『夜は短し歩けよ乙女』「映像研には手を出すな!」の湯浅政明監督が手がける最新作『犬王』が、全国公開されている。
世界最古の舞台芸術「能楽」をテーマに描く本作。壮絶な運命すら楽しみ、力強い舞で自らの人生を切り拓く犬王と、呪いの真相を求め、琵琶を掻き鳴らし異界と共振する友魚たち2人のポップスターの姿を描く。
犬王役には女王蜂としての音楽活動に加え、様々なジャンルのアーティストへの楽曲提供や舞台出演など、止まらない躍進を遂げるアヴちゃん。友魚役をダンス・演劇・映像など、カテゴリーに縛られない表現者として、卓越した演技力と歌唱力を持つ森山未來が演じる。2022年の最注目作ともいえる本作の制作の裏側を、2人に訊いた。
――湯浅監督の作品には、どのような印象を持たれていましたか?
アヴちゃん: 湯浅監督の作品との出会いは、子どものころに触れた『クレヨンしんちゃん』でした。作画がすごくて、人間があり得ない動きをする。だけど、それがコミカルどころかちょっと恐怖という印象ですが、子供の感覚からすると面白いんですよね。でも大人になってから観るとそのすごさを改めて感じました。
そこから、特に好きになったのは『DEVILMAN crybaby』です。3歳くらいの時に、原作の『デビルマン』に触れた体験がすごく大きくて、このころに見ていた『ブッダ』『火の鳥』と合わせて私の中でもとても大事な作品だったんです。「シレーヌになりたい!」とずっと思っていました。
『DEVILMAN crybaby』は、そんな『デビルマン』を初めて最後まで描いた作品。「アニメだったらここまで!」とされているようなタガをはずした作品で、湯浅監督のすさまじさ、問答無用な突破力に圧倒されました。
アニメを媒介にして、人の心をえぐり、そのまま置いていってしまう。でも、それが実際に生きている人間からすると当然というか、「そういうものなんですよ」っていう。無常観というのか、そうした感覚をアニメに持ち込んでいる人はすごい少ないんじゃないでしょうか。
森山: 僕は、『夜は短し歩けよ乙女』を観ていました。そういう無常観がそこに描かれていたのかはわかりませんが、湯浅監督の作品は作画による時空のゆがみ方というか、四次元以上の描き方をしている感じがすごく魅力的だなと感じていました。
――お二人は映画『モテキ』で共演され、そこから10年ほどが経ちました。お互いの活動にどのような刺激を受けてこられましたか?
森山: テレビドラマ『モテキ』が終わったあと、僕は舞台で『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の準備をしていたんです。ちょうど映画『モテキ』の撮影をしている時で、監督の大根仁さんに『ヘドウィグ』で演出をやっていただくことも決まっていた段階でした。それで、映画撮影の合間に舞台の構想を話すこともあって、そんなときに「スゴい人がいる!」って携帯で見せられたのが女王蜂の動画だったんです。
それまでに『ヘドウィグ』の構想や登場人物のキャラクター、シチュエーションもいろいろ練っていたんですけれど、女王蜂を見て全部崩れ去ったような気持ちになりました。このままやってしまったら、ここに本物がいるから太刀打ちできないと感じて、もう一度建付けから作り変えることにしたんです。だから、『モテキ』で出会っているといえば出会っているんですけど、衝撃的な出会いがその手前にありました。
それからアヴちゃんは女王蜂としても快進撃を続けていて、ある種破滅的というか破壊的なところから形を模索している姿を見てきました。いつかどこかで一緒にやれるといいなってずっと思っていたので、今回アヴちゃんと共演する『犬王』にどうですか?と言われて、即決という感じでしたね。
アヴちゃん: 私はデビューしてからメジャーデビューまでも早くて、それこそ漫画のようにあれよあれよという間に過ぎていったんです。その流れで上京するんですが、そこでびっくりしたのが同じ目線で戦ってくれる人の少なさでした。その当時、女王蜂としては世間の「ええじゃないか精神」に立ち向かうような意識があって、それこそ犬王と友魚がぶち当たったような壁なのかもしれません。
そんな中で、未來氏は初めてしっかりおしゃべりした俳優さんでした。それまで、俳優さんはバンドのボーカルみたいなものだと思っていたんです。でも実際はちょっと違っていて、いろんな周りの方たちの力で輝く感じなんだなって。けれども、ボーカルみたいな人もいる、と感じたのが未來氏でした。
そこから、家に遊びに行ったりとか、要所要所で会ったりしていました。十年で変化したところはあると思うんですけど、当時と変わらない熱情を抱えて表現者としての渇きを潤そうとする姿を、至近距離ではないけれど、話ができる距離で見ることができたのはすごく私にとって素敵なことだったと思います。