24時間テレビは、1978年(昭和53年)より日本テレビ系で第1回が放送されて以降、現在まで放送が続く長寿番組です。1992年(平成4年)の第15回目となる放送からは、マラソン企画が毎年恒例になりました。
この記事では、24時間テレビのマラソンを走った歴代ランナーを一覧で振り返るとともに、マイナビニュース会員から歴代ランナーに寄せられたコメントも紹介します。
24時間テレビのマラソン歴代ランナー一覧
24時間テレビでマラソン企画がスタートした1992年(平成4年)以降、ランナーを務めた人物を紹介します。
【2024年(第47回)】やす子
2024年の「24時間テレビ47」のマラソンランナーはヒロミさんに決定しました。
今回「全国の児童養護施設に募金マラソン」と題して『24時間テレビ』全体の募金と切り分け開催。
やす子自身が高校時代にお世話になった児童養護施設への恩返しとしてこの企画を提案しました。今回のマラソンで集まる募金は、全国600カ所以上の児童養護施設に全額寄付されます。 また、市民ランナーも約1,200人募集され、スタートから3~5km程度を一緒に走る予定です。やす子は「少しの思いでも救われる人がいるので、気軽に参加してください」と呼びかけています。
やす子、児童養護施設に“恩返し”の24時間テレビ募金マラソン「好きなだけ偽善って言ってもらって大丈夫ですね」
放送日/2024年8月31日(土)・9月1日(日)
マラソンランナー/やす子
【2023年(第46回)】ヒロミ
2023年の「24時間テレビ46」のマラソンランナーはヒロミさんでした。 102.3kmを見事完走しました。
放送日/2023年8月26日(土)・27日(日)
マラソンランナー/ヒロミ
【2022年(第45回)】兼近大樹(EXIT)
2022年は、お笑いコンビEXITの兼近大樹さんがランナーを務めました。
兼近さんは、バラエティ番組で24時間テレビのマラソンを走ることをサプライズで発表。24時間テレビのマラソンを1人のランナーが走るのは、2018年の走者だったお笑いタレントのみやぞんさん以来、4年ぶりです。
放送日/2022年8月27日(土)・28日(日)
マラソンランナー/兼近大樹(EXIT)
【2021年(第44回)】岸優太(King & Prince)、水谷隼、荒川静香、川井梨紗子・友香子姉妹、五郎丸歩、田中理恵、長谷川穂積、丸山桂里奈、林咲希、城島茂(TOKIO)
2021年のランナーを務めたのは、King & Princeの岸優太さん、プロ卓球選手の水谷隼さん、元フィギュアスケート選手の荒川静香さん、レスリング選手の川井梨紗子さん・友香子さん姉妹、元ラグビー選手の五郎丸歩さん、元体操選手の田中理恵さん、元プロボクサーの長谷川穂積さん、元プロサッカー選手の丸山桂里奈さん、バスケットボール選手の林咲希さん、TOKIOの城島茂さんの11名です。城島さんのみ、2014年以来、7年ぶり2度目の挑戦となりました。
2020年に続き、2021年も公道でのマラソンは中止となり、福島県のJヴィレッジを使用。岸さんが第一走者となりリレー形式で行い、最終ランナーは、福島県と特に関係が深い城島さんが担当しました。
放送日/2021年8月21日(土)・22日(日)
マラソンランナー/岸優太(King & Prince)、水谷隼、荒川静香、川井梨紗子・友香子姉妹、五郎丸歩、田中理恵、長谷川穂積、丸山桂里奈、林咲希、城島茂(TOKIO)
ユーザーコメント
・「東京オリンピック・パラリンピックが開催された年で、リレー形式のマラソンに感動しました」(62歳男性)
・「みなさんの力で、勇気と感動をいただきました。心に残る番組だったと思います」(45歳男性)
・「リレー式で、いろんなジャンルの出演者が走ったから」(57歳女性)
・「TOKIOのリーダーが頑張る姿に感動した」(62歳男性)
【2020年(第43回)】チームQ(高橋尚子、土屋太鳳、吉田沙保里、陣内貴美子、松本薫、野口みずき)
2020年は、元マラソン選手の高橋尚子さんが中心となり、俳優の土屋太鳳さん、元レスリング選手の吉田沙保里さん、元バドミントン選手の陣内貴美子さん、元柔道選手の松本薫さん、元マラソン選手の野口みずきさんが「チームQ」を結成。6人でランナーを務めました。
