「平三、歴史はそうやって作られていくんだ」(義経)、「人の世を治めるには鬼にならねばならぬ」(頼朝)。源兄弟共々、達観している。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第17回「助命と宿命」(脚本:三谷幸喜 演出:吉田照幸)は、第15回の上総広常(佐藤浩市)の粛正に次いで酷(むご)い回だった。義高(市川染五郎)の死とそれにまつわる巻き添え死の数々……。「鎌倉は怖いところだ」という工藤祐経(坪倉由幸)の言葉そのものである。

  • 『鎌倉殿の13人』義高役の市川染五郎

平三とは梶原景時(中村獅童)のこと。義経(菅田将暉)はいつの間にか景時をこんなふうに気軽に呼ぶようになっている。頭がキレ過ぎて誰に対してももどかしさを感じてしまう義経だが、景時のようにどこか通じるところのある者にはそれなりに親しみを見せるようである。義高ともそれなりに親しくしていたが、義高の父・義仲(青木崇高)を陥れたのは義経である。義経と義高は第14回で蝉のかけらを餞別にしてから二度と会うことはなかった。

頼朝(大泉洋)は義高が父・義仲の仇を討つべく立ち上がることを怖れる。「武士にとって父を殺された恨みはそれほど深いのだ」と言う頼朝自身が20年間、平氏を恨んで今がある。

万寿に禍を及ぼす危険性を未然に防ぐため、義高を処分せよと命じられた義時(小栗旬)。第15回の上総の一件から重く憂鬱な仕事を任せるようになっている。浮かない気分だが頼朝の命令に背くわけにはいかない。彼なりに悩んでいると、義高には「おまえとは話しとうない」と拒否される。あからさまに政子(小池栄子)との態度に差をつけられた義時の顔といったら……。このときはすこしコメディ調だったが、後半はいっさい笑えない展開となる。

義高と大姫の悲恋はまるで『ロミオとジュリエット』だった。幸せを求めて必死に逃亡したものの、あいにく連絡がうまくつかず不幸が訪れる。登場人物はものごとの行方が予測できず、観ている者は先がわかってハラハラするばかり。この手の構成は『ロミジュリ』と同じシェイクスピア作品でいうとほかに『マクベス』におけるマクダフの妻子殺害の場面が思い浮かぶ。危ない逃げて! と思うが観客にはどうにもできない。最高の没入感である。

うまくいけば救われたのになぜ……という大きな絶望を描いたもので筆者が記憶するのは曽祢まさこの漫画『魔女に白い花束を』である。『魔女グレートリ』という小説が原作で、魔女裁判にあって火炙りになるヒロインを救おうと奮闘する人物が無実の証拠を見つけてくるが、間に合わない。一瞬希望があってどん底に落とされる話で、『鎌倉殿』の義高がまさにこれと同じであった。

頼朝の命令の変更が間に合わない。ケータイのない時代の悲劇である。それだけでも十分過ぎるほど悲しいのに、さらに哀しみを盛ってくる。義高が命を落とすきっかけが大姫との思い出の手毬であったことだ。毬が引っかかり刀が抜けないというなんとも皮肉な最期。『マクベス』のセリフで言ったら「ああ、天に慈悲はないのか!」だった(小田島雄二訳)。

政子(小池栄子)は娘のために義高を匿ったものの彼は、義時を疑い逃亡した。結局は義時が間接的に手を下したようなものだ。義時は手を汚さずして遂行したと言えるだろう。意識しての行いなのか偶然だったかわからない。だがなんだか寒気がする。第15回で義村(山本耕史)の指摘にもあったように、状況を自分に都合よく転がしていく頼朝に似た才能は今後の義時を考える点で重要である。

義時はもうひとつ憂鬱な仕事を行う。頼朝にとっての目の上のたんこぶである武田信義(八嶋智人)を消すため息子・一条忠頼(前原滉)が義高と謀反を企てたと濡れ衣を着せて成敗する。危険を察知した忠頼が刀を抜いたとき、義時は頼朝をかばって前に立った。この瞬間、義時はある種、頼朝と一体になったようにも感じる。

義時の力の増大は信義と相対したときにも漂った。甲斐源氏のプライドをもって一歩も引かない信義だが、大きな身長差によって義時(その背後の頼朝)に敵わないように見える。体を震わせるほどぐっと顎をあげ、烏帽子を高く持ち上げて踏ん張ったすえ、取り残された信義ががくりと膝をついたとき、もはや打つ手なしであることが残酷なまでに伝わってきた。ミザンス(人物の配置)で状況を表現する演劇的な場面は、舞台がホームグラウンドである八嶋智人だからこそ成立した彫りの深い場面になった。

義時はさらに、義高の首をとって大手柄と浮かれていた藤内光澄(長尾卓磨)を殺害する(自ら手をくだしてはいない。現場に立ち会っている)。それは政子が「断じて許しません」と言ったからだと「御台所の言葉の重さを知ってください」「我らはもうかつての我らではないのです」と諦念したように諭すときの義時が背負ったものは実に重い。

政子の断じて許さない感情のぶつけどころは、本来、頼朝であろう。だがそこを突き詰めたら大変なことになる。「頼朝はその言葉を重く受け止めた」と言うのは政子と頼朝の関係が切れたら北条家が危ういということでもある。ここは光澄を犠牲にすることでその場を治めるしかないのであろう。とはいえ光澄の「なぜだー」という叫びどおり、あまりにも理不尽である。一条忠頼も藤内光澄もとんだとばっちり。騙し合いバトルというポップなものではなくバトル・ロワイアルになってきた。“鎌倉”という逃げようのない場所に閉じこめられた北条家が生きるために共食いをはじめる地獄絵図も様相だ。

「鎌倉は怖いところだ」と義時に囁いた工藤祐経はかつて伊東祐親(浅野和之)に土地を奪われた恨みから頼朝の命を受け祐親の命を狙ったことがある(第2回)。八重が「忘れましょう」と誤魔化したのはこの一族内の内ゲバ。そのとき、祐親の息子・河津祐泰(山口祥行)が祐経を追いかけようとして「雑魚は構うな」と父に声をかけられ、それっきりこの豪快な人物は出てこない。有名な『曽我物語』によると彼は祐経に殺されている。第17回で祐経に石を投げていたふたりの少年が祐泰の遺児(曽我兄弟)ではないかとSNSでは話題になった。祐経にも因果応報の法則が発動するだろうか。頼朝の言葉「武士にとって父を殺された恨みはそれほど深いのだ」が心に引っかかる。

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