2021年11月にヤマハ発動機が披露した、100%水素で動く「V型8気筒水素エンジン」は多くの人に衝撃を与えた。
国際社会がカーボンニュートラルを目指しているいま、水素エンジンはどのような可能性を秘めているのか。ヤマハ発動機の中西啓太氏に伺った。
"100%水素エンジン"を公開したヤマハ発動機
ヤマハ発動機は2021年11月、トヨタ自動車からの委託により開発した「V型8気筒(V8)水素エンジン」を世界に向けて初公開した。"ヤマハブルー"とも呼ばれる青色は、動力となる水素を想起させつつ、未来を感じるカラーリングだ。
水素は地球上にほぼ無尽蔵に存在するため、ガソリンエンジンとは異なり、酸化炭素が発生しない点が大きな魅力。脱炭素(カーボンニュートラル)が宣言されるこの時代において、大きな可能性を秘めた燃料と言えるだろう。
だが、この水素エンジンについて詳しく知る人はまだ少ない。ガソリンエンジンや電気自動車(EV)とどのように異なるのだろうか。その特徴について、ヤマハ発動機で四輪自動車向けのエンジンを開発している中西啓太氏に話を伺った。
「時代は水素だ!」3社が集った"影の軍団"
──中西さんが水素エンジンの開発に関わり始めたきっかけは?
元々、ヤマハ発動機に所属しながらトヨタ自動車で四輪自動車エンジンの開発に携わっていました。2011年頃には、LEXUSブランドのスーパースポーツカー「LFA」に搭載される4.8L・V型10気筒エンジン「1LR-GUE」のレース用エンジンの開発も手伝いました。
この時はもちろんガソリンエンジンを作っていたのですが、この「LFA」を担当するトヨタ自動車の方が、次のスポーツカーを開発するにあたって「時代は水素だ!」と言い出し、「とにかく作ろうよ」と話が進んで行ったんです。そして2014年ごろ、ニュルブルクリンク24時間レースに関わるスタッフ5名──トヨタ自動車から1人、ヤマハ発動機から2人、愛媛県松山市のケン・マツウラレーシングサービスから2人が招集されました。僕らは勝手に"影の軍団"と呼んでいます(笑)。
最初に水素エンジンの話を聞いたときは「なにを言っているんだ?」と思いましたけどね(笑)。とにかく面白そうだったので、その後水素エンジン開発を主に担当することとなる山田健とともに「いいですよ、やりますか」と、二つ返事で始めたのが2015年頃の話です。
──「持続可能な開発目標(SDGs)」がスタートしたのは2016年、脱炭素のメッセージが実際に一般に届き始めたのは2018~2019年頃というイメージです。2011年の時点で「時代は水素だ!」と言う言葉はだいぶ早いですね。
僕も不思議なのですが、脱炭素の時代が来ると読んでいたんでしょうね。エンジンを持たないEVが増えるなか、「エンジンが好きな人に向けて、環境にも配慮したスーパーカーを作りたい。高くても絶対に売れる」と思っていたらしいです。エンジンを生き残らせたかったんだと思います。
開発は大々的に行っていたわけでなく、成果が出るまで目立たないように少数の"影の軍団"でコッソリと進めていました。正直、今のような状況になるとは思っていなかったです。
水素エンジンのメリットとは?
──水素エンジンは、ガソリンエンジン・EVと比べてどのような特徴があるのですか?
ガソリンエンジンと比較すると、まず内燃機関でありながら、燃焼してもCO2(二酸化炭素)を排出しない、つまりカーボンニュートラルというメリットが第一に上げられます。第二に、リーンバーン(希薄燃焼)です。ガソリンよりも少ない燃料で燃やすことができるので、ガソリンエンジンでは不可能なことができる可能性を秘めています。
一方、EV(電気自動車)と比較するとCO2を出さない点では同じですが、充電に時間がかかるEVと比べ、水素は充填の時間が短く済みます。またエンジン産業に関わる雇用も支えられると考えています。水素エンジンの部品はガソリンエンジンと基本的に同じで、特にレースに出走する車種は、インジェクターと水素を供給するデリバリーパイプ以外ほぼ一緒です。
──いま、日本にとって強みがある産業を守ることにも繋がるのですね
実際、水素エンジンを発表してから思いも寄らないところからの問い合わせも増えました。例えば、エンジンのピストンはEVでは使いませんが、水素エンジンであれば既存の技術を活かした部品作りを続けられるんです。
──自動車を運転するユーザーの視点ではどんな特徴がありますか?