この年は、1周5キロのコースを走るごとに10万円の寄付をするという「募金ラン」を実施。
新型コロナ感染症予防のため私有地を利用し、高橋さんは116キロ、土屋さんは30キロ、吉田さんは25キロ、陣内さんは10キロ、松本さんは15キロ、野口さんは40キロの合計236キロを走りました。
放送日/2020年8月22日(土)・23日(日)
マラソンランナー/チームQ(高橋尚子、土屋太鳳、吉田沙保里、陣内貴美子、松本薫、野口みずき)
ユーザーコメント
・「ちゃんと走っていて楽しそうで、見ていて心地よく元気が出た」(54歳女性)
・「新しい形のチャリティーマラソンを放映したから」(69歳男性)
・「ゴール時の走者の喜びが1番素敵だったから」(65歳男性)
・「チーム力があって良かったから」(37歳男性)
【2019年(第42回)】近藤春菜(ハリセンボン)、よしこ(ガンバレルーヤ)、水卜麻美、いとうあさこ
2019年のランナーを務めたのは、お笑いコンビ・ハリセンボンの近藤春菜さん、ガンバレル―ヤのよしこさん、日本テレビアナウンサーの水卜麻美さん、お笑いタレント・いとうあさこさんの4人です。
2019年は、4人でタスキをつなぐ駅伝形式で実施。水卜さん、いとうさんがフルマラソンと同じ42.195キロ、近藤さん、よしこさんは32.195キロ、4人で合計148.78キロを時間内に完走することができました。
放送日/2019年8月24日(土)・25日(日)
マラソンランナー/近藤春菜(ハリセンボン)、よしこ(ガンバレルーヤ)、水卜麻美、いとうあさこ
ユーザーコメント
・「今までと違いバトン形式のマラソンが斬新だった」(42歳男性)
・「近藤春菜さんのガッツにびっくりした」(37歳女性)
・「芸人魂を見た気がしたから」(38歳女性)
・「真剣に走る姿に感動した」(60歳男性)
【2018年(第41回)】みやぞん(ANZEN漫才)
2018年のランナーを務めたのは、お笑いコンビ・ANZEN漫才のみやぞんさんです。
2018年は、マラソンに水泳と自転車が加わったトライアスロン形式で行われました。
みやぞんさんは、水泳1.55キロ、自転車60キロをクリアした後、マラソン100キロに挑戦。途中、足の痛みや日差しの強さに苦しみ、番組時間内のゴールが危ぶまれた時間帯もありましたが、終盤で遅れを取り戻し、番組終了直前にゴールすることができました。
放送日/2018年8月25日(土)・26日(日)
マラソンランナー/みやぞん(ANZEN漫才)
ユーザーコメント
・「予想以上に感動する内容だったので記憶に残っている」(52歳男性)
・「挫折するだろうと思っていたがよく走ったと思う」(40歳男性)
・「トライアスロンがすごかったから」(18歳女性)
・「懸命さが伝わってきた」(22歳男性)
【2017年(第40回)】ブルゾンちえみ
2017年のランナーを務めたのは、お笑い芸人のブルゾンちえみさんです。
毎年ランナーの発表は5月頃に行われることが多いのですが、2017年は、なんと放送当日まで、誰が走るのか発表されていませんでした。ブルゾンちえみさんにランナーに決定が告知されたのは、スタート時刻の1時間前だったようです。
そんな突然の当日発表でありながら、ブルゾンちえみさんは、90キロを番組時間内に見事完走。ゴール時にたくさんの汗と涙を流しながらも、メイクが崩れていなかったことも話題となりました。
放送日/2017年8月26日(土)・27日(日)
マラソンランナー/ブルゾンちえみ(現芸名・藤原史織)
ユーザーコメント
・「何事にも真剣に取り組む彼女の姿勢が画面越しによく伝わってきて、好感が持てたから」(61歳男性)
・「必死で頑張っていたのですごく感動した」(40歳男性)
・「化粧が落ちていなくて驚いた」(37歳女性)
・「走り抜いた姿が素敵でした」(42歳女性)
【2016年(第39回)】林家たい平
2016年のランナーを務めたのは、落語家の林家たい平さんです。
たい平さんは、出演番組の『笑点』、『笑点』終身名誉司会の桂歌丸さん、師匠の林家こん平さんへの感謝の気持ちから、ランナーを引き受けることを決意したそうです。
足の痛みがある上、2日目は雨に降られ条件が悪い中での挑戦となりましたが、番組時間内に完走。武道館前には『笑点』メンバー、ゴール地点にはこん平さんが待っており、涙を誘う感動的なゴールとなりました。
