富士通は1981年5月20日、同社初のパーソナルコンピュータ「FM-8」を発売。2021年5月20日で40年の節目を迎えた。FM-8以来、富士通のパソコンは常に最先端の技術を採用し続け、日本のユーザーに寄り添った製品を投入してきた。この連載では、日本のパソコン産業を支え、パソコン市場をリードしてきた富士通パソコンの40年間を振り返る。掲載済みの記事にも新たなエピソードなどを追加し、ユニークな製品にフォーカスしたスピンオフ記事も掲載していく予定だ。その点も含めてご期待いただきたい。

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富士通のパソコンは、富士通グループの様々な生産拠点で作られてきた。1993年発売のFMVシリーズにて一気に出荷台数が拡大したこともあり、デスクトップパソコンは石川県かほく市のPFU、岩手県一関市の富士通ゼネラル、兵庫県加東市の富士通周辺機(現ジャパン・イーエム・ソリューションズ)などで生産していた。

PFUはFMVシリーズ以外にもFMRシリーズを生産していたり、富士通ゼネラルは10型モバイルパソコン、富士通周辺機はA4ノートパソコンやオールインワンパソコン(AIO)、arrows Tabシリーズなどを生産していた経緯もある。また、普及モデルの一部は台湾のODMメーカーを活用したり、北米オレゴン州ヒルスボローの生産拠点を利用して日本向けパソコンを生産したモデルも1機種あるという。

1995年からは、福島県伊達市の富士通アイソテックにて個人向けデスクトップパソコンの生産を開始。1999年には企業向けデスクトップパソコンの生産も富士通アイソテックへと移管し、それ以来、富士通アイソテックがデスクトップパソコンの主力工場となった。2001年にはIAサーバーやワークステーションの生産も開始している。富士通アイソテックでは、2011年以降、同社で生産したパソコンを「伊達モデル」と表現。2021年までデスクトップパソコンを生産していたが、富士通の事業再編に伴って生産を終了した。

  • 富士通クライアントコンピューティングのパソコン事業において、国内最大の生産拠点となった島根富士通の全景

現在、パソコン事業を主とする富士通クライアントコンピューティング(FCCL)の生産拠点は、島根県出雲市の島根富士通だ。島根富士通は1989年12月に設立、1990年10月から操業を開始した。マザーボードからの一貫生産を行うパソコン工場としては、国内最大規模を誇る。

当初はFM TOWNSやFMRシリーズといったデスクトップパソコンを生産していたが、1993年からはノートパソコンの生産もスタート。1995年には、ノートパソコンの生産に特化する体制へと移行し、富士通のパソコン事業の拡大とともに生産台数を伸ばしてきた。振り返って、1990年度の生産台数はわずか4万1,000台。1991年度で11万2,000台、1992年度は11万5,000台、1993年度は16万2,000台と、生産規模はそれほど大きくなかった。

島根富士通の6代目社長・神門明氏は、島根富士通の第1期生として入社した社員の一人。入社から約5年間はワーカーとして生産ラインに立ち、FM TOWNSなどの組み立てにも携わっていた。神門社長は、「島根富士通でのパソコン生産は、1日数10台単位で始まった。いまから考えると何もない状態からのスタートであり、試行錯誤の連続だった」と、操業を開始した当時を振り返る。

  • 島根富士通 代表取締役社長 神門明(ごうどあきら)氏

その後、Windows 95の発売とともにパソコン需要が一気に拡大。島根富士通での生産も増加していった。1994年度には33万8,000台と、前年比で約2.1倍に拡大し、1999年度には121万7,000台と初めて年間100万台を突破。2003年度には195万5,000台を生産し、その後は年間200万台前後の生産規模で推移している。2019年9月には過去最高となる月産30万台を達成し、大きな需要変動にも対応できる高い柔軟性を持っているのが特徴だ。

累計出荷台数も、1995年には100万台に到達。1997年には200万台、1998年には300万台、2000年には500万台を越えた。さらに、2003年には1,000万台、2007年には2,000万台、2013年には3,000万台、2019年6月には4,000万台を突破した。

  • 島根富士通の売上台数推移

  • 島根富士通で生産されたパソコンの100万台目

  • こちらは300万号機

  • 500万号機

  • 1,000万号機

  • 2,000万号機

  • 3,000万号機

  • 4,000万号機の塗装は島根県の伝統工芸でもある「八雲塗(やくもぬり)」

少し戻って2011年、島根富士通が立地している島根県斐川町が出雲市に編入したことに合わせて、同年から島根富士通で生産したパソコンを「出雲モデル」として展開。2012年には、島根富士通で生産したノートパソコンが、出雲市から「出雲ブランド商品」の認定を受けた。現在では、ふるさと納税の返礼品として、本体カバーに「出雲モデル」のロゴが入った特別モデルを用意している。

島根富士通で生産したパソコンは、かなり前から「出雲モデル」と表現することを検討していたという。島根富士通の立地が斐川町であっても、場所的には出雲空港と出雲大社の中間地点。出雲地方という表現からすれば、早い段階で出雲のブランドを冠してもよかった。だが、当時は出雲市でなかったことに島根富士通の経営陣が良しとせず、出雲市に編入されるまで出雲ブランドは使ってこなかった。島根富士通が持つ生真面目さを示すエピソードと言えるだろう。

