日本テレビ系ドキュメンタリー番組『NNNドキュメント’22』(毎週日曜24:55~)では、「被爆体験者」の闘いを伝える『「体験者」じゃない被爆者だ!! ~長崎 置き去りにされた私たち~』(長崎国際大学制作)を、きょう21日に放送する。

  • リハビリを続ける松田五十鈴さん(手前)と、妻の輝美さん

1945年8月9日、長崎で原爆に遭いながらも「被爆者」だと認められない「被爆体験者」と呼ばれる人たちがいる。「被爆者」と認定されれば医療費は全額支給されるほか、各種医療手当の支給対象となるものの、被爆体験者への医療費は精神疾患とその合併症に限られるなど、大きな差が生まれている。

体験者たちは、07年以降に集団提訴。最高裁で敗訴したが、その後再提訴し、訴訟は続いている。広島では今年4月から、原爆投下直後に降った「黒い雨」に遭った原告全員が勝訴した昨年7月の判決が確定したのを機に、被爆者としての救済対象が広がり、被爆体験者は“二重の差別”に直面している。

原告の濵田武男さん(82)が原爆に遭った旧矢上村かき道(現・長崎市)も被爆者とは認められない地域だ。飲み水など生活に使っていた水を汲んだ井戸には灰が降り積もっていて、「当時は体に悪いとは知らずに飲んだ」。

交付されている手帳「被爆体験者精神医療受給者証」には「あなたが原爆投下時にいた場所は、原爆の放射線による直接的な身体への健康被害はないことが確認されています。当時、光、爆風又は熱を体験したことがあっても、原爆の放射線の直接的な身体への影響はありませんので、ご安心ください」と記されているが、皮膚がんや不眠などを患い、薬なしでは生活できず「安心できない」と憤る。

一緒に裁判を続けて来た同級生は全員亡くなり、「1人ぼっちになってしまった」と語る濵田さん。今年3月、上京して厚生労働省の担当者と面会、岸田総理にあてた被爆体験者の早期救済を求める要請書と、全国から集まった約30万筆の署名を手渡した。認めようとしない国に「我々が死ぬのを待っているのか」と憤る。

「被爆地域」と、そうでない地域の“線引き”は当時の細長い行政区域に従い、南北は約12キロだが、東西は約7キロ程度にとどまる。長崎市式見地区では川一本で分断され、明暗が分かれた。

松田五十鈴さん(84)、輝美さん(78)夫妻はいずれも式見地区の被爆体験者の地域で原爆に遭った。輝美さんは若い頃に2回流産、16年前には卵巣がんも患っていて、「がんがいつ再発するかもわからない」と不安もある。兄は45歳の若さで多重がんで逝った。「原爆の影響では」と感じている。五十鈴さんは、長崎出身だという理由で就職で差別を受けた。2年前には脳梗塞で倒れ、右半身に麻痺が残り車椅子生活を送りながら必死にリハビリを続けていて「悔しい。原爆さえなかったら」と吐露する。

長崎県と長崎市が99年度に行った証言調査の対象者は8,700人。このうち黒い雨や灰など放射性降下物、内部被ばくに関する記述2,034件、黒い雨だけでも129人に及ぶ。しかし、「科学的、合理的根拠」を求めて来た国は、黒い雨訴訟で敗訴が確定したにもかかわらず、長崎に対して「客観的資料」がないとして、被爆地域拡大に消極姿勢を崩していない。

「唯一の戦争被爆国」を掲げながら核被害に向き合おうとしない国と、そこに黒い雨の判決に希望を見出し「差別は許さない」と挑む「被爆者」たちの姿を伝えていく。