放送日/2016年8月27日(土)・28日(日)
マラソンランナー/林家たい平
ユーザーコメント
・「『笑点』ファンだからというものあるが、『笑点』に出演している姿からマラソン用の体に少しずつ変化していくのが見えて、応援する気持ちが強くなったから」(63歳男性)
・「この企画の出演者の皆さんは全員すごく頑張っているが、この回は特に応援したくなった」(56歳男性)
・「落語が好きで、笑点メンバーだったから印象に残っている」(91歳女性)
・「落語家としてよく頑張って走った」(53歳女性)
【2015年(第38回)】DAIGO
2015年のランナーを務めたのは、3人組ロックバンドBREAKERZのボーカールであり、タレント、俳優としても活動しているDAIGOさんです。
2015年の番組のテーマは「つなぐ~時を超えて笑顔を~」。このテーマにちなみ、DAIGOさんは日本に住む450人の思いをつないだ「たすき」を肩からかけて100キロのマラソンに挑戦しました。
結果は、番組時間内に見事完走。ゴール時には、「HM! 走りました!」と、得意の略語「DAI語」で気持ちを表現しました。(「HM」は、「走りました」という意味だそうです)
放送日/2015年8月22日(土)・23日(日)
マラソンランナー/DAIGO(BREAKERZ)
ユーザーコメント
・「志村けんさんがDAIGOさんを励ましに来たシーンが今も印象に残っている」(63歳男性)
・「北川景子さんへのプロポーズとセットだったのでよく覚えている」(45歳女性)
・「DAIGOさんのファンだし、北川景子さんとのこともあったので」(53歳女性)
・「すごく一生懸命走っていて好感が持てたから」(33歳女性)
【2014年(第37回)】城島茂(TOKIO)
2014年のランナーを務めたのは、TOKIOの城島茂さんです。
TOKIOメンバーでは、1997年に山口達也さんがランナーを経験していますが、当時の山口さんは25歳。2014年の城島さんは40代ということで、周囲から心配や不安の声が上がる中での挑戦となりました。
城島さんは練習時から足の痛に悩まされつつも、本番では山口さんの走行距離を1キロ上回る101キロを番組時間内に完走。グループメンバーが、ゴール前で城島さんと並走した場面は、大きな感動を呼びました。
放送日/2014年8月30日(土)・31日(日)
マラソンランナー/城島茂(TOKIO)
ユーザーコメント
・「城島さんの体力や体調が心配で、ドキドキしながら見ていた記憶があります。ゴール近くでメンバーが駆けつけて励ます姿は感動しました」(45歳女性)
・「親と同じ歳だったので、すごい努力と根性だなと思って元気を貰いました」(22歳女性)
・「年齢を重ねても頑張っている姿に感動したから」(36歳女性)
・「一人黙々と走る姿に感動した」(77歳男性)
【2013年(第36回)】大島美幸(森三中)
2013年のランナーを務めたのは、お笑いトリオ・森三中の大島美幸さんです。
100メートル歩くだけでも息が上がってしまうという状態からスタートし、徐々に走る距離を伸ばしてきた大島さん。放送作家で夫の鈴木おさむさん、森三中の村上知子さん、黒沢かずこさんらに支えられながら、練習を重ねました。
本番では猛暑や登り坂に苦しみながらも、88キロを完走。番組の放送時間はすぎてしまいましたが、夜9時20分頃にゴールすることができました。
放送日/2013年8月24日(土)・25日(日)
マラソンランナー/大島美幸(森三中)
ユーザーコメント
・「長距離を走るのは大変だったと思うが、すごく頑張っている姿が印象的だった」(46歳女性)
・「膝を痛めながらも頑張っていたから」(41歳男性)
・「一生懸命さが伝わってきてよかった」(39歳女性)
・「感動しましたね。よく覚えています」(51歳男性)
【2012年(第35回)】佐々木健介・北斗晶ファミリー
2012年のランナーを務めたのは、元プロレスラーの佐々木健介さんと北斗晶さん、2人の長男・健之介さん、次男・誠之介さんの4人です。
2012年のマラソンは、番組時史上初めてとなる家族4人のリレー形式で実施。
