大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第35回「苦い盃」(脚本:三谷幸喜 演出:保坂慶太)。BSの“早鎌倉”(本放送より早くに放送されているものの呼称)からネットをざわつかせたのは、大竹しのぶだった。
あまりにふいの大物女優の登場。それもサプライズゲストババーン! というような雰囲気ではなく、ごくごくさりげなく存在していて、一瞬、誰かわからないほどだった。
占いが当たると評判の歩き巫女のところへ和田義盛(横田栄司)が実朝(柿澤勇人)と泰時(坂口健太郎)と鶴丸(きづき)を連れていく。その歩き巫女が大竹しのぶ。この手の老婆を演じるときの俳優はいかにもあやしい雰囲気を醸すという先入観を視聴者は持ちがちだが、大竹が演じた歩き巫女は特殊メイクという足し算をしながらもどこか引き算の魅力があった。名優・大竹しのぶのオーラをベールに隠し、この時代の生活に溶け込んで、たくましく生きている生活者そのものに見えたのだ。でもどこか不思議なところがあって、泰時と実朝に意味深な予言をする。泰時には「双六」、実朝には「雪」。とても重要なキーワードを語る。
大竹しのぶが変にエキセントリックに見せないからこそ、終盤、悩む実朝に語りかけた言葉が実を伴って染みた。
鎌倉殿としての自分の存在意義みたいなことを悩む実朝は、歩き巫女に「悩みは誰にもある」「はるか昔から同じことで悩んできた者がいることを忘れるな」と言われて涙ぐむ。いい場面だった。
このセリフ、三谷幸喜氏のミュージカル『日本の歴史』を観た人にはピンとくるものだ。『日本の歴史』は卑弥呼の時代から太平洋戦争までの1700年もの長い日本の歴史をミュージカル仕立てにしたもので(平清盛も源頼朝、義経も、織田信長、明智光秀も、西郷隆盛も出てくる)日本と並行してテキサスの移民の歴史も描く壮大な内容だった。そこで歌われる楽曲のフレーズにも“はるか昔から同じことで悩んできた者がいる”ということが若干言葉が違うものの、ここぞという場面で繰り返し歌われる。『いつかどこかで』『家族の歴史』というタイトルの曲で。作詞は三谷氏である。その歌によって、卑弥呼から太平洋戦争、テキサスの移民、開拓の歴史のなかで繰り返されてきたことが浮き上がってきて、時代も場所も違っても人が抱える宿命のようなものに思いをいたすようになっている。
『鎌倉殿の13人』が普遍性を帯びたこと、誰かの人生がたとえ悲しいことになったとしても決して無駄ではなかったという弔いの物語にもなっているようにも感じる。
『日本の歴史』でこの重要なフレーズを歌う俳優は、『鎌倉殿』で最近登場した藤原兼子役を演じているシルビア・グラブと実衣役の宮澤エマ。ほかに、劇中、『鎌倉殿』では全成を演じた新納慎也も徳川家茂役で歌っている。占いをやっていて、序盤、頼朝(大泉洋)と源一族の運命をさりげなく予言していた全成に変わる存在としての歩き巫女というのも心をくすぐられる。新納慎也本人がTwitterで『日本の歴史』について言及していたが、この舞台の歌にハマり、CDも購入し繰り返し聞いていた筆者が詳しく解説してみた。
この歩き巫女、以前、出てきた比企尼(草笛光子)と対比にもなっていると感じる。比企尼は頼朝の乳母で権勢を誇ってきた人物で、比企が滅ぼされたときもたくましく生き延びた。第32回のラストにふらりと登場し、のちの公暁こと善哉に北条を許すなという呪いのような言葉を残している。このときの比企尼はいかにも『シンデレラ』や『白雪姫』や『眠れる森の美女』などの童話に出てくる老婆の魔女ふうで怖かった。それを草笛光子が鮮やかに演じていた。これはこれで様式美として素敵であった。
いたいけな少年に憎悪を植え付けた比企尼と、悩む若き将軍に思考を促した歩き巫女。童話によく出てくる黒い魔女と白い魔女のようである。歩き巫女は『眠れる森の美女』のオーロラ姫についている妖精のような雰囲気。今後、実朝と公暁は史実ではやがて大きな事件で交わることになる。その布石が着々と打たれているのを感じてわくわくする。
三谷氏の物語は昔ながらの物語の構造に則っていて安心できる。それでいて古びず、誰もが楽しめる。
すっかり歩き巫女一色のようだった第35回だが、義時(小栗旬)と畠山重忠(中川大志)のやりとりも印象的。執権として権力を乱用している印象の時政(坂東彌十郎)と重忠が対立。義時はそれをなんとか収めようとするが、家族の血が判断を迷わせる。酒を酌み交わしながら義時の心を覗き込もうとする重忠に「それ以上は」「それ以上は」と2度繰り返す義時の苦さ。この重要な会話場面の一部をふたりの背中で見せたことが注目に値する。
背中でも伝わる小栗旬と中川大志の重み。演出は保坂慶太氏。ちなみに保坂演出は泰時が生まれた回――つまり上総介(佐藤浩市)が双六中に暗殺された第15回を担当していた。物語上関係ある回を同じ演出家が手掛けているところにも信頼感を覚える。
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