VRゴーグルやスマートグラスを装着して、デジタル空間の中でさまざまなエンターテインメントやサービスを体験できる「メタバース」の世界に多くの関心が集まっています。
ソニーもメタバースに関連する技術革新に力を入れており、「音」のデジタルテクノロジーにより拡張された現実世界にアクセスして、さまざまなコンテンツを楽しむ「Sound ARプロジェクト」を立ち上げて、独自のコンテンツや連携するハードウェアを開発しています。
今回はソニーが提案するSound AR体験のひとつである、モバイルアプリ「Locatone」(ロケトーン)に迫ります。アプリの企画と開発に携わるソニーの青山龍氏と八木泉氏、ならびにロケトーンアプリで楽しめるコンテンツ「せんじゅさま」を制作したHLC代表取締役の日比健氏を訪ねました。
現実世界の体験を拡張する「音のAR」
ソニーのSound ARとは、現実世界の情景に同期する音を重ね合わせて、音による仮想世界を楽しむエンターテインメントです。ロケトーンはソニーが開発した、Sound ARが楽しめるモバイルアプリ。スマートフォンなどにインストールしてイヤホン/ヘッドホンを組み合わせると、ベストな環境でSound ARを体験できます。
「ロケトーンは種類を問わず、さまざまなイヤホン/ヘッドホンで楽しめるアプリです。Sound ARに最適化したソニーの開放型ワイヤレスイヤホン『LinkBuds』(WF-L900)を組み合わせると、アプリの音を聞きながら周囲の環境音も聞こえてくるので、体験のリアリティが一段と増してきます」(青山氏)
「視覚情報と合わせて体験するARエンターテインメントは、スマートグラスなど特別なデバイスが必要です。Sound ARはスマホとお持ちのイヤホン/ヘッドホンだけで手軽に楽しめることも大きな特長です。音は人間の記憶や感情に直結する体験なので、より強く心を動かすようなコンテンツが提供できると考えています」(八木氏)
馴染みの街や場所が「音の力」でテーマパークに
ロケトーンアプリは「地球まるごとテーマパーク」というテーマを掲げています。ユーザーが暮らす街、毎日訪れている場所などを「音の力でエンターテインメント化」できることが、アプリによる体験の特徴であるといいます。
ロケトーンを起点に、体験できるSound AR対応のコンテンツも多様化しています。
たとえば、2021年にはアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の舞台となった埼玉県・秩父市を、ストーリーの主人公である“めんま”と一緒に旅するコンテンツ『「あの花」Sound WALK』が開催されました。「秩父市街なか編」では作品に登場する聖地を巡りながら、めんまが秩父観光をナビゲートします。都心と秩父市を結ぶ西武鉄道と連携するコンテンツ「西武鉄道編」では、電車旅の道中にアニメの制作秘話をめんまが語りかけてくれます。
また、東京のしながわ水族館では、人気の動物コツメカワウソの「シュラ」と「ニコ」の新展示をSound ARの音声コンテンツが楽しくガイドするイベントが2022年3月まで開催されていました。
ソニーの青山氏と八木氏は、「Sound ARには、街を歩きながら歴史を学んだり、教育目的のコンテンツなども広くエンターテインメント化できる魅力がある」と口をそろえます。
ホラーコンテンツ「せんじゅさま」ができるまで
ロケトーンアプリでは、期間限定で配信されるものも含めて、多くのSound AR対応コンテンツが公開されています。
そのひとつである「YOASOBI SOUND WALK」は、Sound ARの技術的な特徴を網羅する目的も兼ねて、ソニーが独自に制作したもの。LinkBudsのヘッドトラッキング機能により、再生中に顔の向きを変えても音が固定された位置から聞こえ、リアルな3Dサウンドの効果が体験できる代表的なコンテンツです。
ソニー外部のコンテンツクリエーターも、積極的にSound ARのコンテンツ制作を始めています。今回はロケトーンアプリで楽しめるホラーサウンドツアー「せんじゅさま」を手がけたHLCの日比氏に制作の舞台裏を聞きました。
「せんじゅさま」は東京・原宿、代々木の街中を舞台に、音を聞きながら楽しむホラーサウンドストーリーです。日比氏はなぜ、Sound ARエンターテインメントに興味を持ったのでしょうか。
