福岡県北九州市は1963(昭和38)年、旧門司市・小倉市・戸畑市・八幡市・若松市の5市対等合併により誕生した。北九州市は県庁所在地の福岡市より早く政令指定都市に移行するなど、かつて福岡県のみならず九州の政財界をリードする存在でもあった。

  • 創建時の姿に復原された門司港駅の駅舎。噴水広場では、1時間ごとに噴水から放水するシーンを見ることができる

旧門司市は明治期から東アジアの玄関となり、とくに門司港は輸出港として大いににぎわいを見せた。戦後、中国との貿易・交流などが絶たれたこともあり、門司港は勢いを失ったが、合併後の北九州市全体は工業都市化が進展した。しかし1980年代になると、勢いに翳りが見え始める。

こうした流れから、北九州市は主要産業の第3次産業化を進める。門司港エリアでは、1988(昭和63)年に門司港駅が国の重要文化財に指定されたことを受け、門司港一帯を観光地へと再整備する機運が高まった。

門司港周辺には、明治期に建てられた官公庁舎や民間企業のオフィス、駅舎などが往時の姿をとどめている。これらを観光資源として、「門司港レトロ」の名の下にPRし、観光業の振興が図られていった。北九州市役所には「門司港レトロ課」という部署まであり、門司港観光が市の基幹産業になっていることを物語っている。

  • 復原工事前の駅舎(2010年撮影)。現在とは外観の細部が異なる

  • 駅前の噴水広場にあった鉄道の壁画(2010年撮影)

  • 門司港駅の復原工事は6年半に及んだ。現在、駅舎の2階で「みかど食堂 by NARISAWA」が営業している

門司港駅のホームや駅舎なども往時の面影を伝えている。2019年に復原工事を終えた駅舎の2階では、老舗レストランを再興した「みかど食堂 by NARISAWA」が営業中。かつての「みかど食堂」は、日本で初めて食堂車を運行した山陽鉄道(現在の山陽本線)で料理を担当。それほどの歴史を有する老舗レストランの味を門司港で楽しめる。一方、庶民の味として、焼きカレーが門司港一帯で人気を博している。焼きカレーを目玉にしている店もあちこちで見かける。

明治期から商社が支社・営業所などを構えていた影響もあり、門司港周辺には現在もハイカラな建物が点在し、街並みはどことなく異国情緒の面影をたたえている。現在、北九州銀行門司支店となっている建物は旧横浜正金銀行門司支店で、建築家として活躍した桜井小太郎が設計した。旧門司税関は、焼失した庁舎を1912年に再建した建物で、すでに税関の役割を終えているものの、110年もの歴史を有しているだけあって風格がある。

  • 北九州銀行門司支店。旧横浜正金銀行門司支店の建物をそのまま使っている

  • 旧大阪商船の社屋。赤レンガの外観や八角の塔が特徴

  • 外観を改修中の旧門司三井倶楽部。レストランは営業中

旧門司三井倶楽部は、三井物産の社交クラブとして建築された洋館。現在は外観の補修工事中だが、内観も明治期の文明開花をほうふつとさせる雰囲気を放っている。旧門司三井倶楽部の館内はレストランになっており、一般利用も可能。懐かしくも高級感が漂うレストランで味わう料理は格別な体験となるだろう。

門司は対岸の山口県下関市との交流も盛んで、その歴史は長い。晴れた日は門司港から下関の街並みが肉眼ではっきりと見えるほか、建築家・黒川紀章がデザインした高層マンション「門司港レトロハイマート」の31階にある展望室から関門海峡を見渡すこともでき、山口県を身近に感じられる。

  • 門司港から下関方面を望む。正面に関門橋が見える

  • 関門海峡が見渡せる高層マンション「門司港レトロハイマート」。31階は展望室になっている

  • 門司港はバナナの叩き売り発祥の地とされる。そうした由緒から、「バナナマン」と呼ばれるキャラクターと一緒に写真を撮影できるスポットがある

門司港駅は行き止まりの駅だが、貨物支線が駅の先までつながっており、2004年まで貨物列車が行き交っていた。貨物輸送が廃止される前から、この路線を観光鉄道として活用する議論が始まり、2006年、イベント的にトロッコ列車が運行された。トロッコ列車の運行は門司港の観光地化にもひと役買うことになり、2009年から正式に貨物支線で観光列車が運行されるようになった。

トロッコ列車の運行は平成筑豊鉄道が担当。愛称はネーミングライツを導入し、「やまぎんレトロライン」と名づけられた。「やまぎん」は山口銀行の略称で、北九州市では地域の金融機関として知られていた。こうした点からも北九州市と山口県の深いつながりを感じさせたが、その後、山口銀行は地域貢献・地元密着といった方針から、2011年に北九州周辺の店舗を北九州銀行へと転換。これにともない、トロッコ列車の愛称も「やまぎんレトロライン」から「北九州銀行レトロライン」に変更された。

  • 貨物支線を活用してトロッコ列車を運行。観光地化にひと役買っている

  • 北九州銀行レトロラインの九州鉄道記念館駅

  • 九州鉄道記念館は2003年に開館

  • 中央ゲートの隣に九州で活躍した電車・機関車(485系、ED76形、EF30形)の前頭部が展示されている

門司港駅から「北九州銀行レトロライン」に乗車する場合、門司港駅に隣接する九州鉄道記念館駅からの乗車になる。門司港駅は明治期から鉄道の要衝だったこともあり、駅周辺に鉄道関連の施設が多く、それらを活用する形で2003年に九州鉄道記念館がオープンしている。鉄道博物館(さいたま市)や京都鉄道博物館(京都市)と比べてこぢんまりとした印象は否めないものの、赤レンガの建物や懐かしさを感じさせる車両展示から、門司が鉄道の街だったことを実感できる。

門司港レトロ地区を訪れる観光客は年間220万人前後を記録していたが、新型コロナウイルス感染症の影響を受け、外国人観光客は消失。国内観光客も激減している。いまだコロナ禍の後を引きずっているが、それでも鉄道・料理・洋風建築など、門司港レトロは見所満載。再び活気が戻ることを期待したい。