ゴールでは、最後の走者を務めた北斗さんを他の家族3人が迎え、家族全員でゴールテープを切りました。4人の走行距離の合計は、120キロ。番組時間内に完走することができました。
放送日/2012年8月25日(土)・26日(日)
マラソンランナー/佐々木健介、北斗晶、佐々木健之介、佐々木誠之介
ユーザーコメント
・「息子さんたちが、北斗さんが見えた時、近づいてハグして最後まで一緒に走ったのが印象に残っています」(50歳女性)
・「ファミリーの絆が素晴らしかったですね」(39歳男性)
・「家族でバトンを繋いで感動したから」(30歳女性)
・「家族の愛を感じたから」(22歳男性)
【2011年(第34回)】徳光和夫
2011年のランナーを務めたのは、フリーアナウンサーの徳光和夫さんです。
徳光さんは、2007年に66歳で挑戦した萩本欽一さんを上回るチャリティーランナー史上最高齢70歳での挑戦となりました。徳光さんといえば、2010年まで20回以上24時間テレビの司会を務めてきましたが、ランナーとなるのは、この2011年が初めて。
70歳で長距離を走ることに、徳光さんご自身も不安を感じたこともあったそうですが、本番では番組時間内に63.2キロを無事完走しました。
放送日/2011年8月20日(土)・21日(日)
マラソンランナー/徳光和夫
ユーザーコメント
・「徳光さんの年齢で走るのは結構体力を消耗するので、走り切ったのはすごいと思う」(64歳男性)
・「温厚な人柄なのにすごいチャレンジスピリットを感じたから」(49歳男性)
・「まさか徳光アナが走るとは思っていなかったので」(59歳男性)
・「印象によく残っているから」(41歳女性)
【2010年(第33回)】はるな愛
2010年のランナーを務めたのは、タレントのはるな愛さんです。
ランナー発表の記者会見の際には、笑いも交えて明るい様子を見せていましたが、本番では膝の痛みに苦しめられました。
痛みに耐え、足を引きずりながらも進み続け、番組時間内に85キロを完走。ゴールの日本武道館では、はるなさんの母・初美さんが待っており、はるなさんと体を寄せ合いながらの感動的なゴールとなりました。
放送日/2010年8月28日(土)・29日(日)
マラソンランナー/はるな愛
ユーザーコメント
・「お化粧が汗で落ちてしまっても一生懸命走る愛ちゃんが、きれいでかっこよく見えた」(37歳女性)
・「挫折しそうになりながらも頑張っていました」(66歳女性)
・「ジェンダーレス時代の先取りのようだった」(58歳男性)
・「頑張っていて感動した」(48歳女性)
【2009年(第32回)】イモトアヤコ
2009年のランナーを務めたのは、タレントのイモトアヤコさんです。
運動神経と体力に自信があり、「珍獣ハンター」としてこれまで過酷な海外ロケをこなしてきたイモトさん。2009年のマラソンでは、歴代女性ランナー最長距離となる126.585キロを完走しました。126.585は、フルマラソン3本分の距離です。
ゴールである日本武道館への到着時間は、午後9時12分で番組時間外となってしまいましたが、126.585キロという距離は、2022年現在でも女性ランナーで最長の記録です。
放送日/2009年8月29日(土)・30日(日)
マラソンランナー/イモトアヤコ
ユーザーコメント
・「人生いろんなことがあるけど、マラソンを頑張っている姿を見て自分も頑張らないとあかんと感じた」(55歳男性)
・「運動神経と耐久力を持ったイモトさんが、あの距離をどのように走るか興味があり見ていました」(56歳男性)
・「走る距離が他の人より多くて大変だと思って応援していたから」(43歳女性)
・「頑張っているのが伝わってきたから」(42歳女性)
【2008年(第31回)】エド・はるみ
2008年のランナーを務めたのは、お笑いタレントのエド・はるみさんです。
ランナーに決定する6年前から、いつランナーに選ばれてもいいようにと地道に走る練習を重ねていたというエドさん。本番では、長年積み重ねてきた練習の成果を発揮し、113キロという長距離を番組時間内に完走しました。
翌年2009年にイモトアヤコさんが記録を更新するまでは、2008年にエドさんが走った113キロが、歴代女性ランナーの最長記録でした。
放送日/2008年8月30日(土)・31日(日)
マラソンランナー/エド・はるみ
ユーザーコメント