「今から1年半ほど前に、ソニーからコンテンツクリエーションの新しい技術をいくつか紹介いただきました。その中に含まれていたロケトーンに私たちが興味を持ちました。当時はまだLinkBudsがなかったのですが、ヘッドトラッキングの技術を活かして、何か面白いことができるのではないかという期待がありました」(日比氏)
「当社(HLC)は、東京都内でリアルのお化け屋敷である『方南町お化け屋敷オバケン』を運営しています。現在は入念な感染症対策を行いながら営業していますが、コロナ禍の中でお客様に来館いただくことが難しい時期もありました。リアルのお化け屋敷に代わって、ファンの皆様に楽しんでもらうコンテンツを模索していた時に、ソニーからいただいたSound ARの提案がフィットしました」(同)
4月2日に東京で配信を開始した「せんじゅさま」は、5月2日までの1カ月間限定で無料配信されていました。筆者もツアーを体験してきたので、この後詳しく報告します。
「せんじゅさま」は5月初旬以降には全国各地で、有料版のホラーサウンドツアーとして順次公開を予定しています。当初は東京に加えて、大阪と名古屋で楽しめるそうです。日比氏は「神社や公園など、街のスポットとコンテンツをリンクさせることで、ホラー作品は恐怖体験を高めることができた」と手応えを振り返っています。
※編注:同コンテンツは5月3日以降、980コイン(税込980円)で体験可能になっている。詳細はLocatone公式サイトのコンテンツページを参照のこと。
制作ツール「Locatone Studio」でコンテンツ拡充をねらう
ソニーでは外部のコンテンツクリエイターに向けて、ロケトーンで楽しむコンテンツを制作するためのツールとなる「Locatone Studio」というアプリケーションを準備しています。
「コンテンツクリエイターの皆様がSound ARに対応するコンテンツを簡単につくれるように、アプリケーションの機能やインターフェースをデザインしています。現在はベータ版として、HLC様のようなSound ARのコンセプトに賛同をいただいたパートナーの方々に向けて限定公開しています。今後はパートナーの皆様から寄せられた要望を元に使い勝手をブラッシュアップして、より多くの方々にLocatone Studioを使っていただきたいと考えています」(八木氏)
Locatone StudioはWindows/Macを問わず、ブラウザから利用できるツールです。アプリケーションの画面には現実世界の平面マップが表示されています。クリエイターはイベントを発生させたいポイントを指定して、音声や画像などのファイルを配置します。ロケトーンアプリでは屋内の場合はビーコン、屋外ではGPSとビーコンも併用してユーザーの現在位置とイベントが発生するポイントとの距離間隔を把握します。
BGMにナレーションなど種類の異なる音声ファイルをひとつのポイントに複数配置したり、AR画像を表示するアクションなども設定できます。イベントが発生する「エリア」はクリエイターがマップを見ながら、たとえば、建物の敷地内、道路沿いなど複雑な地形に合わせた多角形を描いて指定できることも特徴です。
HLCの日比氏は、Locatone Studioを使って「せんじゅさま」のコンテンツを制作した手応えを次のように語っています。
「とても使いやすいツールだと思いました。用意した素材をマップに貼り付けて、細かなシミュレーションもマップ上で手早くできます。『せんじゅさま』は当社が初めてSound AR対応のコンテンツをつくる機会だったので、手探りの状態からスタートしていますが、それでも制作期間は1カ月半程度でした。慣れてくればさらに期間を詰めて早くつくれると思います。徒歩で移動するユーザーの行動を予測しながら、イベントを配置する間隔、ナレーションの尺度などを合わせ込む作業が腕の見せどころでした」(日比氏)
ロケトーンアプリはバックグラウンド再生にも対応しています。ユーザーはアプリをスリープ状態にして、スマホをポケットやバッグに入れたまま音だけを聞きながらコンテンツを楽しむこともできます。「せんじゅさま」の場合、この仕組みを活かしてコンテンツの再生中にロケトーンからツイッターにユーザーを誘導し、ストーリーの鍵を握るシーンをダミーのSNSに表示して、臨場感を高めることにも挑戦しました。
