ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)は、2022年3月で発売から22周年を迎えた「PlayStation 2」(PS2)の誕生秘話を同社ブログで公開した。PS2に込めた熱意と想いについて、開発に携った2人のエンジニアがインタビューに応えている。
記事に登場するのは、SIEのインタラクションR&D部門 Distinguished Fellowの豊禎治(ゆたか ていじ)氏と、ハードウェア設計部門 メカ設計部 部長の鳳康宏(おおとり やすひろ)氏の2人。豊氏は「PlayStationの父」と呼ばれる久夛良木健氏の下で初代PlayStationの開発に関わり、PS2では初代PlayStationとの互換機能を担当。鳳氏は基本レイアウトの設計を担当したという。
世界で初めてリアルタイム3DCGを家庭用ゲーム機に持ち込んだ初代PS(1994年12月発売)に続き、PS2(2000年3月発売)ではさらにグラフィックスを強化。「グラフィックスシンセサイザー」(GS)と名づけたGPUを独自開発し、チップ内にグラフィックスメモリを載せたことで、映像のクオリティを格段に向上させた。
「テレビ画面のアスペクト比が4:3のVGA解像度(640×480ドット)の時代でストレスなく楽しめる画質になったことから、3DCGのゲームが多くの人に受け入れられ大ヒットにつながったのだと思う」と豊氏は振り返る。
PS2にはDVDの再生機能も搭載していたことから、DVD普及にも一役買ったとされる。豊氏は、当時大ヒットした映画『マトリックス』のDVDとPS2の発売日が同時期に設定されたことをあげ、「PS2はゲーム業界だけでなく映画業界からも期待される重要なプロダクトだったことが印象に残っている」と話した。
一方、ハードウェアの設計について鳳氏は、「本体の発熱量が80Wというのは、当時としては驚きの高い数値だった。『筐体の中に半田ゴテが1本入っているようなものだ』と言っていたのを覚えている」とコメント。当時、熱設計の専門ではなかった鳳氏は「どうやって冷やすんだこれ?」と途方にくれつつ、周囲の理解を得ながら高いハードルをクリアしたことを明らかにしている。
同記事では、初代PSとPS2の互換性の話題など、PS2ならではの革新性や、発売当時の大反響をうけての印象、開発現場での考え方なども語られている。全文はSIE.Blogの記事を参照のこと。