・「応援していました。完走後のコメントが最高でした」(53歳女性)
・「スタートの時のコメントが感動的だった」(62歳男性)
・「当時話題の人だったと思うから」(35歳男性)
・「感動したことを覚えている」(55歳女性)
【2007年(第30回)】萩本欽一
2007年のランナーを務めたのは、「欽ちゃん」の愛称で親しまれているタレントの萩本欽一さんです。
24時間テレビの初回放送1978年から1981年まで番組の司会を務めていた萩本さん。番組放送30回目を迎えたこの年、当時マラソン企画ランナー史上最高齢となる66歳でマラソンに初挑戦しました。
猛烈な暑さと足の痛みに苦しめられ、放送時間内には惜しくも間に合いませんでしたが、午後9時5分頃、晴れ晴れとした様子でゴール。70キロを完走しました。
放送日/2007年8月18日(土)・19日(日)
マラソンランナー/萩本欽一
ユーザーコメント
・「子どもの頃は『24時間テレビ』といえば欽ちゃんだったから、欽ちゃんが帰ってきて嬉しかったけど、高齢なのでとても心配した」(46歳女性)
・「欽ちゃんはやっぱり24時間テレビの顔だと思うから、イメージがぴったりだった」(57歳男性)
・「年齢的なハンデもあるのに、頑張る姿が感動的だった」(60歳女性)
・「感動を与えてくれたので、覚えている」(34歳男性)
【2006年(第29回)】アンガールズ
2006年のランナーを務めたのは、お笑いコンビ・アンガールズの山根良顕さん、田中卓志さんです。
この年、山根さん、田中さんは2人で同じ距離を走るという形のマラソンに挑戦。当時、2人そろって筋肉量が少なく、最後まで体力が持つだろうかと周囲から不安視されていましたが、本番では2人で無事100キロを完走。日本武道館への到着も番組の時間内に間に合いました。
放送日/2006年8月26日(土)・27日(日)
マラソンランナー/アンガールズ(山根良顕、田中卓志)
ユーザーコメント
・「2人とも筋肉が少なく、コーチがとても心配していたのを覚えているから」(53歳男性)
・「まさか完走できると思わなかったから」(30歳男性)
・「2人が走るのを見ていたのでよく覚えている」(50歳男性)
・「余裕のランで良かったです」(64歳男性)
【2005年(第28回)】丸山和也弁護士
2005年のランナーを務めたのは、弁護士の丸山和也さんです。
2007年に萩本欽一さんが66歳で挑戦するまでは、丸山さんの59歳が歴代ランナーの最高齢でした。還暦を目前にした年齢での挑戦となりましたが、丸山さんご自身は大きな不安はなく、練習にも前向きな気持ちで取り組まれたそうです。
本番では練習の成果を発揮し、番組時間内に100キロを完走しました。
放送日/2005年8月27日(土)・28日(日)
マラソンランナー/丸山和也
ユーザーコメント
・「当時59歳とは思えないほどの走りやパフォーマンスを見せていたように思えたから。芸能人ではないのも良かった」(61歳男性)
・「丸山さんが走るとは全く思っていなかったので、印象に残っている」(64歳男性)
・「年齢を感じさせず健闘していた記憶が残っています」(73歳男性)
・「完走した後の北村弁護士とのやり取りが良かった」(44歳男性)
【2004年(第27回)】杉田かおる
2004年のランナーを務めたのは、俳優の杉田かおるさんです。
ドラマ『パパと呼ばないで』での演技で有名となり、子役時代から俳優として活動してきた杉田さん。2004年当時は、『ロンドンハーツ』をはじめ、バラエティ番組にも多数出演していました。
他の芸能人の方と同じように、普段は車での移動がほとんどだという杉田さんですが、本番では100キロを番組時間内に完走。満面の笑みを浮かべてゴールしました。
放送日/2004年8月21日(土)・22日(日)
マラソンランナー/杉田かおる
ユーザーコメント
・「意外な根性を見せてくれたから」(53歳男性)
・「杉田さんのファンだからです」(73歳男性)
・「印象的だったから」(44歳男性)
【2003年(第26回)】山田花子
2003年のランナーを務めたのは、お笑いタレントの山田花子さんです。
山田さんは、1988年に吉本興業からデビュー。ランナーに決定した2003年頃は、テレビ、映画、CM出演など幅広く活動していました。
