『金閣寺』みたいな文学的な響きのあるサブタイトル「修善寺」。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第33回(脚本:三谷幸喜 演出:末永創)は内容も多層的で重厚で、SNSではサブタイトルについても「修善寺って終善児か」「『修善寺』まさかの『終善児』」などと話題になった。
修善寺に幽閉された源頼家(金子大地)の死と、長らく暗殺者として雇われていた身分の低い善児(梶原善)が同時に亡くなる。猿楽舞の行われるなかでの殺戮は血なまぐさく、そしてあまりにも人間くさい、因果応報の絵巻だった。
善児とは何だったのか。筆者はそこに『リア王』の道化を見た。それは後述するとして、まずは物語をおさらいしていこう。
修善寺、それは因縁の場所。かつて、頼朝(大泉洋)が蒲殿こと範頼(迫田孝也)を幽閉した末、暗殺した場所である。手を下したのは善児。そのとき蒲殿と一緒にいた夫婦も殺したが、娘・トウ(山本千尋)だけは見逃して、暗殺者に育てあげた。
頼朝と八重(新垣結衣)の子・千鶴丸は殺してしまった善児だが、なぜかトウ、そして、一幡(相澤壮太)は生かす。一幡は泰時(坂口健太郎)の頼みで匿い、義時(小栗旬)に殺せと言われると渋るのだ。結局は殺すしかなく、でも家にお墓らしきものを作っている。盛り土の上に木の芽が生えてきているのが命の循環を感じた。いい風に回ればこうして命は再生するし、悪いほうに回れば源平合戦のような復讐の連鎖、あるいは北条がやっている覇権争いのようなことになる。
最強殺人マシーンのようだった善児に徐々に人間らしい心が備わってきたという、まるでロボットに心が生まれる寓話のようだが、人間化したというよりは、もともと、雇用主の言うことを確実に行う、任務に忠実な職人のような人物だったのではないだろうか。きっとずっと腕を磨いていただろう。だからこそトウもあれほど辣腕に育ったに違いない。
その善児が、義時の命令に背き泰時の頼みを聞いて一幡を守っていたのはなぜか。泰時のなかに義時の心の一部を感じたからではないか。
善児の家には、亡き兄・宗時(片岡愛之助)が持っていた石の入った袋があって(義時、中身を本当に見ていなかったのだ、第29回の“間”はミスリードだったようだ)、兄の仇をとりたいけれど、義時は「私に善児が責められようか」と言うのだ。義時は善児にも自分を見ている。泰時はまだ純粋だった義時、善児は任務を遂行するしかない義時。時房(瀬戸康史)が「兄上にとって太郎とは真逆でありたい」といい感じのことを言っても、義時が上の空だったのは、真逆な人物はすでにいて、それが善児だったのだろう。
頼家を殺すことを決意し、善児にその仕事を依頼する義時の目は一切光のない真っ黒だった。
だがまだ救いがある。義時が15年ぶりに運慶(相島一之)と再会したとき「おまえ悪い顔になったな」と指摘されるもののまだ迷いのある表情だと励まされる。
「その迷いが救いなのさ」「悪い顔だがいい顔だ」と運慶が言うように人間はまだらなときがいい。白過ぎるのでもなく黒過ぎるのでもなくどちらも混ざってまだらのほうが深みがある。
迷いが生まれたことで善児は任務に失敗し、これまでの報いを受けた。頼家は最後まで抗ったものの命を落とす。これはもう親の因果が子に報い~の世界である。トウの父母が善児に殺された地・修善寺で善児は人生を終える。まさに因果はめぐる。
ラストの大立ち回りはかっこよかった。梶原善は、三谷幸喜氏の東京サンシャインボーイズの劇団員で、ウェルメイドのシチュエーションコメディが得意なイメージがあるが、活劇に定評のある劇団☆新感線にも多く出演していて、そこでは殺陣をやっているのだ。アクションもいける俳優なのだと筆者は新感線で知った。『鎌倉殿』ではたぶん、最も梶原の魅力を知り尽くしている三谷氏が梶原のこれだけ華麗なアクションを書いたことが意義のひとつであると感じる。
てっきり、これからまだまだ続くはずの北条家のための殺人は善児が関わってくるものだと思っていたが、意外と早い退場に驚いた。
前述したように善児の退場は『リア王』の道化を思わせる。三谷氏が2024年に予定している東京サンシャインボーイズ30年ぶりの公演『リア玉』ではなくシェイクスピアの『リア王』である。この『リア王』には謎があって、序盤、リア王に付き従いながら、唯一、王様に本音が言える道化がいるのだが、中盤、ふいにその道化は出てこなくなるのだ。なんの前触れもなく急に、ただいなくなる。そこから物語は転調していく。
第20回で、義時と善児が共に出かけたとき、第28回で、善児が梶原景時(中村獅童)から義時の部下になったとき、義時と善児にどこかリア王と道化のような関係性を感じた。身分の違いはあるが、任務に忠実だという点で2人は似ている。彼らにとって誰かを殺すことは善悪とは無関係な、自分に課せられた職務なのだ。その任務をいかに適切に遂行するか、それが彼らが重要視していることである。でもこの頃、義時はまだ完全に任務のために非情になりきれず、善児は完璧にそれをやっていた。
善児が消えたとき、義時はいよいよ覚悟を決めるのだろう。それがあの真っ黒い光のない瞳に象徴されている。
さて、第33回の冒頭、実朝(嶺岸煌桜)に例の髑髏が渡され、鎌倉殿の代替わりが行われた。誰のものかわからないインチキ髑髏を伝承していくことで鎌倉殿の系譜は胡散臭さが高まる。どんなに気取ってもインチキの上に成り立っているのである。髑髏を頼朝の父・源義朝のものと言って持ってきたのは文覚(市川猿之助)だが、利用したのは政子(小池栄子)で、最初から政子が中心になって源氏にある意味寄生して来たのだ。北条の家を守るために。髑髏は純粋過ぎてやばい家族愛の象徴である。それを乱す頼家は殺され、トウは善児を「父の敵、母の敵」として恨みを晴らした。
家族を守るための北条家の大芝居、始めてしまった以上、止めることはできない。最後までやり切るために劇団北条は頑張らないといけないのだ。
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