泰時「そこまでして北条の世を作りたいのですか」 義時「当たり前だ!」 義時(小栗旬)が腹をくくる。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第31回「諦めの悪い男」(脚本:三谷幸喜 演出:保坂慶太)では、比企能員(佐藤二朗)が消えた。北条家的には大きくポイントを稼げたことだろうが、視聴者的には大きな損失。これでもう『鎌倉殿』で佐藤二朗の演技を観ることはできないのが残念だ。

  • 『鎌倉殿の13人』北条義時役の小栗旬

鎌倉殿・頼家(金子大地)が倒れ、次の鎌倉殿を狙って北条家と比企家の争いが激化。鎌倉殿候補の図が親切でわかりやすかった。それによって北条と比企のみならず三浦義村(山本耕史)も権力争いの俎上に上がってきたのがわかる。悪びれず頼朝の書付を何枚も捏造する、調子の良さ。「俺はどっちの側でもない。俺は俺だ」と八田知家(市原隼人)のクールさが印象的。

男たちだけでなく、女たちもひそかに張り合っている。頼家を丈夫に生んであげられなかったと責任を感じる政子(小池栄子)に、乳母の道(堀内敬子)が「私です」と自分の育て方を悔いる。もちろん政子に悪いという責任感からとは思うが、育てる機会があまりなかったことを残念に思っている実の母の前では言い方を考えないといけない。そのときの政子の複雑な顔。こういう微妙な感情のあやが積もり積もって悲劇を呼んでしまうのだなあと、常に他者への思いやりを持つことの大事さを感じた1場面だった。

そうこうしていると、鎌倉殿候補である全成(新納慎也)の息子が殺され、比企の手によるものと感じた北条家はいきり立つ。昔は権力を手にするためには、邪魔になる者は一族郎党滅ぼしてしまうことが当たり前だった。なんて殺伐としているのだろう。

政子に一幡を殺さないでと頼まれても、こっそり泰時に、戦になったらまっさきに殺せと命じる。比企と戦をすることもこのときもう織り込み済みだ。

「思えば頼朝様は正しかった。敵を容赦せず、常に先に仕掛けた」と頼朝のやり方を踏襲していこうとする義時。どんどん非情になっていく義時のおもしろさは、頼朝に仕えていたときはその非情さに困惑していたが、徐々に頼朝に影響されて、いまや、腹をくくっているところ。残酷なことをしているとわかっていながら、最適な選択をし、それを確実にやり遂げる、職能の高い人物なのである。人間が感情を抑制していく、ある種マシーンのようになっていく様子が興味深い。小栗旬の表情が徐々にかちっと固くなっているのが見てとれる。

義時の妻・比奈(堀田真由)に実家・比企家を探りに向かわせる。どう考えても、比企だって用心するように思うのだが、それはともかく、こういう状況に胸を痛める泰時(坂口健太郎)の純粋さに、「人は変わるもの それでいいのではないですか」と比奈は微笑むだけ。

泰時「そこまでして北条の世を作りたいのですか」義時「当たり前だ!」 もはや義時には北条の世を作ることしか頭にない。走り出したからはもう止められないという感じ。そのためには父・時政(坂東彌十郎)を担がないとならない。

まだ完全には腹をくくれていない義時に代わり、能員と話に行く時政。このときの2人の腹のさぐりあいのような会話は見応えがあった。大人の男、渋い2人の表情をたっぷり見せる保坂慶太演出。保坂氏は俳優の熱量を大事にする演出家なのだ。ラストの義時が歩くシーンもぐっと迫るものがあった。脚本や俳優の能力を正しく見せてくれる信頼の演出家。

時政に呼び出され危険も顧みず1人で出向く能員。ここでその前の2人の会話が効いてくる。時政のさりげない言葉によっておそらく能員は、自分の勘はわりと正しく、時政はそれなりに自分を認めていると思ったのではないか。前述した政子と道も然り、かすかなジャブが人間の心に影響を意外に及ぼすものなのだ。

能員を討つ気満々の北条家。「坂東武者ってのはな 勝つためならなんでもする。名前に傷がつくくらい屁でもねえさ」とにやりとする時政が清々しい。

事前に義村に根回ししていた能員だが、比奈の暗躍によって裏切られる。ことごとく、予測が外れる能員。残念。ここで注目したいのは、能員は丸腰で来て、北条を信じているように見せて、直垂の下に甲冑を一応身につけているという、やっぱり姑息な人物だということだ。

「その思い切りの悪さがわしらの命運を分けたんだ」と時政。確かに、何かと姑息で、プライドばかり高いのが比企家で、対して北条家はなりふりかまわない。

「そのおぞましい悪名は永劫消えまいぞ」なんて呪詛を吐く能員に対し、義時は淡々としている。彼の一幡への対処も、淡々としているから余計に悲痛に感じる。行方知れずということにしていると政子に言うのは、八重と頼朝の子・千鶴丸のときのようだ。

北条に比企館を攻められたとき、夫に代わって「兵を整え、迎え撃て」と毅然と命じる道がかっこいい。けれど、争いはただただ虚しい。物語としては、ずしりと手応えがあって面白く、闘いの虚しさと物語の面白さが絡み合って得も言われぬ快楽になっている。

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