燃焼が速いこと、そしてノッキングが出にくい特徴があります。ガソリンエンジンと比較すると、回転数が低くてもアクセルを踏んだときにトルクが出やすいイメージですね。
エンジン音はほぼガソリンエンジンと同じですが、排気音はひいき目に見ると多少乾いたような音になっていると思います。ガソリンと水素では燃焼時に出てくる成分が違うせいかもしれません。
──ヤマハ発動機の「V8水素エンジン」、独自の魅力は?
車が好きな方にとっては、やはり「音」でしょうか。水素だから、というよりもV8エンジン自体の特徴ですが。トヨタ自動車の委託を受けてヤマハ発動機が開発していたエンジンをベースに、吸気と排気の位置を入れ替えています。
排気って、混ざると良い音がするんですよ。フェラーリの排気音が"良い音"と言われるのも、排気が等間隔で混ざるからです。これを再現するために、あえて吸気と排気を逆にし、エンジンの内側に同じ長さの排気8本を集合させています。
水素エンジンを普及させるための課題
──脱炭素の魅力は大きいですが、水素エンジンにはどんな課題がありますか?
課題は大きく3つあります。まず、水素は火がつきやすいためプレ・イグニッション(早期着火)コントロールが難しい。エンジンにちょっとでも熱いものがあると勝手に火がついてしまうのです。また水素は燃えるとガソリンに比べ3倍近くのH2O(水)が出ます。これによって鉄の部品が錆びやすくなりますし、オイルに水が混じって乳化しやすくなります。
そして最大の課題は、航続距離の短さです。現在、水素は大気圧の700倍という高圧でタンクに詰めていますが、ガソリンと同じだけのエネルギーを得ようとすると、約7~8倍の体積が必要になります。例えばガソリン満タン(50L)相当の距離を走る場合、水素だと400L、普通自動車のトランクと後部座席全てがタンクになっちゃいますね。
――ヤマハ発動機といえば二輪車も多く手掛けていますが、二輪車だとスペースが明らかに足らないですね。
サイズの問題だけではありません。水素を詰める気圧に耐えるには球形に近い円柱のタンクが必要なのですが、バイクのタンクは車体のデザインに合わせて設計するため、現状ではまず乗せられませんね。
──形状の問題もあるのですね。自動車の場合でも、給水素スタンドを探す旅のようになってしまいます(笑)
そうなんです。今はこの条件に対応できる自動車に水素エンジンを載せようと検討しています。例えば高速道路をメインに走る大型トラックなら、サービスエリアごとに給水素が可能かもしれません。それからヤマハ発動機でいえば、大きい船舶や、長距離の走行を想定していない超小型のスクーターなどですね。
──少ない体積に、より多くの水素を封じ込めることは難しいのでしょうか?
より大きな圧力をかければ体積は小さくなりますが、タンクがどんどん分厚く、重くなります。また液体水素なら約800分の1のサイズになりますが、気化を防ぐため-253度を保たなければなりません。可能性があるとすれば金属に水素を取り込ませた「水素吸蔵合金」で、これは約1000分の1になります。ただし、まだ実用化には至っていません。
──ちなみに、水素は価格的に高価な燃料ですか?
