お笑い芸人として活躍するなか、1992年にテレビ番組の企画をきっかけに、本格的に絵を描き始めてから、今年で30周年の節目を迎えるジミー大西。2015年には休筆したものの、2020年には5年ぶりに活動を再開し、画業30周年を記念した今年4月からは「POP OUT」と題した全国巡回展を開催。初期のころから海外移住期、さらには未発表の新作まで100点以上の作品を展示する。そんなジミーの画業、さらにはタレント業の話を聞いていると、師匠である明石家さんまの存在が非常に大きな影響を与えていると感じられる――。

  • ジミー大西

天然キャラから繰り出されるギャグを武器に大活躍するさなか、自身の絵の才能を開花させ、画家への道へと舵を切り始めたジミー。2022年は画業を始めてから30年という節目の年となった。ジミーは「自分のなかではここまで絵を描いているという未来は想像できませんでした」と語ると「あっという間の30年でした」と振り返る。

1996年には、芸能活動を休止し、ピカソが生まれた国スペインへ移住する。「マルタ島を拠点にイタリアに行ったりしていましたが、すぐに友達もできるなど、絵を描くというよりは、遊ぼうという思いを優先して、描くというのは二の次という生活をしていたんです。そうしたスタンスだったので、絵を描くことが楽しいと思えて続けられたのかなと思います」と海外への移住が絵を続けていくうえで大きかったという。

こうした考えは、美術家・横尾忠則からかけられた言葉が大きく影響しているという。「絵を描き始めたとき、横尾先生が『絵を描くことを職業にしない方がいい』と言っていたんです。その言葉の通り、遊んでいるなかの一環として絵を描いていたのですが、でも食べていかなければいけないので、頼まれたものを描くこともある。そんなとき横尾先生が言っていたことが『あーなるほど』と思うこともありましたが、基本的には楽しんで……ということが僕のなかでは大切なことでした」。

■画業を休筆した理由と再開したワケ

「絵を職業にしない」というポリシーのなか画業を続けていたジミーだったが、2015年に突如、休筆することになる。

「ふと、焼鳥屋でいま僕がやっていることを客観的に考えたんです。最初にこんな絵を描こうと考えて、そこから時間をかけて制作し、結果でき上がったものを、画商を通じて販売して……ということを時給計算したら、なんと380円ぐらいで(笑)。もう筆折ったれ! と思って辞めたんです」。

そこからはいろいろな番組で“芸人ジミー大西”として活動をしていたが、2020年、5年ぶりにまた画業を再開することになった。きっかけを尋ねると「明石家さんまさんの言葉でした」と切り出すジミー。「さんまさんに『俺らはサラリーマンじゃないんだから、芸人なら笑わせる、画家なら作品で認めてもらえればそれでいいのでは』と言ってもらって、また始めようと思ったんです」。

こうしたさんまからの言葉は、いつもジミーの心に響くという。その理由について「さんまさんは何気なく言いますからね。説教とか怒って言うことがないんです」と述べると「ふとしたときに『なあジミー俺はこう思うんだけどな』と切り出す。決して押しつけないけれど、自分の人生に当てはまるような助言をくれるんです」と独特の言い回しで、気づかせてくれるというのだ。