互いに同等の能力を持つ複数の人間のパフォーマンスをわけるものとはなんでしょうか。スポーツ中継ではよく「ここいちばんの『集中力』」といった言葉を耳にしますが、集中力の有無、あるいは強弱によって本来の力を超えるパフォーマンスを発揮するアスリートもいれば、逆に本来のパフォーマンスを発揮できないというケースもあります。
実際、その集中力の欠如によって自身も苦い経験をしたというのが、世界的な「記憶の達人」を示す「世界記憶力グランドマスター」という称号を持つ池田義博さんです。自身の経験を通じて感じた集中力の重要性、そしてその高め方を解説してくれました。
■記憶力競技での大失敗によって「集中力」に着目した
——池田さんは「記憶の達人」として知られていますが、記憶をするというときにも「集中力」は欠かせないものだと思います。
池田 たしかにそうですね。わたしは著書などを通じて記憶力だけでなく集中力の高め方も紹介していますが、わたしが集中力に注目した背景には、わたし自身の苦い経験があるのです。
2013年の2月にわたしは日本記憶力選手権にはじめて出場し、優勝しました。そして、海外の大会にも挑戦しようと思って同じ年の8月に出場したオーストラリアン・オープンという大会でも優勝できた。それらの結果を受けて、世界記憶力選手権にも出場しようと決意したのですが、その大会が開催されるのは12月。肩慣らしの意味で9月に開催された香港の大会に出場したのですが、結果は大失敗…。
そのときは、いままでになかったような感覚を覚えました。競技中に不安や緊張といった余計なノイズが頭のなかに生まれて、それがどんどん大きくなり、覚えるべきことが全然頭に入ってこないような状態に陥ってしまったのです。
——その原因が、集中力の欠落にあるだろうと感じた?
池田 香港の大会が終わったあと、なぜこんなことになったのかと考えました。やろうとしたことは記憶というこれまでと同じ作業なのに、自分が置かれた状況や自分自身の状態のちがいによって、結果はまるで異なりました。その結果のちがいを左右したものこそ、集中力だろうと思い至ったのです。
そこから、集中力についての勉強をはじめました。メンタル、環境要因、マインドフルネスなど、集中力にかかわる多くのことを学びました。そうして、自分なりに構築した集中力を高める方法を実践し、世界記憶力選手権では日本人としてはじめて「グランドマスター」というひと握りの出場者だけが獲得できる称号を得ることができたのです。
■難易度の低いタスクから、とにかくはじめる
——では、その池田さん流の集中力を高める方法を早速伝授してください。
池田 なにかを記憶するというときには、まずはその作業に着手しなければなりません。それは、集中力を持って作業に臨むということですが、作業に着手する「やる気を生み出す」という見方もできます。
なにかをはじめるというとき、「やる気が出てきたらはじめよう」と考える人も多いと思いますが、じつは脳科学的にいうとやる気というものはいくら待っていても自動的に出てくるものではありません。
なぜなら、脳のなかのやる気にかかわる「側坐核」という部分は、その反応がとても鈍いからです。「よし、やる気を出すぞ!」というふうにいくら気持ちを盛り上げても活性化しません。つまり、「やる気」を生んでくれないのです。
どうすれば側坐核が活性化するかというと、とにかく「体を動かす」「作業をはじめてしまう」ということに尽きます。やる気が出たからわたしたちは動けるのではありません。専門的には「作業興奮」と呼ばれますが、体を動かすことが側坐核を活性化し、そして活性化した側坐核がやる気のもとであるドーパミンという神経伝達物質の分泌を促すのです。
——たしかに、面倒だと思っていた作業も、いざはじめてみたら意外と集中して取り組めるということもよくあります。
池田 ただ、最初に取り組むことはなるべく単純なものがいいでしょう。反応が鈍い側坐核が活性化して作業興奮の状態に入るのは、作業開始から5〜10分後です。
それまでのあいだは、たとえば深い思考を必要とする難易度が高いタスクをすることには向きません。作業興奮の状態になるまでに、「やっぱり難しいな…」と感じて作業をやめてしまうということにもなるでしょう。
ですから、なるべく難易度が低い単純作業に近いものからはじめて、10分くらいしたら難易度が高いタスクに切り替えることが、集中モードに入るためのひとつのポイントです。