本番では足の痛みに耐えながら110キロを完走するも、残念ながらゴールの日本武道館まで、残り約5キロで番組の放送終了時刻に……。ゴール時の様子は、22時から緊急特別番組として10分間生中継されました。
放送日/2003年8月23日(土)・24日(日)
マラソンランナー/山田花子
ユーザーコメント
・「子どもの頃に見て、足を痛そうにしながら頑張っていた記憶があるからです」(32歳女性)
・「あまり運動が得意ではない感じなのに、チャレンジしたことが印象的だった」(62歳男性)
・「山田花子さんが外反母趾で走り続けたのが感動的だった」(51歳男性)
・「感動しました。自分も走りたくなった」(38歳女性)
【2002年(第25回)】西村知美
24時間テレビで1992年にマラソン企画が始まってから、ちょうど10年となる2002年のランナーを務めたのは、俳優・タレントの西村知美さんです。
当時、ランナーのオファーを2度も断ったそうですが、番組プロデューサーの言葉に心を動かされ、引き受けることを決心したそうです。
本番では100キロ、番組時間内に完走しました。
西村さんは、この時100キロを走った経験は、その後の人生を変えるほど、大きなものだったとご自身のブログで明かしています。
放送日/2002年8月17日(土)・18日(日)
マラソンランナー/西村知美
ユーザーコメント
・「かわいいしファンだったから」(69歳男性)
・「とても頑張っていたから」(59歳男性)
・「大変好感を持った」(51歳男性)
【2001年(第24回)】研ナオコ
2001年にランナーを務めたのは、タレントの研ナオコさんです。
一切化粧をしていない状態で、マラソンに挑戦したことが話題となりましたが、研さんご自身は社会問題に苦しんでいる人たちを勇気づけたいという一心で、走っていたそうです。
実は、研さんは24時間テレビのマラソン企画が始まってから、初めての女性ランナー。時間内にゴールできるか注目が集まる中、無事番組時間内に85キロを完走しました。
放送日/2001年8月18日(土)・19日(日)
マラソンランナー/研ナオコ
ユーザーコメント
・「頑張って走っていた記憶があるから」(51歳女性)
・「年齢とスッピンが印象的だったので」(44歳女性)
・「足痛めながらも走っていたから」(36歳男性)
・「初めて女性が走ったから」(70歳男性)
【2000年(第23回)】トミーズ雅
2000年にランナーを務めたのは、お笑いコンビ・トミーズのトミーズ雅さんです。
お笑いタレントとして知られる雅さんは、実は元プロボクサーという経歴の持ち主。1996年にランナーを務めた赤井英和さんとは、プロボクサー時代にボクシングの試合で対戦したこともあります。
そんな元プロスポーツ選手であり、体力には自信のある雅さん。本番では、150キロを完走し、時間内にゴールしています。
放送日/2000年8月19日(土)・20日(日)
マラソンランナー/トミーズ雅(トミーズ)
ユーザーコメント
・「リアルタイムで見ていたから」(41歳男性)
【1999年(第22回)】にしきのあきら
1999年にランナーを務めたのは、歌手・タレントのにしきのあきらさんです。
にしきのさんは「空に太陽がある限り」などのヒット曲で知られており、ファンからは「スターにしきの」の愛称で親しまれています。
にしきのさんは、当時50歳にして110キロを走り、番組時間内に完走。
2005年に丸山和也さんが59歳で挑戦するまでは、にしきのさんの50歳という年齢がチャリティーランナー史上最高齢であり、ゴールした際には多くの人に勇気と感動を届けました。
放送日/1999年8月21日(土)・22日(日)
マラソンランナー/にしきのあきら
ユーザーコメント
・「スターにしきのあきらの頑張りがすごく印象に残っている」(68歳男性)
・「スターだから応援するのは当たり前」(52歳男性)
【1998年(第21回)】森田剛(V6)
1998年にランナーを務めたのは、V6の森田剛さんです。
森田さんは、1995年のデビューから3年が経ち当時19歳でした。2012年に佐々木健介さん・北斗晶さんファミリーの健之介さん、誠之介さんが当時13歳と9歳でランナーとなりましたが、2022年現在でも、単独で100キロを走破した19歳未満のランナーは登場していません。
