行政が地域に出向き、行政サービスを提供する「モバイル市役所」をスタートさせた長野県伊那市。サービスを提供するバス「もーば」はどのような仕組みになっているのだろうか。同市の新産業技術推進コーディネーターとモバイル市役所のコンシェルジュに聞いた。
イベントにも出動したモバイル市役所「もーば」
長野県伊那市が実施しているMaaS「モバイル市役所」。VPNを用いたセキュアなモバイル通信で路線バスと伊那市役所をつなぎ、各種行政手続きを行えるサービスだ。運転手とともにバスに同乗する"コンシェルジュ"が市民と市役所を繋ぐ役割を担う。
その主な役割は、「予約型派遣業務」「イベント型派遣業務」「災害時派遣業務」の3点。予約型派遣業務では住民票や印鑑証明等の発行、介護福祉子育て相談窓口などに、イベント型派遣業務ではマイナンバーカード申請受付、期日前投票、免許返納時の助成金申請受付などに、災害時派遣業務では避難所での被災者支援などに対応する予定となっている。
サービスが開始された4月中は「イベント型派遣業務」を中心とした運用が行われ、4月5日には「高遠城址公園桜まつり」にも出動。観光バスの乗車を待つ方を中心に、多くの来訪者にモバイル市役所「もーば」をアピールしており、その様子は信越放送SBCラジオでも中継された。5月以降は、「予約型派遣業務」として個別予約への対応も開始している。
本来であれば市役所で行われる手続きをバスという限られた空間の中で実現するため、その車内はさまざまなアイデアで満たされている。実際にモバイル市役所「もーば」の内部を確認してみよう。
バス内で行政サービスを実現する仕組みと設備
モバイル市役所「もーば」は、コンシェルジュと伊那市役所に常駐している市役所職員がモバイル通信をVPN接続して、行政サービスを行っている。個人情報などを含むデータは車内には一切なく、書類の印刷データだけがやり取りされる仕組みだ。NTT東日本の協力のもと、バスと市役所をセキュアな回線に結ぶことができたからこそ実現した事業といえる。
さまざまな行政サービスを車内で行うため、バスには独自の工夫が詰め込まれている。電源のない場所でも活動できるよう、電子機器は基本的にポータブル電源のみで動作。1002WhのJVC製ポータブルバッテリー2台がメイン電源として使用される。
入口右手には、プリンタやスキャナー、コピー機、レジスターなどを搭載。書類の発行やコピー、支払いの領収書などの発行に利用される。また最下部には、バスのエンジンを切っても燃料を燃焼させて車内を温めることができるFFファンヒーターも備える。その奥には、VPNルーターとクラウド型サイネージ用セットトップボックス、そして車外に向けて設置された大型モニターとスピーカーがある。
入口正面には折りたたみ式のデスクが据え付けられており、コンシェルジュはここに待機しており、基本的に手続きはこの場所で行う。作業用のノートPCのほか、Web会議用のタブレット端末、書画カメラ、卓上ライトなど、市役所とのやり取りと書類発行や各種手続きに必要な機器が用意されている。さらに多目的な用途に利用できるモニターも搭載。
社内の各座席背面には学習用タブレットを用意。これはスクールバスとして運用される朝夕の時間帯に子どもたちの学びを深めてもらおうと設置されているものだ。そして最後尾には証明書用に写真が必要な際に利用する、撮影スクリーンと投光器が用意されている。
コンシェルジュとコーディネーターが語る車両開発秘話
満を持して運行がスタートしたモバイル市役所「もーば」。その役割は、高齢の方や障害をお持ちの方、お子さまや介護を必要とされる方がいて移動が難しい方などが行政サービスを受けやすくすることだ。コンシェルジュの兼子はるみ氏は、その役割を"いわば市役所の総合窓口"と例え、業務について説明する。
「コンシェルジュの仕事は、市民のみなさまがが取り残されないようにすることです。普段は予約の受付業務を、出動時は市民への対応業務を行います。そのためにも、できるだけ市民の方に寄り添ったサービスを心がけています。相談業務に関してはほぼ全て、発行業務については、戸籍に関する書類以外の多くに対応しています」(もーばコンシュルジュ 兼子氏)
モバイル市役所「もーば」は。既存の循環バスを転用している。朝夕はスクールバスとして使われるため、その改装にはさまざまな苦労があったと伊那市役所の小林宙氏は話す。
「マイナンバーカードの交付などは、当初、コンビニ等に置かれているキヨスク端末を利用する予定でした。しかしメーカーと話を進める中で、『振動が大きいバスの車内では動作を保証できない』と却下されてしまったんです。そこから、どうやって各種書類を印刷するかという工夫が始まりました」(伊那市役所 小林氏)
こうして小林氏は、総務省を初めとした各機関とコンプライアンスやセキュリティに関する打ち合わせを続け、個人情報が漏洩することのない現在のシステムを設計。NTT東日本らとともに、モバイル市役所の実現にこぎ着けた。
「システムは設計できても、やはりさまざまな課題がありました。なかでも大きかったのが、振動と電源、そしてスペースの問題です。この問題に対して真摯に取り組んでくださったのが、菅沼自動車さんです」(伊那市役所 小林氏)
菅沼自動車は、伊那市から30㎞ほど南部に位置する松川町で「ドリームアイランド長野」という展示場を運営している自動車工房だ。キャンピングカーやトレーラーハウスなどを主に取り扱い、ワンオフを得意としている。「コロナ禍で県境をまたいだ往来にいつ制限が生じるかわからなかったので、伊那谷の中で業者を探そうとこだわった事は正解で、 改造中も頻繁に工房にお邪魔し、実車を見ながら検討をすすめられたのは幸運でした」と小林氏は話し、菅沼自動車を「モバイル市役所の影の立役者」と評する。
全国の先駆けとなる行政サービスゆえに、実際に運用する上でこれから新たな課題も見つかっていくことだろう。兼子氏は最後に、コンシェルジュという立場から市民のみなさんに対してメッセージを送る。
「5月から予約型派遣業務も始まっていますが、予約をするというハードルはまだ結構あると感じています。そういった方が気軽に予約を取れるよう、これからどんどん広報をしていきたいですね。区長さんや民生児童委員さんにも知っていただき、よりモバイル市役所の存在が身近なって欲しいです。もし近所にお困りの方や、市役所にいけない方がいらっしゃったら、ぜひ『こういう行政サービスがあるんだよ』と声をかけていただきたいと思っています」(もーばコンシュルジュ 兼子氏)