ネガティブで、ストレートな感情を表現したことわざである「坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い」。日常生活で頻繁に見聞きする表現ではないかもしれませんが、一体どのような意味を持つ言葉なのでしょうか?
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の意味
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」は、「いったん嫌いになると、その人に関するすべてのことが憎く思える」という意味のことわざです。
例えば嫌いな人がいる場合、その人の周りの人や私物までもが嫌いになる状態などを表しています。
読み方は「ぼうずにくけりゃけさまでにくい」です。
袈裟(けさ)とは
坊主には、短く刈った髪型や、男の幼児のことなど複数の意味がありますが、ここでは僧侶、お坊さんを意味します。そして袈裟とは、僧侶が肩にかける法衣(ほうえ)のこと。左肩から右脇下に掛けてまとう衣装で、僧侶にとって法事の際に欠かせないものです。
つまり「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とは、「憎い僧侶が身に着けている、袈裟までもが憎く感じる」ということを表しています。
由来は江戸時代の寺請制度
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という表現は、江戸時代の寺請制度が由来とされています。
寺請制度とは、江戸幕府が僧侶を通して宗教統制、特にキリシタンを排除するために設けた制度のことで、各寺院は毎年幕府や諸藩に、檀家(だんか)の名簿を提出していました。
これにより寺院は幕藩支配体制に従属することとなり、本来の宗教活動がおろそかになることもあったようです。さらに汚職がまん延したことから、僧侶を憎む人が多かったといわれています。
こうした社会的批判が原因で、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉ができたとされています。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の使い方と例文
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」はストレートな感情を表す言葉のため、ビジネスシーンよりは主に日常生活で使うこととなるでしょう。
ここからは、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」を使った例文を紹介していきます。
例文
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いというように、彼の友人や家族などまで憎いと感じてしまう
別れた彼女が好きだった食べ物やブランドなどを見ると、嫌な気持ちになってしまう。まさに坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの状態だ
店員に失礼な対応をされたため、すべての料理がまったくおいしいと感じなかった。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはこのことである
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはいえ、あの人が飼っている猫まで憎むことはないだろう
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の類語
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の類語を確認しておきましょう。
親が憎けりゃ子も憎い
親を憎むあまり、罪のないその子どもまで憎く思えてきてしまう状態を表した言葉です。
例えば「親が憎けりゃ子も憎いとはいうけれど、あの子には何の罪もないでしょう」などのように使用します。
「親が憎けりゃ子まで憎い」とも言います。
法師憎けりゃ袈裟まで憎し
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と少し言葉を換えた表現で、意味は同じです。そのほか、「法師憎けりゃ袈裟まで憎い」「坊主が憎ければ袈裟まで憎し」などとも言います。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の対義語
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」には、対照的な意味を持つ言葉がいくつかあります。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の「嫌いになると良い点すら憎く、悪く思える」という意味に対して、「好きになると欠点すらいとおしく、良く思える」という意味の表現は多くあります。
あばたもえくぼ
「あばたもえくぼ」は、ひいき目でみれば欠点でも長所のように見えるという意味の言葉です。
「あばた」とは、痘瘡(とうそう)、またの名を天然痘という病気が治った後に、皮膚に残る小さなくぼみのことで、本来は醜いものとして考えられていました。
しかし、そのような傷も好きな相手のものであれば、チャームポイントである「えくぼ」のように見えるという意味を表します。
惚れた欲目(ほれたよくめ)
「惚れた欲目」も、好きになった相手のことなら、何でもひいき目に見てしまうことを表現したことわざです。
惚れた相手をとにかく実際以上に良く思う様子を表しており、例えば「仕事もせず家事もせず、毎日遊んでばかりの彼をすてきな人だと思うなんて、惚れた欲目と自分でもわかっています」などのように使用します。
面面の楊貴妃(めんめんのようきひ)
人それぞれ好みがあり、自分の妻や愛人を、中国で絶世の美女といわれた「楊貴妃」のような美人だと思い込むことから、好きになると欠点も長所に見えることを意味します。
なお、中国語では同じ意味のことわざとして「情人眼里出西施(恋人の眼には西施が見える)」が知られています。西施も楊貴妃と同様に古代中国四大美女の一人です。
英訳では「Beauty is in the eye of the beholder(美は見る人の目の中にあり)」です。
罪を憎んで人を憎まず
「罪は憎むべきだが、その罪を犯した人は憎んではいけない」という意味の言葉です。
この言葉は前述の対義語である「好きになると欠点すらいとおしく、良く思える」という言葉たちとは、また方向性が異なります。
「その人の一部が気に入らないからといって、その人自体までをも憎んではいけない」というニュアンスがあり、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の「嫌いになると、良い点を含めその人に関するすべてのことが憎く思える」という意味と反対であるといえるでしょう。
なお、由来は儒教の祖である「孔子」の言葉からだとされています。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の英語表現
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」を英語で表現するならば、「To hate the ground he treads on」が適切な表現として挙げられます。
「To hate the ground he treads on」は、「彼の踏む地面まで憎い」という意味で、その人に関わるすべてのものが憎くなることの例えです。
また、反対の意味を持つ英語のフレーズとしては、直訳すると「私を愛するなら私の愛犬も愛してください」となる「Love me, love my dog」という言い回しも挙げられます。ある人や物に関連することまですべて同様に感じるという意味では、同義とも考えられるでしょう。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」となる心理とは
さて「いったん嫌いになると、その人に関するすべてのことが憎く思える」という強い気持ちを表す「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ですが、なぜそのような心理となるのかについても考えてみましょう。
いろいろな説がありますがその一つに、嫌な経験や思い出が、ふとしたきっかけでフラッシュバックしやすいということが考えられるでしょう。
例えば、元恋人が好きだったミュージシャンの曲を聴くだけで、あるいは使っていた香水の匂いがどこからともなくしてきたときに、別れた時のつらい気持ちや嫌な気持ちがよみがえることなどがこれにあたります。
また、人によっては「好き」な気持ちよりも「嫌い」な気持ちの方が強く感じやすい、ということも挙げられるでしょう。これまで好きだと思っていた人や物でも、嫌いな人の影響で嫌になってしまうことがあるようです。
上記のような実体験を思い起こすと、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と感じる心理を理解しやすくなるでしょう。
意味や使い方、類語・対義語などを理解しておこう
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」は、「いったん嫌いになるとその人に関するすべてのことが憎く思える」という意味のことわざです。江戸時代の「寺請制度」が由来となってできた言葉だという説があります。
ネガティブな意味、かつストレートな感情を表すことわざのため、使い方には注意しましょう。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の類語や対義語、英語表現なども覚えておき、日々の生活の中で正しく使えるようにしたいですね。