森田さんは、グループのメンバーの応援を受けながら100キロを番組時間内に完走。ゴール時には、余裕のある表情を見せていたことで話題となりました。
放送日/1998年8月22日(土)・23日(日)
マラソンランナー/森田剛(V6 )
ユーザーコメント
・「生放送ではなく映像で見たが、かっこよかった。次の日にコンサートがあったのに走り抜き、コンサートも出演したと聞いてプロだなと思ったから」(22歳女性)
・「森田剛さんが予定よりも大幅に速い時間にゴールしたのが印象に残っているから」(40歳男性)
・「メンバー全員で応援していて感動したから」(36歳女性)
・「必死に走っている顔が忘れられない」(36歳女性)
【1997年(第20回)】山口達也(TOKIO)
1997年にランナーを務めたのは、TOKIOの山口達也さんです。
1996年までのマラソンランナーは、お笑いタレント、プロスポーツ経験のあるタレントが務めており、山口さんは、ジャニーズ事務所所属の芸能人で、初のマラソンランナーとなりました。
当時の山口さんは、25歳。グループメンバーの支えもあり、100キロを番組時間内に完走することができました。この時の経験を活かし、2014年に城島茂さんがランナーに決定した際には、サポート役として心強い味方となったそうです。
放送日/1997年8月23日(土)・24日(日)
マラソンランナー/山口達也(TOKIO )
ユーザーコメント
・「ジャニーズのメンバーがマラソンに参加するは大変貴重だったから」(54歳男性)
・「TOKIOのメンバーのサポートに感動した」(52歳男性)
・「山口くんが頑張っていた印象が強い」(49歳女性)
・「メンバーの支えが感動的だった」(52歳女性)
【1996年(第19回)】赤井英和
1996年にランナーを務めたのは、元プロボクサーでタレントの赤井英和さんです。
1996年は「つなげよう! 愛のタスキリレー 日本列島縦断3600キロ」という企画のもと、一般応募で選ばれた走者が日本の北と南からたすきをつなぎ、最後の走者として赤井さんが登場しました。
しかし、赤井さんにたすきを渡す走者の到着が大幅に遅れた影響で、赤井さんは番組時間内にゴールできませんでした。そのため、放送時間が急きょ変更され、赤井さんが100キロ完走を果たすまで番組が延長されました。
ランナー到着が番組時間内に間に合わなかったのは、この1996年が初めてです。
放送日/1996年8月24日(土)・25日(日)
マラソンランナー/赤井英和
ユーザーコメント
・「ボクシングファンの私にとって、赤井さんが走るなんて夢にも思っていなかった」(57歳男性)
・「なかなか見応えがあったから」(64歳男性)
・「頑張っている姿が良かった」(44歳男性)
・「1番感動したと思うから」(46歳男性)
【1995年(第18回)】間寛平
1995年にランナーを務めたのは、お笑いタレントの間寛平さんです。
間さんは、1992年、1993年にもランナーを務めており、この1995年で3度目。1995年のマラソンは、間さんが1人で神戸-東京間600キロを7日間かけて走るという形で実施されました。
1995年といえば、阪神大震災が起こった年です。間さんは、ご自身も震災で自宅を失った被災者でありながら、被災者のみんなに勇気を与えたいと、強い思いを込めて走ったそうです。
間さんは、見事に600キロを完走。番組史上最長距離の600キロは、2022年現在でも未だ更新されていません。
放送日/1995年8月26日(土)・27日(日)
マラソンランナー/間寛平
ユーザーコメント
・「普段バラエティで見る顔とは違う寡黙に走る姿が真摯に感じられた」(43歳女性)
・「大阪から東京まで何日もかけて走り抜いた」(48歳男性)
・「最も過酷なマラソンだと感じたからです」(57歳男性)
・「最後まで走り切る姿に感動したから」(42歳女性)
【1994年(第17回)】ダチョウ倶楽部
1994年にランナーを務めたのは、お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の肥後克広さん、寺門ジモンさん、上島竜兵さんの3人です。
