大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)第28回「名刀の主」(脚本:三谷幸喜 演出:安藤大佑)では、若き鎌倉殿・頼家(金子大地)を補佐する13人の御家人たち、北条時政、北条義時、安達盛長、三浦義澄、和田義盛、梶原景時、比企能員、足立遠元、八田知家、大江広元、三善康信、中原親能、二階堂行政のなかからさっそく1人減った。梶原景時(中村獅童)である。“梶原殿と66人”ともいえる回だった。キーワードは「忠臣は二君に仕えず」。

  • 梶原景時役の中村獅童(左)と北条義時役の小栗旬

景時もそうだが、頼家に対しても、「蜘蛛の糸」ではないが1人だけ上に行くのは許さないから邪魔してやれと、こぞって引きずり落とそうとしているように見える。優秀過ぎても嫉妬されるし、信頼されない言動をとるとたちまち憎まれるし、うまく立ち回ることは本当に難しい。

18歳で鎌倉殿になった頼家が政(まつりごと)を1人で行えないのも無理はない。悔しくて涙する姿(第27回)は視聴者の同情を誘ったものの、女性関係がだらしないのが困りもの。安達盛長(野添義弘)の息子の嫁が気に入って譲ってくれとわがままを言うが、承服できないと断られた挙げ句、涙ながらに「お父上を悲しませてなりませぬ」と訴えられると怒って、首をはねると言い出す頼家。頼朝(大泉洋)以上に暴君である。

政子(小池栄子)にも義時(小栗旬)にもガツンと言われ、また涙目になる頼家。暴君ながらきれいな瞳に涙が滲むと、根っからの悪人ではなく、責任はやたらと重いがうまくできないし誰からも認めてもらえなくて追い詰められた末、女性に逃げているような印象である。

実衣(宮澤エマ)が姉・政子(小池栄子)を超えたくて琵琶を習っていたと言っていたことにも近いものを感じる。

「父上も同じことをしてきたではないか」と不満げな頼家。同じこととは、粛清と浮気。そんなところばかり二代目が真似するのも残念な話である。

安達との件で御家人たちが頼家離れを起こしたため、景時は見せしめに、頼家への不満を口にした結城朝光(高橋侃)の命を奪うと言いだす。景時はあちこちに手の者を放って情報を仕入れていた。そのなかに善児(梶原善)もいた。朝光が仁田忠常(ティモンディ・高岸宏行)と話していたらいつの間にか善児になっていたので、仁田が殺されてしまったのかと思った視聴者もいたのではないだろうか。

朝光が「忠臣は二君に仕えず」と言った言葉尻を拾って頼朝に殉じるように言う景時を止めるために、義時は13人衆に入っていなくてしがらみの薄い三浦義村(山本耕史)に調整を頼む。

義村は署名を御家人から集めることにする。この署名に、史実だと時政(坂東彌十郎)の名前がない謎を、三谷幸喜氏はみごとなアイデアで説得力があってかつおもしろく、りく(宮沢りえ)の見せ場になるエピソードに仕立てた。八重の件も、頼朝の件も、三谷氏の空白部分の埋め方はいつもじつに見事だ。

67-1(時政分)で66人が反発したため、謹慎処分を命じられた景時を後鳥羽上皇(尾上松也)が京へ呼ぶが……。

ここで驚くべき事実が明かされる。朝光の一件はどうやら義村が景時を陥れるための謀だったのだ。朝光と義村が話しているとき、実衣(宮澤エマ)が物憂げに琵琶を爪弾いているが、朝光にすこし好意的だった実衣もうまく利用されていたということだろうか。景時と善児、義村と朝光、熾烈な情報戦は景時の負けに終わった。たぶん、ここに義時も関わっていると推測する。

このまま景時も負けてはいない。一幡を人質にして京に向かおうとする。が、それをまた義時が止める。

「刀は斬り手によって名刀にもなまくらにもなる。なまくらでは終わりたくなかった」と言って去っていく景時。「忠臣は二君に仕えず」と思っていたのは景時のほうだったのだろう。頼朝となら自分は名刀になれたが、頼家では自分を使いこなせないと諦めたのだと思う。

景時は義時に「我らは坂東武者のために立ち上がったのだと。源氏は飾りに過ぎぬと。忘れてはおらぬな」「己の道を突き進め」と置き土産として善児を置いていく。

善児が人気のため、彼を名刀になぞらえSNSは盛り上がったが、忘れてはいけないのが、義時にとって「忠臣は二君に仕えず」的な信念は「坂東武者のため」であり「源氏は飾りに過ぎぬ」ということ。義時がなんのために暗躍しているかといったら、けっして鎌倉殿のためではないだろう。坂東武者のためであることをここで景時は明らかにしているのだ。

義時は景時が流罪先ではなくこのまま京都に向かうからそこで討ち取ると頼時(坂口健太郎)に言いつける。それはせめて景時を亡き頼朝の名刀として最期を迎えさせる配慮であったとも言えるのではないか。

やっぱり義時はうまいことやってるように見える。何かと失敗していて優秀過ぎるようには見えないし、みんなにいい顔をしているので嫌われはしない。でしゃばり過ぎず、面倒な仕事を引き受け苦労しているようにも見える。これを意識してやっているとしたら義時はなかなかの人物である。

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