーストップは無し、セコンドがタオルを投入しない限り試合は止めない」との条件のもと行われた試合だったにもかかわらず、それが守られなかったのだ。この一件で、ホイラーのセコンドについていたヒクソンは、PRIDEに対して強い不信感を抱き、ファン待望の「ヒクソンvs.桜庭」は実現に至らなかった。

その数カ月後に、桜庭とホイスがともに体重無差別で行われる『PRIDEグランプリ2000』にエントリー。両雄の対決が多大な注目を集めることとなったのだ。

桜庭は、コンスタントに試合をこなし連勝中と昇り調子。だが、ホイスはこの時の『PRIDEグランプリ 2000』参戦が、『UFC5』でケン・シャムロック(米国)と引き分けて以来、約5年ぶりの実戦。1月のトーナメント1回戦で高田延彦(高田道場)と闘い判定勝利を収めるも、内容的には精彩を欠くものだった。

風は桜庭に吹いていた。
しかし、ドーム内には異様な緊張感が醸される。それは、この試合に関してグレイシー陣営が特別な要求をし、それを桜庭が飲んでいたから。
トーナメントのレギュレーションは15分×1ラウンドだったが、ホイスvs.桜庭だけは完全決着を求めての15分×無制限ラウンドで行われたのである。

  • ホイス、桜庭の両者は互いに慎重に闘い膠着状態が続くも客席からブーイングは起こらない。誰もが勝負の行方を緊張感を持って見守っていた。(写真:真崎貴夫)

■「やめるというのか?」

判定無しのサドンデス・マッチ。
ホイスも桜庭も、互いに相手出方を警戒した。膠着する場面が目立ち、動きが少ないままにラウンドが進む。通常の試合であれば客席からブーイングが起こっても不思議ではない展開だったように思う。だがドーム内は緊迫感に包まれ、観客は固唾を飲んでリングを注視していた。それだけの勝負論を秘めた対峙だったのである。

試合開始から1時間40分以上が経過し、6ラウンド目が終わる。
この時、満員の客席からどよめきが起こった。険しい表情で丸まった白いタオルを握りしめたセコンドのホリオン・グレイシーの姿がオーロラビジョンに映し出されたからだ。その隣で87歳のエリオが淋しげな表情を浮かべていた。

グレイシー陣営で何が起こっていたのか?
ホイスは右足を負傷していた。猪木-アリ状態の間に桜庭のキックを浴び過ぎたことで、それは生じた。
6ラウンドを闘い終え、コーナーに戻った際に彼は呟くように声を発する。
「もう足が…」
後方から首にタオルを当てながらホリオンが言う。
「どうした、駄目なのか?」
「足が痛過ぎる」
「やめるというのか、やめたいならやめろ」
ホリオンの声に怒気がこもる。
「足が…。立っているのがやっとだ。このままではノックアウトになりかねない」
「だからやめるというのか?」
そう口にしエリオに視線を向けた後、ホリオンはタオルを握りしめたのである。
「仕方ないな」
そう言わんばかりの表情で彼はタオルをリング上に静かに舞わせた。

  • 6ラウンド終了後、グレイシー陣営からタオルが投げ込まれた瞬間。(写真:真崎貴夫)

直後にドーム内は、大歓声に包まれる。
「グレイシー敗北」の瞬間だった。

その数カ月後にホリオンと会い、話がホイスvs.桜庭に及ぶと彼は言った。
「こういう日が来ることはわかっていた。UFCの初期、私たちは無敵だった。それは私たちだけがグレイシー柔術のテクニックを有していたからだ。
でも、いまは違う。ファイターなら誰もが柔術を学ぶようになった。多くの者が、柔術を身につけ強くなったんだ。ホイスの結果は残念だったが、グレイシー柔術が他の競技に負けたわけではない。父エリオが作り上げたグレイシー柔術の勝利だ」

ホイスは私に、こう話した。
「言い訳をするつもりはないよ。右足を骨折して闘えなくなった私の負けだ。でも、サクラバには負けたままで終わりたくない」

その7年後の2007年6月、米国ロスアンジェルスのメモリアル・コロシアムで開かれた『Dynamite‼ USA』でホイスは桜庭との再戦に挑む。ともに全盛期を過ぎていたが、この時はホイスが3-0の判定で勝利しリベンジを果たしている。

文/近藤隆夫