“恐ろしい人“と義時(小栗旬)に言われている頼朝(大泉洋)が「恐ろしすぎる。ここまでするか」と恐れる人物が政子(小池栄子)である。夫婦そろって恐ろしい。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第12回「亀の前事件」(脚本:三谷幸喜 演出:末永創)では、頼朝を中心に家族たちがエグい争いを繰り広げ始めた。食事をしながらそれぞれのいじましいプライド争いはブラックな『サザエさん』というよりも故・橋田壽賀子先生のレジェンドホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』のようにも見えた。
寿永元年1182年、8月、政子が待望の男子・頼家を出産し、北条家は源との関係を盤石にするが、そのせいでますます家族関係がギクシャク。頼朝の寵愛を受ける亀(江口のりこ)に嫉妬した政子はりく(宮沢りえ)に口車に乗せられて「後妻打ち」(うわなりうち)=前妻が後妻の家を打ち壊すことを行うが、軽い脅しくらいの気持ちだったのが転がっていくうちに勢いが増していく。このことの転がり具合が流れるように滑らかに奏でられる劇伴もあいまって軽妙で楽しい。
『鎌倉殿』で面白いのは喜劇のモチーフ選び。第8回の「武衛」に関するエピソードが面白かった。今回は「後妻打ち」というこの時代、主に京都で行われていた独特の風習を喜劇仕立てで紹介した。歴史ものをはじめとして取材に基づいて書かれたフィクションは知識を生野菜のようにそのまま出すと味気ないものだが、この知識にひと手間もふた手間もかけて登場人物に馴染ませていくことが作家の才能である。シチュエーションコメディを得意とする三谷幸喜は、「後妻打ち」をモチーフにこんなにも話を豊かに膨らませた。
頼朝の秘密の浮気は全成(新納慎也)→実衣(宮澤エマ)→範頼(迫田孝也)→りく(宮沢りえ)→政子とまたたく間に知れ渡る。実衣は何もかもあけすけで心のうちに秘めておけない性分で、りくは政子を心配するふりをしてわざと亀のことを話すような性悪さがある。それだけだったら女たちのちょっとした側女・亀に対する懲らしめ程度で済んだかもしれないところ、義経(菅田将暉)が関わったことで話が大きくなってしまう。
戦で力を発揮する機会がなくうずうずしていた義経は、亀の屋敷が打ち壊されないための見張りから打ち壊しの協力に寝返ってやりたい放題大暴れ。もはや慕っている政子のためを思ってか、単に暴れたいだけかよくわからない。
義経の理解しがたさは底知れない。安産祈願の馬引きを見栄えのする者として命じられても、格下の仕事だと頑なに拒んで頼朝を怒らせる。兄のためになりたいと人一倍思っているようなのに、へんなプライドが邪魔をする。政子のお腹をさすって「いい子が生まれますように」と殊勝に言っていたけれど、内心、呪っていたのではないかとすら想像してしまった。政子のことは強く慕っていてもその子が男子であれば、自分は頼朝の跡を継げないであろうから。くわばらくわばら。ここで政子は本来、男の子を産まないといけない強いプレッシャーがあるはずにもかかわらず、男でも女でも丈夫な子であればいいと我欲を出さないところが印象的だ。
その後生まれた男子・頼家は体が弱そうで、比企家が乳母になって、政子とのスキンシップが不足気味。授乳を定期的にしないとだらしない子に育つと道(堀内敬子)の台詞に、では頼朝はどうだったのだろうと思ってしまった。彼の乳母・比企尼(草笛光子)はしっかり育てたように見えるけれど。
ひとつのだらしなさの結果である亀の屋敷が後妻打ちにあったことに頼朝は激怒するが、身内の義経を贔屓して、打ち壊しに行った牧宗親(山崎一)を見せしめのように罰する。「髻」を切ることが当時どれだけダメージだったかも悲哀をこめて描かれた。
屋敷を焼き討ちにしたのは義経だし、彼に見張りを頼んだのは義時だが、義時が咎められないのは亀を事前に逃がしているのと、良かれと思って義経を見張りに立たせたからか。りくがものすごく強気で頼朝に物申すが、彼女も政子の義母だからか頼朝は大目に見ているような印象があって、とばっちりにあった牧がお気の毒。
時政(坂東彌十郎)も堪忍袋の緒が切れて伊豆に帰ると言い出す。「どうしてそうなるのです」と慌てるりくに萩本欽一の「なんでそうなるの」を思い出した(古くてすみません)。
すべては頼朝が京都では当たり前と考えられていた側女をもつことを関東にも持ち込んだことがいけない。そもそも亀がやたらとふてぶてしいのもいけない。もう少し遠慮気味であればまだしもやけに強気なのは、最高権力の寵愛を受けているという自信であろうか。男子でも生まれたらこれまた揉めることになる。いっそこの問題の人物・亀こそ善児(梶原善)に頼んで暗殺してもらえばいいのにと思ったが、そこまではまだ北条家も陰惨にはなっていないようだ。
いまのところぎくしゃくする家族コントとしてのんきに笑って視聴していられるが徐々に陰惨度合いが増してきて、誰もかれもが信用できなくなっていくのだろうか。みんなの勝手な振る舞いにあたふたしている義時だって、自害したことになっている伊東祐親(浅野和之)は頼朝が手を下したのであろうと耳打ちするのは、まだ頼朝を想っているらしい八重の気持ちをなんとか逸らそうとしてのことであろう。誠実そうな彼のなかにも邪(よこしま)な心がある。
その点、義村(山本耕史)は素直。八重や亀にアタックするのは頼朝の女性とつきあうことで「そのときはじめて俺は頼朝を超える」というおバカな考えを照れることなく口にするのだ。おバカな人たちが織りなすドタバタ喜劇のなか、大江広元(栗原英雄)がきりりと締めて、やがて訪れる笑っていられない状況を暗示するような空気を放っている。
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