今やベテランのお笑いトリオとして広く知られているダチョウ倶楽部も、1994年当時は、肥後さん、寺門さんが31歳、上島さんが33歳とまだ30代前半。レギュラー番組が5本もあり忙しい毎日を送る中、それぞれのペースでマラソンの練習に取り組んでいたそうです。
この年は3人の交代制で合計100キロを走り、時間内にゴールすることができました。
放送日/1994年8月20日(土)・21日(日)
マラソンランナー/ダチョウ倶楽部(肥後克広、寺門ジモン、上島竜兵)
ユーザーコメント
・「頑張りが半端なかった。感動した。元気をもらったし24時間テレビにふさわしいと感じた」(34歳男性)
・「やはりこの3人のギャグを交えながらの真剣さは良かったと思います」(49歳男性)
・「ダチョウ倶楽部! 上島竜兵さんの頑張る姿が印象的だったから」(58歳男性)
・「メンバーの頑張りは、今に通じるものがあります」(62歳男性)
【1993年(第16回)】間寛平
1993年にランナーを務めたのは、1992年に続きお笑いタレントの間寛平さんです。
1992年は間さんや一般人の安全確保のため、残念ながら途中リタイアとなりましたが、1993年は番組時間内に完走することができました。走った距離は、前年予定していた距離より47キロも多い200キロです。
この年は前年の失敗を生かし、人の密集を避けるため、走る予定のコースを事前に公表しないまま本番を迎えました。その甲斐あって、間さんは無事完走することができました。
放送日/1993年8月21日(土)・22日(日)
マラソンランナー/間寛平
ユーザーコメント
・「寛平ちゃんは何度も走っているが、特に印象的だったのが24時間で200キロ走った時だった」(50歳男性)
・「時間内に完走出来なかったから、翌年リベンジ。根性の人だなと思った」(45歳女性)
・「24時間テレビのマラソンランナーと言えばこの人ですね」(47歳男性)
・「普段の面白い印象とは別の顔が見られたから」(42歳女性)
【1992年(第15回)】間寛平
マラソン企画第1回目となる1992年に、初代ランナーを務めたのは、間寛平さんです。間さんは、1992年、1993年、1995年と3度も挑戦しており「24時間テレビのマラソンランナーといえば、間さん!」と思う方も少なくないでしょう。
この年、間さんは200キロを走る予定となっていました。しかし、事前に走行予定のコースを発表してしまったため沿道に観客が殺到し、ランナーの間さん、番組スタッフ、集まった観客に危険が及びかねない状態となってしまったのです。
その結果、やむを得ず間さんは153km地点で途中リタイアとなりました。当時の放送では、マラソン中止の理由は間さんの体調不良のためと発表されたそうです。
途中リタイアした歴代ランナーは、この初回の間さんのみとなっています。
放送日/1992年8月29日(土)・30日(日)
マラソンランナー/間寛平
ユーザーコメント
・「初代マラソンランナーだから。当時は初めての事で刺激的な企画だったし、初回で完走出来なかったというのがドラマチックだった」(42歳女性)
・「好きだからです。走るのがお得意みたいなので、とっても応援していました!」(48歳女性)
・「とにかく最初だからインパクトが強かった」(62歳男性)
・「24時間マラソンといえば寛平ちゃん」(62歳男性)
あなたの印象に残る24時間テレビのマラソンランナーは?
今回は、24時間テレビのマラソン歴代ランナーを、マイナビニュース会員から寄せられたコメントとともにご紹介しました。
みなさんもご存知のとおり、24時間テレビは毎回生放送で放送されており、ランナー本人が想像もしていなかったアクシデントやトラブルに見舞われることも珍しくありません。
しかし、初回の間寛平さんのリタイア、赤井英和さんの予定外の番組延長、ランナーの体の不調や痛み、苦しみを乗り越える姿など、予想外のできごとが人の心に響いて感動につながることや記憶に残ることもあるのだと、みなさんのコメントから分かりました。
2022年、ランナーに決定している兼近大樹さんがどんな走りを見せてくれるのか、今年の24時間テレビマラソン企画も見逃せませんね。
調査時期:2022年6月25日
調査対象: マイナビニュース会員
調査数: 男女合計1015人(男性: 787人、女性: 228人)
調査方法:インターネットログイン式アンケート