『夜は短し歩けよ乙女』「映像研には手を出すな!」の湯浅政明監督の最新作『犬王』がついに全国公開され、大きな注目を集めている。

  • 湯浅政明監督 撮影:宮田浩史

映画の原作は、作家・古川日出男氏による『平家物語 犬王の巻』で、これは歴史に消えた能楽師【犬王】の物語が綴られている。現代アニメーションのトップランナーである湯浅監督と、世界最古の舞台芸術「能楽」との邂逅は、作品の最大の見どころになっているのは間違いない。一方で、歴史ものであることや、鑑賞するためにある程度の知識が必要とされる「能楽」がテーマとなることが、映画館へ足を運ぶハードルを上げることになっている面もあるかもしれない。本稿では、そうした不安を払拭する方向で湯浅監督のインタビューを進めていきたい。

まず、聞いてみたかったのは作品の出発点についてだった。「能楽」なのか、「歴史」なのか。それによって、作品の見え方はずいぶん変わる。監督は、「基本的に、人ってそんなに簡単にわかるものじゃない。そんなに簡単に限定できたり想像できたりするもんじゃない。そのことをずっと描きたいと思っていました」と語る。

「歴史にしても、記録に残っていないだけで当時はもっといろんな人がいたはず。犬王と友魚のような人がいてもおかしくないし、映画のようなことがあったかもしれない。そういう人たちを拾っていくというのもテーマにしています。創作の歴史認識のなかでは、残ったものだけで推察するのでは狭すぎるんじゃないか。今の視点で過去を振り返ったとき、それは先細りになっていくんじゃなくて、常に肥沃なものがあって今があるという感じにしたいと思っていました」

人を簡単に理解したと思ってしまうこと、そのイメージを押し付けてしまうこと。それらを取り去っていくことで、かえって人の強さや生きることの豊かさが際立っていく様は、監督のほかの作品からも感じていた。湯浅監督が今回描くのは「歴史」だが、それは監督が人に対して向け続けてきた視線を縦に展開したもので、当初想像していたものとは異なるようだ。

「『平家物語』は、失われた人たちの歴史を拾って、琵琶法師たちが語った物語。古川さんの『平家物語 犬王の巻』は、歴史には残っていないそれを語った琵琶法師たちを語ったもの。語り手たちを語った『平家物語 犬王の巻』を、アニメーション映画としてまた広く語っていくことに意義があると思いました」と監督は語る。もしかしたら、今度は映画について映画を観た人がSNSなどで発信していくことも、この語りへの参加といえるのかもしれない。

また、物語の主役となる犬王と友魚も、監督らしい目線からの造形がうかがえる。「二人が実際には弱者に見えないといいなと思いました。逆に強者にある立場の人たちを凌駕していくような能力を持っていたり。上に上がっていくことがとても困難な立場にありながらも、夢を全く失わずにその道を駆け上がっていく犬王。友魚は目が見えないことによって目覚めた音楽の才能が、琵琶法師となることで輝いていく。犬王はどんどん姿が変わっていくけれど、変わったことで満たされるではなくて、犬王は最初から満たされている。そう感じれる様に最終的になってくれるといいなと思っていました」

先んじて海外の映画祭や東京国際映画祭でも上映された本作。能楽をテーマにした時代劇でありながら、海外の観客からも高く評価された普遍性を持ち合わせている。湯浅監督は「室町時代のことって、いまの日本人にとっても理解するのが難しいと思うから、劇中でもことさら説明はしていません。海外では、二人の若者がのし上がっていくサクセスストーリーというふうに素直に受け取られているようです」と語る。「『犬王』は、純粋な初期衝動の話でもあります。単純に人前で踊って楽しませたい。クリエイターや作家がやもすると長年働いている間に見失ってしまうそうした無垢な衝動を、犬王は持ち続けていたと解釈しました」

そうなれば、映画『犬王』で描かれる能楽は、無垢な衝動と才能の発露にほかならない。犬王役には女王蜂としての音楽活動に加え、様々なジャンルのアーティストへの楽曲提供など、止まらない躍進を遂げるアヴちゃん。友魚をダンス・演劇・映像など、カテゴリーに縛られない表現者として、卓越した演技力と歌唱力を持つ森山未來が演じることも、大いに期待を高めている。

「キャラにフィードバックをいただきたいという気持ちがあったので、実際に歌って踊れる若い方がいいなと思っていました。アヴちゃんと森山さんを提案していただいたのはアスミックエースの竹内文恵プロデューサーです。お二人とも歌やパフォーマンスで真直に表現されてきた印象があったので、その実在感に近づいていきたいという思いがありました。役に合わせてもらいながら、こちらも寄っていくという作り方で、創造するキャラクターたちの芯になってもらっていただきました」

当初の狙いにあったフィードバックは、楽曲製作の際に大きな力になっていったという。「ラフなムービーに合わせて作曲の大友良英さんに作曲していただき、出来た曲に合わせて画も修正していくし、画ができたらまた大友さんのほうで音を足されていく。大友さんの曲には思い描いていた力強さがあり、アヴちゃんと森山さんがさらに独自の物にしていってほしいという思いがありました。アヴちゃんは作詞だけでなく、歌入れでも譜割や歌唱法を提案してどんどん発展させていきました。友魚が歌う場面でもアヴちゃんや森山さんがアイデアを出し、それを大友さんと僕がジャッジするような流れで曲が出来上がっていきました」

完成した作品について監督は、「久々にいろんなものが出せた作品。いままで培ってきたことに近年封印していた事も足し、テーマ的にも共鳴するところのあるものを作れたなという実感があります」と、一つの集大成的な映画になったという。作画の面でも、「こんなに長時間歌ったり踊ったりすることはこれまでは避けてきましたが、『犬王』ではそれが中心になるので見せざるをえない」と覚悟を決めたダンスのシーンなど、挑戦的な作品になっている。

冒頭にあったように、本作のテーマの一つは歴史から漏れていった人たちを「拾って語る」ことだが、監督はさらに「それがテーマではありますが、犬王と友魚のように理解しあう関係があれば、拾われなくってもいいんだと。そういうところまでいければなと思ってやっていました」と続ける。テーマにただ着地せず、突き抜けてさらにその先へ連れていかれるのも、湯浅監督作品の醍醐味だ。果たして犬王と友魚はどんな結末を見せてくれるのか、ぜひ映画館で確かめていただきたい。