もうひとつ加えるなら、作業開始時になんらかの「ルーティン」をつくっておくといいでしょう。わたしの場合は、ノイズキャンセリングのヘッドホンをつけることがルーティンになっています。そのルーティンが集中するスイッチなんだというふうに自分の脳をしつけているわけです。
もちろん、ルーティンは人それぞれで構いません。勉強するときに近くにあるものなら、たとえばボールペンのノック部分を「カチカチカチ」と3回押すといったことでもいいと思います。
■作業内容によって、周囲のノイズをコントロールする
——実際に作業に入ったあとはどうすればいいでしょうか。
池田 わたしがノイズキャンセリングのヘッドホンを使うこととも関連しますが、気をつけなければならないのは、周囲のノイズのコントロールです。脳というのは、自分の意識とは別のところで勝手に働いているということもあるからです。
たとえば、音楽を聴きながら勉強をしている人も多いですよね。脳というのは、周囲にある情報の意味を考えようとします。流しているのがたとえ歌詞のない音楽であっても、メロディーの進行などに注意を向けるわけです。すると、自分は勉強に100%の集中を向けているつもりでも、脳のリソースが音楽のほうに割かれるということになる。それはあまりにもったいないこと。なんらかの情報を脳にインプットする記憶学習のときには無音がベストです。
でも、一方でアウトプットをするときには無音だと逆に集中できず、周囲に軽いざわめきのようなノイズがあったほうが好結果につながるという研究結果もあります。いま、YouTubeなどの映像や音楽の共有サービスには、カフェの環境音といったものがたくさんあります。わたし自身も、本の原稿を書くといったアウトプットの作業をするときには、そういった音を聴くようにしています。
——作業をしていて、目に入ったものなどから作業とは関係のない余計な考えが頭のなかに浮かんで集中できなくなるということもよくあります。そういうときはどうするべきでしょうか。
池田 これには、脳の「ワーキングメモリ」という機能がかかわっています。ワーキングメモリとは、いわば脳のなかのメモ帳のようなものですね。そこに書き出した必要な情報を参照しながら、脳は作業を進めます。ところが、残念なことにワーキングメモリの容量はとても少ない。
ですから、なにか気になることや思いつきのようなイレギュラーのものが生まれると、ワーキングメモリが無駄に使われるということになり、やるべき作業のための集中力が削がれてしまいます。
そういうときは、頭に浮かんだ気になることや思いつきを実際に紙に書き出してしまいましょう。そうして手放すことで、ワーキングメモリを白紙に戻すことができ、再び作業に集中できるようになります。
■集中力はあらゆる能力の土台でありブースター
——そうして作業を続けていると、どうしても集中力が落ちてくるものですが、そういうときにできる工夫はありますか?
池田 もちろん休憩を取ることも大切です。20分か25分程度の作業を1セットとして、5分間の休憩を挟んで再び作業を再開するようにすれば、たとえトータルの作業時間が同じだったとしても、ぶっ通しで作業を続けた場合とはパフォーマンスは大きく異なります。
あるいは、「もうひと踏ん張りしたい!」というときにはエネルギーを補給してもいいでしょう。脳のエネルギー源は糖質です。少し前に昔ながらのラムネ菓子が勉強や仕事に励む大人のあいだで流行しましたが、それはラムネの主な原料がブドウ糖だからです。
——池田さん自身、自らの経験から集中力の重要性に気づいたとのことですが、一般の人にとってその重要性はどんなところにあるとお考えでしょうか。
池田 人間には、想像力、創造力、論理的思考力、もちろん記憶力も含めて多くの能力があります。ただ、それらの土台にあるものこそ集中力ではないでしょうか。香港の大会で大失敗したわたし自身がそうでしたが、集中力がなければせっかくの能力も本領を発揮できないのです。
つまり、すべての能力の土台でありブースターとなり得るものが集中力なのです。なんらかの能力を獲得したい、伸ばしたいと思うのなら、それに先んじてまずは集中力を高める、維持するといった能力を身につけることをおすすめします。
構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/清家茂樹 写真/玉井美世子