義経(菅田将暉)の死に次ぐ大きな悲劇。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第21回「仏の眼差し」(脚本:三谷幸喜 演出:末次創)では、義時(小栗旬)の最愛の妻・八重(新垣結衣)が川で命を落とした。はたしてこれは天罰なのだろうか。衝撃的でとても哀しい回ではあったが、頼朝(大泉洋)と別れたあと八重が入水自殺したという伊豆で語り継がれる伝承と、八重が義時と結婚したという伝承の諸説を巧みに結びつけた三谷幸喜の脚本手腕に唸るばかりだ。

  • 長男・金剛を抱きしめる八重(新垣結衣)

    長男・金剛を抱きしめる八重(新垣結衣)

頼朝が鎌倉の土地をきれいにしはじめ、その作業の音頭をとっている八田知家(市原隼人)が鶴丸(佐藤遙灯)という少年を義時経由で八重に預ける。鶴丸という名に亡き千鶴丸を思い出す八重。それがのちに悲劇を引き起こす。

子供たちを連れて川遊びに行った八重は、流された鶴丸を助けようと川に入り自分だけ流されてしまう。一緒にいた義村(山本耕史)はたまたまその場を離れていたこと、ほかに男手がなかったこと、義村が急ぎ助けに向かったが鶴丸を岸にあげることを優先し八重から目を離したこと等々、不運が重なった。

正直言えば、義村は「川は急に深くなるから気をつけたほうがいいぞ」とわかっているのだから八重のことも導いてあげてほしかった。それができそうな屈強な身体つきなのに……。でもこれも神の思し召しということなのだろうか。

『鎌倉殿』は序盤からこの時代の人たちがいかに信心深いか描いていた。とりわけ頼朝はそうであった。義経の死に乗じて奥州を倒して「ついに天下を平らげた」頼朝。天も平らげ、鎌倉の土地も平に、最後の仕上げは後白河法皇(西田敏行)だとおそれを知らず突き進む。ブルドーザーでどんどん世界をならしていく感じ。

自分のまわりを盤石にするため徹底的に不安材料の根を絶っていく頼朝は、浮かない顔をする義時に「己のしたことが正しかったのか、そうでなかったのか。自分で決めてどうする。決めるのは天だ」と言う。

義時「罰が当たるのを待てと」
頼朝「天が与えた罰ならわしは甘んじて受ける。それまでは突き進むのみ」

聞きようによっては頼朝の言葉は潔いけれど、やたらと神様に祈っていた頃と比べるとへんに自信がついてしまっただけのような気がする。天罰なんて当たらないと思っているのではないか。でも視聴者の大半はゆくゆく天罰か……と想像する。

頼朝はどんどんいやな人になっていく。八重が義時と結婚して幸福そうなのを嫉妬して昔の話を持ち出したり、金剛が自分に似ているとまで言い出す。でもこういう自分がなんでも一番でないと気が済まない人っている。

視聴者は、頼朝が八重に迫ったけれど手厳しく拒否されたことを知っているが、義時は知らないのでちょっと不安になる。

筆者は義時が妻を疑ってブラック化するかと予測していたがそんなダークな話にはならず、義時と八重は仲睦まじい。愛が大きいゆえに精神を病んでしまうのは大姫(南沙良)だ。義高(市川染五郎)が亡くなった悲しみからおかしな言動をするようになり北条一家を不安に陥れる。

愛娘・大姫がおかしくなっていくのは頼朝への天罰であろうか。そういえば鎌倉に引っ越す日取りが占い的に身内に恵まれなくなる日にもかかわらず頼朝は強行した。千鶴丸が成仏していないという話もあった。あれもこれもあって、鎌倉に暗雲が立ち込めている。

さて、義時。頼朝に何を言われても怒れない。いたたまれなさは募るばかり。昔、小栗旬が主演した『カリギュラ』という演劇(のちに菅田将暉も演じている)では小栗が傍若無人な王様を演じていて、部下たちに無理難題を強いていた。そのときの部下たちの苦渋に満ちた顔をいまは小栗が演じていると思うと面白い。

暴君の言いなりになることを恥じる義時に、八重は彼を選んで良かったと言う。八重もここまで来るのに長い長い時間がかかったのだと感じる。金剛を授かり孤児たちの面倒を見ることで、ようやく生きる光が見えてきたのだろう。それを義時が穏やかに見守っていた。

頼朝に天罰はまだ当たらず、義時に天罰が……。それは神様が八重を奪うこと。自分が死ぬより大事な人が死ぬほうがキツい。もしかしたら、頼朝が八重にまだ執着していたのもよくなかったか。神様はもしかして、頼朝の大事な人――大姫と八重を奪おうとしたのかもしれない。頼朝が「決して死なせはしない」と妙に真剣なところも神様的に天罰を下したくなりそうである。

奈良の仏師・運慶(相島一之)が彫った阿弥陀如来像を時政(坂東彌十郎)と立派に成長した弟・時連(瀬戸康史)と3人で伊豆の願成就院に見に行った義時は仏像に八重の顔を思う。仏像ができあがったとき八重は命を落としていて、まるで仏像に魂が宿ったようであった。仏像は運慶にとっては母親の顔。つまり、八重は母の象徴ではないだろうか。八重は聖母になったのだ。

新垣結衣の額のほくろが仏像の白毫(びゃくごう)のようにも思えて、八重は最初から仏さまになる運命だったようにも感じた。新垣結衣が後光の差すようなまぶしい存在に見えてくる。

(C)NHK