「ミニマリスト」という言葉を知っていますか? 一般的には「最小限主義者」や「最低限主義者」と訳され、「持ち物を最小限にする」人やライフスタイルのことを指します。つい欲望のままにモノを増やしがちなわたしたちですが、モノを持ち過ぎることにはどんなデメリットがあるのでしょうか。
かつては自身もモノにあふれたいわゆる「汚部屋」に住んでいたものの、ミニマリストとなったことで人生を大きく変えた作家・編集者で、ベストセラー『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(ワニブックス)でも知られる佐々木典士さんにお話を聞きました。
■ミニマリストの基準は自分にとって大事なモノがわかっている人
「ミニマリスト」というと、持ち物を100個以内にしているとか、持ち物すべてがスーツケースひとつに収まる人を想像するかもしれません。
ただぼくは、そのようにモノの数の上限といったことにとらわれず、「自分にとって本当に大事なモノがわかっている人」、あるいは「モノを減らすことのメリットがわかっている人」というくらいの認識でいいのではないかと考えています。
ぼく自身、モノの少なさにこだわっていた時期も正直あったと思います。そのように「これ以上モノを持ってはいけない」「モノを減らさなければ」と思い込んで自分の行動を制限し、ミニマリストであることで得られるはずの自由さや解放感を失ってしまうなら、本末転倒ですね。
ミニマリストは「自分にとって本当に大事なモノがわかっている人」ですから、自分にとって不要なモノは手放しますし、本当に大事なモノだけを残します。つまりどれだけたくさんのモノを持っていたとしても、「これらが自分にとって本当に大事なモノであり、最小限のモノだ」といえるのなら、ぼくの考えではその人はミニマリストだといえます。
■かつては「汚部屋」の住人だった現ミニマリスト
ぼくがミニマリストを目指すようになったきっかけは、いま一緒に「Minimal & Ism」というウェブサイトを運営しているクリエイティブディレクターの沼畑直樹さんが書いた記事でミニマリストという言葉を知ったことでした。
そして、アンドリュー・ハイドという人の存在を知りました。彼は当時、わずか15個の荷物だけをバックパックに詰め込んで、モノや家に縛られることなく仕事をしながら世界中を旅していいました。当時のぼくはその生活を見て、「ぼくとは真逆だ」と感じたのです。
いまも基本的にそうなのですが、当時のぼくはとにかくモノが大好き。東京の小さいアパートに、夜な夜なオークションで落としたアンティークやカメラや大量の本、CD、DVDなどを足の踏み場もないほどため込んでいたのです。
モノがたくさんあるために、面倒で掃除もほとんどできませんでした。いわゆる「汚部屋」に住んでいたのです。「掃除をしなければ」「片づけもしなければ」と思ってはいるのですが、それができない。すると、そういう汚い部屋に住んでやるべきこともできない自分のこともあまり好きではなくなります。そうして、憂さ晴らしのために夜遅くまでお酒を飲むような荒れた生活を続けていたのです。
当時のぼくは30代半ばで自分のキャリアについて考える時期でもあり、「このままでいいのだろうか…」という漠然とした不安も抱えていました。そんなときにアンドリュー・ハイドのような自由な生き方を知り、「自分もこうなりたい」と思ったのです。
その思いというのは、ただ「少ないモノで生活したい」というよりその向こうにある「もっと自由にいろいろなことをやってみたい」という思いだったように思います。ミニマリストとなったいまは会社を辞めて独立し、自分のペースで毎日の生活を楽しめており、その思いはしっかりと叶えられています。
■モノがどんどん増えてしまうわけは?
そもそもなぜ多くの人たちは「モノを持ちたい」「欲しい」と思い、モノを減らせないのでしょうか? コロナ禍におけるマスクのことを例に挙げて考えてみます。
新型コロナウイルスの感染拡大がはじまった当初、マスク不足が社会的な問題になりました。その頃は、たとえばアベノマスクのようなただの布マスクだって手に入れることができたならありがたく感じましたよね。
でも、マスクの生産量が増えてマスク不足が解消されると、だんだんとみんなと一緒のふつうのマスクでは満足できなくなったように思います。おしゃれなデザインのマスクや、呼吸がしやすいなど機能性が高いマスクをまわりの人がしていると、ふつうのマスクがみすぼらしく感じて、新しいマスクが欲しくなったはずです。
そうして欲しいマスクを購入すると、手持ちのマスクの数はおのずと増えていきます。それなのに、以前から持っていたマスクを処分するかというとそうはしません。なぜなら、手に入れるために大変だった当時の思いや、「このマスクは○円だった」というコストの意識が、それを手放すことを阻むからです。そのようにして、モノはどんどん増えていくわけです。
■モノには時間・労力・お金がかかる
モノを持ち過ぎることの最大のデメリットは「無駄な時間や労力、お金を使ってしまう」ということです。
モノというのは、所有すると管理や掃除といった手間が必要になってきます。壊れたモノをそのまま放っておくことはできませんし、ほこりがたまったり汚れたりしたら掃除をしなければなりません。買って終わりではなく、そのあとも面倒を見なければならないという「責任」が発生するのが、モノなのです。
ペットだったら、その責任はわかりやすいでしょう。エサをあげなければならないし、犬ならば散歩をさせなければなりません。ペットを飼おうかどうかと悩んでいるときには、発生する責任についてたいていの人がよく考えると思います。
モノが厄介なのは、ペットとちがってその責任について顧みられることが少ないということ。でも、モノにも管理をしなければならない責任はついてまわるのですから、たとえ一つひとつのモノに対する責任は小さなものだとしても、それこそ「ちりも積もれば山となる」で、いつかはモノの管理のために膨大な時間や労力を使うことになるのです。
加えて、モノを持つということはその置き場も確保しなければならないということを意味します。モノには家賃もかかっているのです。ぼくは、モノとは「家賃を払ってくれないルームメート」だといっていますが、多くのモノを持っている人は、その持ち物のために自分が家賃を負担してあげているような状況にあります。
もしそれらの時間や労力、お金を他のことに使えたらどうなるでしょう? 新しい挑戦や、自分の成長のための自己投資に使えたなら、人生は大きく変わっていくかもしれません。
■たくさんモノを買うこともひとつの勉強
これらは、「モノを持ち過ぎた」ところから「モノを手放した」というぼく自身の経験を通じて感じたことです。ただ社会人になって間もないような若い人たちに対していきなり、「モノを持ち過ぎるべきではない」というつもりはありません。
若い人の場合、「学生時代には高くて手を出せなかったモノを買いたい」という願いを持っている人も多いと思います。そうであるなら、実際に買ってみていいと思います。なぜなら、実際にモノを持ってみないとわからない、感じられないことも多いからです。
最初に、ミニマリストとは「自分にとって本当に大事なモノがわかっている人」だとお伝えしました。つまり、自分にとって本当に大事なモノかどうかの「基準」がわかっていることがミニマリストの条件です。
その基準を実感するには、実際にモノを持ってみて、そこから減らすような経験も必要でしょう。たくさんモノを買うのもひとつの勉強です。ただそのときに、欲しかったモノを手に入れたことのよろこびだけにフォーカスするのではなく、「モノを持つことにはデメリットもある」ということも意識しておいてほしいと思います。
構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/清家茂樹