故・橋田壽賀子さんが脚本を手掛けた名作ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS)が、初めて朗読によって蘇る。一般財団法人 橋田文化財団の公式サイトとSpotifyにて8月3日より配信される予定だ。朗読を務めたのは、元NHKのアナウンサーで、女性として初のアナウンス室長になった山根基世。NHK退職後は、フリーアナウンサーとしてさまざまな事柄を“言葉”として伝えてきた彼女は、本作の朗読を「アナウンサー人生の最後の挑戦」と位置づける。圧倒的なセリフによる群像劇を、たった1人で表現するという壮大なチャレンジ。過去には『半沢直樹』(TBS)などのナレーションも務めていた山根が挑戦の意義を語った。
今回山根が挑んだのは、1990年に放送された第1シリーズの第2話の台本。『渡る世間は鬼ばかり』シリーズの顔ともいえる人物たちがそろって登場する。山根は「これまでいろいろな小説や作品を朗読する機会はありましたが、セリフが出てくると、その人物の心情を考えながら読むんですね。でも『渡る世間は鬼ばかり』は、ほとんど登場人物のセリフで成り立っている物語。しかもそのセリフ一つ一つが、マグマのような思いがこもっているんです。こんな作品の朗読はいままで経験したことはありませんでした」と苦笑いを浮かべる。
確かに『渡る世間は鬼ばかり』はさまざまな人が登場する群像劇だ。しかもいわゆる会話劇の様相を呈している。山根は「岡倉家の節子さんや小島家のキミさんなど、それぞれ怒りを抱えている母親なのですが、みんな微妙に思いは違う。その特徴をつかんで声で表現していくのは曲芸みたいなもので、これはすごい実験。無理じゃないかなと感じていました」と不安も多かったというが「でも私のアナウンサー人生最後の挑戦だなと思ってチャレンジしてみました」と覚悟を持って臨んだという。
収録現場に立ち会ったが、ト書きを含め複数いる登場人物を声だけで表現するのは、まさに匠の技だ。そこで助けになっているのが、ドラマでキャラクターを演じた俳優たちだという。「やっぱりキミさんだったら(演じた)赤木春恵さんの顔を、節子だったら山岡久乃さんの顔を思い浮かべると、感情が乗りやすくなります。普通の朗読の場合も、イメージする人の顔を思い浮かべて読むと、うまく表現できることもあるんです」。
■映像作品とは別に「音として記録されることはとても意義がある」
30年前に放送されたドラマの台本だが、いまこうして朗読しても、古さをまったく感じないという。山根は「その時代ならではの感情というものを的確につかんだ台本なのですが、突き詰めていくと人間が持つ普遍的な感情であり、いつの時代でも人の心に届くんですよね」と語ると「キミさんなども一見すると理不尽なことを言っているように感じますが、そこにあるのは子供が可愛いという思いだったり、ちょっと嫁は憎たらしいという気持ちだったり。でもどんな感情も家族を愛する思いなんですよね」と橋田さんの描く人物の魅力を述べる。
今回、自身が「無理じゃないかな」と思いながらも、こうしたチャレンジに賛同した思いはどこにあったのだろうか――。山根は橋田文化財団の評議員も務めている。「私は『飛鳥』という客船で橋田先生とご一緒したことがあったんです。私は講師の仕事で乗っていたのですが、そのとき橋田先生が声をかけてくださり、行く先々の寄港地でも、とてもよくしていただきました。いつか恩返しをしたいなと思いつつ、先生が亡くなられてしまって。だから何かできればという思いがあったんです。本当に神様が与えてくれた機会かなと思いました」と語る。
さらに山根は「もちろん映像作品はたくさん残っていますが、それとは違って、橋田先生という脚本家がいたということを声で記録することが大事だと思ったんです。先生がお書きになった文字が、音として記録されアーカイブになっていくというは、とても意義のあることですよね」と思いを吐露した。