試験燃料で言えば、水素は高いです。カーボンニュートラルに向けた産業政策により、燃料電池として使うとハイオクと同じくらいの価格(通常約150円前後、2022年4月現在は170~180円前後)で購入できます。ただ内燃機関で使うと効率が悪いため、航続距離あたり2倍くらい。我々が試験で使っている水素は6倍くらいですが、この価格のほとんどは輸送費のようです。
レース「スーパー耐久シリーズ」での苦労
──2021年のスーパー耐久シリーズでは、水素エンジンを搭載したトヨタ カローラが参戦しました。中西さんはこのとき、どのような役割を担ったのでしょうか。
我々の部署ではサーキットで直接のサポートはしていませんが、水素エンジンの耐久試験などをお手伝いしました。
──サーキットで走らせる上で苦労した点はありますか?
サーキットを走る準備という意味で、実はそれまで耐久試験自体をやったことがなかったんです。試験設備ではトレーラーで水素ローダー(19.6MPa/3000m3)を現地に運び込みますが、レースと同じ環境でエンジンを駆動させると、これを約2時間半強で全部使い切ってしまうんです。
そして、これだけの単位で水素を用意するには、遅くとも一週間前には手配しなくてはなりません。そのためいざ耐久試験中に水素が無くならないよう準備をする苦労がありました。また、レースでは狭いサーキットに水素ローダーを置く段取りも手間がかかったようです。
レース本番では、給水素するクルーの人たちが一番大変そうに見えましたね。給油エリアとは異なるパドックに水素の充填ステーションが用意され、ドライバーもクルーもそちらに入ります。さらに給水素の頻度も20分に1回くらい必要でした。慣れないうちは給水素に8分ほどかかっていて、20分走っては約10分は充填ステーションにいる状態でしたね。
一般的な車両への実用化の可能性は?
──現在はレースで使用されていますが、一般的な車両への実用化は可能でしょうか?
実用化できるか分かる段階まで、少なくともまだ5年はかかると考えています。またEVが普及するなか「道路を走る車がみんな水素エンジンを積むと思いますか?」と問われたら、残念ながらそれは「NO」でしょう。トヨタ自動車のFCEV(燃料電池自動車)「MIRAI」を見かけると「MIRAIが走っているな」と思いますが、少なくともそういった存在になりたいですね。
──先ほどバイクに乗せるのは難しいとお話もありましたが、2021年11月には二輪メーカー4社とともに、二輪車用水素エンジンの共同研究の可能性についての検討がスタートしたと発表がありました。二輪車における水素エンジンの展望は?
今はスタートラインに立つために「どうやってやろうか?」と話し合っている段階です。実際に何かを始める段階になったら、また発表があると思います。盛り上がっているうちに次の話題を出す気はマンマンですよ(笑)。
ヤマハ発動機が水素エンジンにかける思い
──最後にヤマハ発動機、そして中西さんが水素エンジンにかける思いをお聞かせください。
ヤマハ発動機の社名には"発動機"という言葉がついている通り、内燃機関の生き残りにかけては最後まで頑張りたいですね。水素エンジンは、その可能性のひとつです。もちろんEV、イーフューエル(合成燃料)、バイオフューエル(バイオマス燃料)でもカーボンニュートラルの対応は可能ですし、各社が実際に手掛けていると思います。しかし、それでも内燃機関が好きな人、内燃機関を作る人がいる限り、水素エンジンを世に出したいですね。
そして、世に出すのはヤマハ発動機でなくてもかまわないと考えています。僕としては、"実は影でヤマハ発動機が手伝っている"くらいの立ち位置がうれしい(笑)。「2000GT」なんかは、車体までヤマハ発動機で作っていて、トヨタ自動車(当時、トヨタ自動車工業)に納車していたんです。四輪についてはそのスタンスでいいと思っています。
昨今、就活でSDGsに注目している学生は非常に多いと感じています。先日、採用試験の面接官をしていたら「どうしても水素エンジンをやりたい」という学生が来ました。僕は質問をする側の立場でしたが、つい「なんでも質問して!」と言っちゃいましたね(笑)。日本の未来を担う若い方にもぜひ注目して欲しいです。