東武東上線は池袋駅を起点に西北へ延び、川越方面へ向かう路線。池袋駅を発車すると、しばらくして住宅街然とした車窓風景に変わり、板橋区に入る。成増駅は板橋区に所在する駅。次の和光市駅から埼玉県となる。
成増駅の開業は1914(大正3)年。東上鉄道(現・東武東上線)の開業と同時に駅が設置された。東上線の駅の中でも最古参にあたる存在だが、駅周辺は住宅街であり、目玉といえるような観光地もないため、来街者は多くなく、それゆえに都内でもメジャーな駅ではなかった。
今年の3月8日から4月3日まで、成増駅のホームに設置されている駅名看板や駅南口の駅名表示が「なりもす」駅に変更された。駅付近には、モスフードサービスが全国展開するモスバーガーの1号店がある。「なりもす」駅への変更は、モスフードサービスと東武鉄道のコラボ企画として期間限定で行われた。明らかに「成増(なります)」と「モス」をかけたシャレなのだが、単なる宣伝というだけではなく、そこにはモスバーガーが込めた成増への感謝も感じられる。
同地の住民なら当たり前すぎるほどに知られた話だが、成増はモスバーガー創業の地。そのため、モスバーガーの存在は成増の誇りにもなっている。モスバーガー側も、地域に支えられていることを認識している。
モスバーガーの1号店は成増駅南口を出てすぐの場所にあり、店舗リニューアルなど行いながら、50年にわたって同じ場所に店舗を構えている。その間、成増とともに歴史を歩んできた。
モスバーガーの店舗からは、「なりますスキップ村」と呼ばれる商店街が延びている。多くの買い物客でにぎわうスキップ村は、おもに飲食店が並んでいる。
商店街の奥へ進んでいくと、ダイエー成増店の建物が見えてくる。一時期、同店はダイエーの本社機能を有するほどの核店舗だったが、ダイエーの経営不振から紆余曲折を経て、2019年に閉店した。それから2年もの歳月を経ているが、跡地の再開発は進んでいない。
さらに進むと、川越街道に突き当たる。板橋区から和光市へとつながる幹線道路だけに、交通量は多い。川越街道の地下には、東京メトロの地下鉄成増駅がある。
地下鉄成増駅は1983(昭和58)年、営団地下鉄(現・東京メトロ)有楽町線の駅として誕生。当時の駅名は「営団成増」だった。東武鉄道の成増駅とは200mも離れていないが、わざわざ別の場所に駅を設置したのは、用地買収をスムーズにするため、川越街道の地下に線路を建設したことが理由だという。2008年に副都心線が開業すると、新宿・渋谷方面へ列車が乗り入れるようになり、利便性が向上した。
ただし、成増の中心街といえるのは川越街道と地下鉄成増駅の周辺まで。以南は純然たる住宅地となる。さらに昔、成増駅が開業した頃の沿線は純然たる農村だった。当時の成増駅も、利用者は決して多くなかったという。
1920(大正9)年、東上鉄道は東武鉄道と合併。沿線需要を掘り起こすべく、この頃から東上線の沿線にレジャー施設や住宅街が計画された。成増駅の南方では、貿易商が富裕層をターゲットにした農園をオープンさせていたが、東武鉄道社長の根津嘉一郎がこれに協力。テニスコート・映画館・ボート池などのレジャー施設を増設しながら敷地も拡張し、当初の農園から総合レジャー施設へと趣を変えていった。
「兎月園」と名づけられた成増の総合レジャー施設は、遊園地のはしりともいえる存在だった。2020年8月に惜しまれつつ閉園した遊園地「としまえん」(開園当初は豊島園)よりも早く開園している。
しかし、近隣に2つの遊園地が並立していたため、客を奪い合って共倒れになってしまう。そうした危機感から、兎月園と豊島園の両者が話し合い、兎月園は大人をターゲットにした行楽施設、豊島園は少年少女を対象にした遊戯施設へ、独自色を強めていくことになった。この話し合いにより、兎月園で飼育されていた小動物が豊島園に引き取られたとの逸話も残る。
ところが、戦時色が強くなった昭和10年代、兎月園は経営が成り立たず、閉園してしまった。現在、兎月園の面影を探すことは難しいが、地下鉄成増駅と川越街道から南へと延びる道路に兎月園通り(商店会)の名前が残っている。
成増駅は駅を境に、南北で大きな高低差がある。駅南口もなだらかな坂だが、駅北側はすり鉢状のような地形になっている。百々向川緑道をはじめ、高低差を感じられる場所もある。
そうした地形的な理由もあって、駅北側は長きにわたって開発が進んでいなかった。1980年代後半から行政主導による開発が進められ、駅北口に大きなバスロータリーが設置されたほか、駅からつながる複合商業施設などが次々と整備されていった。こうした開発により、成増駅は南北で違う顔を持つ駅となっている。