いいサドルと出会ったときの喜びは格別だ。多くのサイクリストにとってはお馴染みの悩みであり、なかなか解消しないトラブルの1つ。過去にサイクリストは勃起不全になる男性が多いという研究結果が発表されたこともあり、自分にフィットする製品を探し続けて“サドル沼”にはまる人も多い。
以前は「サドルは使ってみないと分からない」と言われていたが、近年は座骨の幅を計測するなど、人間工学的なアプローチによってサドル選びにも変化が訪れてきている。
■お尻の痛みを解消するために
昨年、スペシャライズドが発売した“Sワークス・ミラーサドル”は、サドル沼の住人からもっとも注目を集めている製品だ。5万5000円と高価にもかかわらず、入荷と同時に即完売の状態が続いている。
このサドルの最大の特長は従来のEVA(エチレン酢酸ビニール共重合樹脂)材の代わりに、液体ポリマーを3Dプリンターで加工して緩衝効果を得ている。
全長の短いショートノーズの“Sワークス・パワーミラー”と新製品の“Sワークス・ローミンEVOミラー”の比較試乗をしてみた。
そもそもお尻の痛みは、血行不良によって炎症を起こすのが主な原因。解消するアプローチは幾つかあって、サドル高が高めの人ならば、少し低くしたり、取り付ける角度を見直したりすると、悩みが解決することもある。
他にもペダリングやギヤ選択の改善、パッドの多いウエアを着用するといった対策もある。だが、なんと言っても解決策の大本命はサドル交換。ただ、種類が豊富なので、これがベスト! と思えるサドルを見つけるのは簡単じゃない。
そして、サドルの良しあしは1つの性能だけでは決まらない。お尻が痛くならないのはもちろんのこと、ペダリングのしやすさや腰の安定感、重量などチェックポイントは幾つもある。
クッション性1つとっても、短い時間ならフカフカの製品でもいいが、長時間となると程よい硬さがあった方がいい。え? と思う人もいるだろうが、ベッドやソファをイメージしてほしい。とにかく柔らかいのが快適! というわけじゃない。程よい反発力や硬さがあった方が快適なこともある。
形状にしても、サドルを横から見たときに、上辺が直線だったり、波打つような形状だったり、幅や全長もいろいろある。これはライディングスタイルの違いで好みが変わる。一般的に走行中、腰の位置を前後に動かして乗りたい人は上面がフラット、腰を落ちつかせて乗りたい人はウェイブを選ぶのがいいと言われていて、どちらとも言えない人は中間的なニュートラルタイプを選ぶことが多い。
スペシャライズドのミラーサドルは、どちらもニュートラルタイプで多くの人に乗りやすい形状を採用している。
【インプレ】
高価な製品や新製品がいいとは限らない。それがサドル選びの面白さであり、厄介なところだ。ところが、Sワークス・ミラーサドルは新しいテクノロジーによって、乗り心地が驚くほど快適になる。路面から伝わってくるはずの細かな振動は見事なまでに制振され、車体のブレないフラットな走行感を実現している。控え的に言っても画期的だし、これまでのサドルを時代遅れに感じさせるインパクトがある。
革サドルから現在のプラスチックベースサドルになってから、お尻の痛みを解消するアプローチは、主にEVAの密度や量の他、部分的にジェルなどの緩衝材を用いてきた。ミラーサドルはゴムの質感に似た液体ポリマーを3Dプリンターで成形し、ローミンEVOミラーは1万700点を2万2000本の線で弾力性を緻密に変化させ、従来比で26%の圧迫を軽減しているという。
ロードバイクにおけるグレードの違いは、極論すれば快適性の違いである。素材が高級になれば重量は軽くなり、カーボンでもグレードが高くなると、振動の収まりが早くなる。路面の凹凸で発生した振動も、すぐに減衰するので、走り心地はフラットでスムースになる。
タイヤを太く、空気圧を下げても走行感は向上するが、重量は重くなり、加速時のレスポンスも落ちてしまう。ブレーキングやコーナリングにしても、空気圧を下げすぎると安定感やハンドリングが悪くなる。しかし、Sワークス・ミラーサドルなら重量は一般的なサドルよりも軽く、乗り心地も良くなる。失うモノはなく、自転車のグレードが高くなるのと同じ効果が得られるというわけだ。
■どちらを選ぶか
“パワーミラー”と“ローミンEVOミラー”のどちらを選ぶかは、難しい選択だ。ひたすらお尻が痛くないのを求めるならローミンEVOミラーだが、レーシーで後輪のグリップをつかみやすい“パワーミラー”の魅力も捨て難い。
そして、両者はサドルをシートポストに固定するワイヤベースの位置が異なるため、サドルを前気味にセッティングしたいならパワーミラー、後ろ気味にしたいならローミンEVOミラーがいいだろう。
私の場合、ポジション的にはどちらでも問題ないし、どちらを選ぶか悩ましい。二者択一ならローミンEVOミラーだが、できれば2つとも入手して、自転車の特性に合わせて選択を変えたい。
正直に言えば、5万円以上もするサドルをオススメするなんて…と思っていたが、これで“サドル沼”から脱出できるなら高くはない。ということで、私の名前も納品待ちリストの中にある。
文/菊地武洋