東武スカイツリーライン竹ノ塚駅の高架化工事が今年3月に完了し、駅の南北にあった踏切が廃止。周辺の渋滞や事故といった問題が解消された。同時に、鉄道で分断されていた街の東西を一体化する効果も見込まれる。今後、駅周辺の開発が進められるだろう。
足立区は約69万人の人口を擁し、駅・街ごとに独特の発展を遂げてきた。区内一の繁華街が広がる北千住駅周辺をはじめ、区役所の最寄り駅となる梅島駅、西新井大師への参拝客の輸送を担う東武大師線との乗換駅である西新井駅など、駅ごとに特色の異なる街になっている。
高架化にともない、新しいまちづくり計画が進む竹ノ塚駅周辺にも、大きな期待が寄せられている。もともと竹ノ塚駅には西口と東口があり、これまでバスロータリーの整備されている東口が表玄関の役割を担ってきた。
一方、西口は総合スーパーの西友を中心に、小規模ながら商店街が形成されている。西友に隣接して、病院と住宅が同居する「エミエルタワー竹の塚」という高層マンションが目立つものの、西口周辺は住宅街然とした雰囲気が強い。
東口に目を向けると、駅前ロータリーを囲むように団地群が建ち並び、どこか懐かしい雰囲気を感じさせる。団地群の周辺にスーパーや飲食店といった商業店舗があり、生活感が色濃く漂う。
駅前の団地群を抜けて赤山街道に出ると、歩道に小林一茶を描いたマンホールやモニュメントなどが目に入ってくる。江戸後期に活躍した俳人、小林一茶は、竹ノ塚にある炎天寺を訪れていたという。教科書にも載るほど有名な俳句「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」は、この炎天寺で詠まれた。
それだけ由緒のある寺でありながら、炎天寺には参道のようなものがない。周辺に売店や飲食店なども並んでいない。小林一茶に関する知識がなければ、通り過ぎてしまうかもしれない。
炎天寺からさらに東へ歩くと、江戸五街道で知られる日光街道が見えてくる。日光街道を渡って北東へ歩くと、元渕江公園にたどり着く。元渕江公園は1969(昭和44)年に都立公園として開園。1975年に足立区へ移管された後、同区によって公園の整備が進められてきた。
元渕江公園は老若男女の憩う場とするため、園内に釣り池、こどもたちが遊べる遊具広場、野球・サッカーをはじめとする球技も可能な多目的広場などがある。草地広場はステージ設営が可能で、区や学校の行事等でも頻繁に活用されている。
元渕江公園内にある足立生物園は、小規模ながら動物・植物・昆虫を間近で見られる。小規模のため、逆に未就学児童でも手で触れて楽しめるような小動物をたくさん飼育展示していることも、同園の特筆すべき点だろう。駅から少し離れるが、元渕江公園の入園料はなく、足立生物園の入園料も大人300円・小中学生150円と割安なので、区民にとっては散歩感覚で楽しめる。
12月になると、園内だけでなく、竹ノ塚駅から同園までの竹の塚けやき大通りにもイルミネーションの飾り付けが行われ、区外から元渕江公園へ多くの人が押し寄せる。ただし、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、昨年のイルミネーションは中止された。
竹ノ塚駅周辺は住宅街と思われがちだが、改めて周辺を歩いてみると、レジャースポットが点在していることに気づく。そして、竹ノ塚駅には新たな変化の兆しが見え始めている。それが大学のキャンパス開設という流れだ。
これまで、足立区には大学らしい大学が少なく、北千住駅の近くに放送大学の学習センターが開設されているだけだった。これはサテライトキャンパスという位置づけのため、足立区はきちんとした大学の開設をめざし、各方面に働きかけていた。
足立区に大学が立地していない理由は、高度経済成長期に制定された工場等制限法に理由がある。同法は名称に「工場」とあるものの、大学も対象。同法により、大学と高等専門学校は1,500平方メートル以上、専修学校と各種学校は800平方メートル以上の教室を設置することが制限されていた。
足立区の大学誘致の取組みは、2007年に近藤弥生氏が区長に就任したことで加速。2010年、帝京科学大学千住キャンパスが開設された。これを皮切りに、2012年に東京電機大学東京千住キャンパスが開設され、その後も大学のキャンパスが次々と開設されている。
直近では、2021年に文教大学が東京あだちキャンパスを開設。同キャンパスへのアクセスは竹ノ塚駅から自転車またはバスの利用が一般的で、徒歩圏とは言い難い。それでも学生たちが竹ノ塚駅の活性化にひと役買うのではないかと期待が寄せられている。
竹ノ塚駅周辺の開発計画は、駅の高架化と踏切の廃止によって本格的に動き出した。大きなトピックスだが、まだスタート地点。今後の変化に注目が集まる。