Locatone Studioが提供する機能を、クリエイターが独自のアイデアを活かして新しい使い方を見つけてくれることに頼もしさを感じる、と青山氏は話しています。
原宿で「せんじゅさま」を体験してきた
筆者は怖がりなので、無粋にもよく晴れた日の昼間に「せんじゅさま」を体験してきました。原宿の駅前から代々木公園にかけて、散歩感覚で歩き回れる圏内に12件のイベントが点在しています。LinkBudsを装着して、ロケトーンアプリを開きながら各ポイントを巡ります。
12カ所のポイントは適度な距離間隔で配置されているので、いつもの歩くペースでストーリーが間延びすることなく楽しめました。筆者は記事の写真を撮影しながら進んだので、全体を巡るのに50分前後かかりました。
「せんじゅさま」は原宿の街でふつうに起こりそうな出来事が積み重なり、クライマックスまで一気に盛り上がります。ナレーションが描写する風景と現実世界の街並みがリンクするので、まるで自分が恐ろしい物語に巻き込まれてしまったような臨場感も味わえました。
ただ、大勢の人々が行き交う普通の街中で楽しむコンテンツなので、スマホの画面や音声にのめり込み過ぎないように注意も必要です。
特にイベントが仕掛けられている場所では、いったん立ち止まってからスマホの画面に表示される画像やテキストをしっかりと読んだり、AR写真を撮影する方が良いと思います。
音声もノイズキャンセリング機能はなるべく使わずに、むしろ外音取り込み機能を積極的に使ってより安全に楽しむことを意識するべきです。ソニーのLinkBudsは“穴が空いているイヤホン”なので、装着した状態で周囲の環境音が自然に聞こえてきます。また、ボリュームを上げなくてもナレーションの音声が明瞭に聴き取れるので、Sound ARのエンターテインメントと相性が良いと感じました。
「せんじゅさま」はいわゆる“肝だめし”的なコンテンツなので、ひとりでは心細いから友だちと一緒に楽しみたいという方も多いと思います。ふたりまでならば、iPhoneに標準搭載されている「オーディオを共有」する機能を使えば、対応するAirPodsシリーズやBeatsのワイヤレスイヤホン/ヘッドホンを使って、コンテンツの音をシェアしながら楽しめます。
Bluetoothの新規格としてまもなく提供開始が期待される「LEオーディオ」では、スマホなど1台のBluetoothオーディオの送信デバイスから複数のワイヤレスヘッドホン・イヤホンに信号を同時伝送できるブロードキャスト機能が使えるようになります。Sound AR体験を大勢のグループで楽しめるようになれば、クリエイターの創造力を刺激しそうです。
エンターテインメント以外にも広がる「Locatone」
今後、ソニーのSound ARやロケトーンはどんな道に成長していくのでしょうか。青山氏と八木氏に聞きました。
「クリエイターの皆様に、より多くの独創的なエンターテインメントを形にして欲しいと思っています。Sound ARは地域の活性化にも貢献できると考えています。例を挙げると、佐渡観光交流機構にロケトーンのコンテンツとして制作いただいた『SADO-SOUND ベンチャー』では、櫻坂46の森田ひかるさんが佐渡の魅力を紹介するガイドツアーが好評を得たと聞いています」(青山氏)
「今後は個人の方々もロケトーンの中にチャンネルを開設して、Sound ARを活かしたコンテンツを制作・発信できるようにプラットフォームを充実させたいと考えています。車でドライブを楽しむ際のプレイリストをつくるような感覚で、これから出かける旅先の音声旅行ガイドを作り込んでみたり、一般の方々が誰か友だちや家族のため、あるいは地域のためにSounda ARツアーを企画することもできるようになるかもしれません」(八木氏)
Sound ARはスマートグラスなどを使う視覚的AR/VRエンターテインメントに比べて、ユーザーが負担を感じることなく気軽に楽しめるところに大きな魅力があります。一方で「音だけ」の体験は、これから同じようなコンテンツが増えてくると単調に感じられることもあると思います。音によるイベントにスマートトイやウェアラブルデバイスなどが連動すれば、Sound ARの世界に厚みが増してきそうです。さまざまな可能性を秘めた「Sound ARプロジェクト」に今後も注目したいと思います。