フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)で、10日に放送された『泣き虫舞妓物語2022 ~夢と希望と涙の行方~ 前編』。京都で舞妓修業する少女たちを追った作品で、きょう17日にこの「後編」が放送される。

取材したのは、京都の花街・上七軒のお茶屋「大文字」を、約20年にわたって追ってきた市川雅康ディレクター(コーテック)。舞妓・芸妓たちの知られざる日常までを見つめ続け、「本当に大変な世界だと思います」と語るが、そこには厳しい稽古に一生懸命打ち込むからこそ受け継がれる伝統の魅力があるという――。

  • 『ザ・ノンフィクション』が密着した舞妓の寿仁葉(じゅには)さん (C)フジテレビ

    『ザ・ノンフィクション』が密着した舞妓の寿仁葉(じゅには)さん (C)フジテレビ

■信頼を築いて寝起きの撮影も「どうぞどうぞ」

市川Dが大文字を取材することになったのは、当時のチーフプロデューサー・味谷和哉氏と京都をテーマにドキュメンタリーの題材を考える中で、「舞妓さんや芸妓さんのいる花街は、全く知らない世界でハードルが高そうだけれども奥が深いのではないかということで、いろんな花街をリサーチする中で、僕が巡り合ったのが、大文字さんだったんです」という。

京都の花街を取材するのは、表玄関からノックしてできるものではない。「ものすごくつながりを大事にする世界なので、まずお茶屋の大文字さんを良く知る方に、仲介をお願いしました。そのときに、大文字の女将さんや、当時いた2人の舞妓さんが非常にフランクでざっくばらんで、ここなら面白いドキュメンタリーが撮れるのではないかと思いました」と、密着を進めることになった。

しかし、「最初の頃はビビってました(笑)」と本音を吐露。

「一見さんお断りで、ハードルが高そうな知らない世界じゃないですか。それに、花街に詳しい方々にいろいろ話を聞いていて、『花街では作法を間違えると、すぐ扉が閉まる(=取材NGになる)』と言われていたんです。例えば、取材のお願いをするのに、電話や手紙、今ならメールでOKを頂くなんてことはなくて、足を運んでお願いをするのが当たり前。そして、取材が終わったときも、すぐにお礼に伺うのが当然の世界です。お願いするときだけ伺って、お礼には行かずに簡単に済ますというのは、考えてみればおかしなことです。これは取材に限らず、花街の皆さんが日常的にやっておられることで、そういう当たり前のことができないと、礼を失することになって信頼を失ってしまうんです」

取材時には、スタッフも女将さんと会うときに、舞妓たちと同じように、畳に手をついて挨拶。「そういう本来当たり前の礼儀作法をすごく大事にされていて、だから京都は日本の伝統文化が守られているんだなと学びました」といい、それを身をもって実践することで信頼を築いてきた。

その甲斐があって、知られざる舞妓の世界を映し出すことができたのが、この『泣き虫舞妓物語』シリーズだ。

「例えば、舞妓さんは頭が潰れないように、時代劇でよく見る高枕で寝ているんですけど、舞妓最後の朝に、この高枕を使うのが最後だからということで、寝起きの様子を撮ったこともありました。普通、そんな姿を見せるのは嫌だと思うんですけど、『どうぞどうぞ』と言ってくれて。他にも、“よくここまで撮影させてもらえたな”と思う場面があり、本当にありがたいです」

■「普通の少女だった私を、身も心もきれいにしてくれた」

舞妓を志望する人たちの共通点は、「中学を出て15歳で入ってくる子がほとんどなので、小学校や中学校の修学旅行で訪れた京都で、舞妓さんが歩いているのを生で見たり舞台を見たりして、憧れるというのが多いそうなんです。伝統の技術が生かされたきれいな着物を着て、様々な装飾を付けている華やかで美しい姿に、“はんなり”した世界の魅力を感じるようですね」とのこと。

タイトルに「泣き虫」とある通り、20年にわたって見つめてきた中で、どの舞妓も涙を見せる場面があった。

「芸事の技術がなかなか伸びなかったり、壁にぶつかって悔しい思いをして、歴代の舞妓さんは誰もが泣いているんです。お師匠さんたちがよく言うのは、芸事はウソをつかないと。つまり、稽古したら稽古した分、成果が出るし、していなかったらすぐバレるそうなんですよ。だから努力を続けていたら、いつか評価につながると思うんですけど、日々の積み重ねって苦しいじゃないですか。10代の子が一生懸命やっているとは言え、どうしても稽古に身が入らない時期があって、怒られるということもありますから」

順調に行っているように見えても、誰もがいつか壁に直面するのだそう。「基本的に日中はずっと稽古をしていますけど、中学校時代の同級生は、きっと同じ頃に青春を謳歌している時期ですよね。舞妓さんになったのはうれしいけど、修業期間なわけですから、5年という歳月をかけて踊りの演目を増やし、三味線や鳴り物もできるようになって、礼儀作法も含めて全部覚えないといけない。それは一朝一夕に身につくものではないので、本当に大変な世界だと思います」と思いやる。

そうした厳しい世界であるだけに、舞妓修業をへての成長は目を見張るものがあるという。

「僕が最初に取材で追いかけていた舞妓さんがその後に芸妓さんになって、ものすごい努力家だったので、立方(たちかた=舞踊)も地方(じかた=三味線、唄など)も両方できる、後輩の憧れの存在だったんですが、十数年花街で頑張って、結婚を機に引退されたんですね。そのときに、『何を一番得ましたか?』と聞いたら、『単なる普通の少女だった私を、身も心もきれいにしてくれたんです』と言ったんですよ。花街という独特の世界でどのように成長していくのかというのを、彼女はそう表現したんですよね。たしかに、15歳の純朴な女の子が、年月をかけて自信をつけていくと、顔つきも変わってきて、しっかりした受け答えをしてくるんです。だから、いい意味で相当鍛えてくれる世界なんだというのを、すごく感じます」