パラアイスホッケーで北京パラリンピックを目指す息子と母に密着したカンテレのドキュメンタリー番組『ザ・ドキュメント きっと届く、氷上で見た夢 ~息子と母 7年の軌跡~』が、31日(25:10~ ※関西ローカル)に放送される。
東大阪市に住む伊藤樹さん(16)は、小学3年生のときに母・紅子さんが運転する車でアイスホッケーの練習に向かう途中、交通事故に巻き込まれて脊髄を損傷。紅子さんも右足を粉砕骨折した。学校では友だちに「歩けないくせに」と悪口を言われ、学級会も開かれてしまった樹さん。「わんわん泣きながら帰って来たときもありますよ。それ見ると私もつられて泣いていた」と紅子さんは当時を語る。
そんな彼が前を向くきっかけになったのがパラアイスホッケー。将来を嘱望された樹さんは「パラリンピックで金メダルを取る」という夢を持つようになる。そんな息子を、紅子さんは事故の後も車で日本全国へ送り迎えした。大人になるにつれて素直になれなくなる樹さんだったが、中学の卒業式で「いつもめんどくさくてごめんなさい。言われたことをすぐできなくてごめんなさい。だらしなくてごめんなさい。わがまま言ってごめんなさい。メダルで返します。スーパースターになるのでこんなめんどいやつですが、応援お願いします」と母への気持ちを手紙で伝えた。
北京パラリンピックに出場することになれば、チーム最年少となる樹さん。「今の自分の現状を見て、課題を決めてやることが大事だと思う。何事もそうだと思う。その課題だらけの人生を一つ一つクリアしていくことがいい」と語る。
ナレーションを担当した小芝風花は「事故で大けがをしても、また氷の上で新しい夢を追う姿に感動しました。見ている人に勇気を与えると思いました」とコメント。中学生までフィギュアスケートに打ち込んでいた小芝は「番組で映っていたリンクで自分も練習をしていて、懐かしかったです。氷のスポーツは家族の協力が欠かせないものです。私と母の場合も、二人三脚で頑張ってきたという思いがあるので、共感できました」と振り返った。
さらに「私も膝の病気をして、どうしても練習を早く再開したくて手術を選びました。周囲の人は“もう続けるのは無理だろう”と思っていたみたいですが、自分ではまた練習できるようになったのがうれしくて前を向けました」と自身の手術経験について語り「樹さんも、ずっと先の目標を見据えていました。好きと言う気持ちが折れない気持ちに繋がっているのだろうなと感じられました。この先も親子の絆でいろんなことを乗り越えて、4年後のミラノパラリンピック出場を果たして欲しいなと思いました」とエールを送った。