そして2021年5月からは、福島県伊達市の富士通アイソテックからデスクトップパソコンの生産を移管している。2011年3月の東日本大震災で富士通アイソテックが被災し、デスクトップパソコンの代替生産を行ったことはあったが、本格生産は26年ぶりとなった。島根富士通では現在、ノートパソコンとデスクトップの両方を生産している。

  • 島根富士通で生産されたパソコンには「出雲モデル」、福島県伊達市の富士通アイソテックで生産されたパソコンには「伊達モデル」の冠

島根富士通の歴史は海外生産との闘い

国内パソコンメーカーが相次いで台湾や中国での生産へと切り替えるなか、富士通のパソコンは、島根富士通での国内生産にこだわり続けてきた。ワールドワイドで見ると、1990年代は台湾におけるノートパソコンの生産が主力だったが、2000年前後からは中国での生産が急速な勢いで増加。現在、全世界のノートパソコン生産の約9割が、中国で行われている状況だ。

台湾や中国での生産が増加した背景には、安い労働力を背景にした生産コストの削減だけでなく、生産力の大きさと規模を背景にした調達力、そして人材確保が容易であること、品質向上に向けた技術進歩が急速に進んだことが挙げられる。

一方で島根富士通による国内生産の利点は、国内の開発拠点であった東京都の南多摩工場や神奈川県の川崎工場と連携しやすい距離であること。具体的には、量産に向けた準備、製品の改良が行いやすく、物流にも時間がかからない。さらに、顧客へは短期間で納品でき、カスタマイズへも対応しやすい。まとまった数での発注となる海外生産に比べて、増産を含めて柔軟に生産数量の変動に対応可能なのは大きなメリットだ。

  • 島根富士通の生産ラインで組み立てられるノートパソコン

これまでも常に海外生産の話は議論にのぼり、一部製品については台湾ODMメーカーの中国工場で生産委託している例もある。だが、こうしたメリットとデメリットを総合的に判断しながらも、富士通のパソコンは、フラッグシップモデルをはじめ代表的な製品の国内生産を維持してきた。

もちろん、そこには島根富士通の長年にわたる絶え間ない努力がある。1997年にはセル生産方式を一部導入し、1998年にはBTOラインを増設。1人が複数の組み立て作業を行うことで効率化を実現するとともに、様々な仕様のパソコンを組み立てられるようにした。

1999年には全面的にセルラインを導入。2000年には新たにB棟を竣工して、生産拡大に向けた地盤も作った。2003年からはものづくり革新活動を開始し、2005年からはトヨタ生産方式(TPS)を本格導入。2009年からは、この取り組みを生産現場に留まらず、部品調達や出荷後の物流にまで広げ、サプライチェーン全体を包含する活動へと拡大していった。

  • 従来は分岐や合流を繰り返していた生産ラインを、ひとつの流れで生産できるようにした「整流化」
  • 確定している注文分を前倒しで生産するなど、日々の生産量変動を極小化する「平準化」
  • 複数の機種をひとつのラインで生産する「混流生産」
  • ミスが起こりやすい作業や、機械が効果を発揮しやすい検査工程を機械化した「人と機械の協調生産」
  • 島根富士通における生産ラインの「整流化」概要

こうした施策によって、2001年度下期におけるノートパソコンの製造リードタイムを100とした場合、2004年度下期には26にまで短縮。同時に1台あたりの加工費は67まで削減することに成功。

2004年を100とした場合は、2015年のリードタイムは20にまで短縮。組み立て工程による工程不良率は60%削減、プリント基板の生産工程では90%も削減できたという。

  • 島根富士通が取り組んできた「ものづくり革新活動」の成果

島根富士通では、こうした進化を常に繰り返してきた。当時、富士通でパソコン事業を率いていた伊藤公久氏(のちに富士通パーソナルズ社長)は以下のように述べる。

「パソコンメーカー各社が相次いで海外生産にシフトするなかで、富士通のパソコンはどうするのかという話は、毎年のように経営層から言われていた。だが、原価に占める組み立て費用は3%程度。海外生産にシフトして、そこのコストを半減させても効果は限定的だった。むしろ、部品の改良、生産現場での改善、サプライチェーン全体の見直しなど、細かい点を積み重ねて、日本で生産することのメリットを高めていった」(伊藤氏)

  • 島根富士通で生産されたパソコン、2,000万号機を手にする山本正已氏(現・富士通取締役シニアアドバイザー)

たとえば、梱包箱を小さくして、トラックに積載できる台数を増やすといった活動もそのひとつ。2015年には、トヨタ生産方式の成果もあり、生産エリアのスペースを30%も削減した。近隣に借りていた外部倉庫を減らし、在庫の最適化を図れたこともコスト削減につながっている。

ここで外部に目を向けると、海外生産に移行したパソコンメーカーでは、いくつかの問題が発生し始めていた。低価格化のために大量の発注・仕入れをしたものの、売り切ることができず、叩き売り状態になったのだ。同時に、在庫を処分するまで新製品を積極的に投入できないという課題も生まれた。海外からは完成品を船便で輸送するため、リードタイムも長くなる。結果、商機を逃がしたり、輸送中の洋上在庫が増えたりするのも問題だった。

「効率性が高まり、不良率が減少し、リードタイムも短縮すると、余計なモノを作らなくて済む。それは経営面では大きなプラスだった。モノが余って潰れる会社はあるが、売るものがなくなって潰れた会社はない。製品は必ず売り切って、在庫がなくなれば、他社に先駆けて新製品を発表し、次の新製品を着実に立ち上げる。開発や生産を日本で行うことによって、このサイクルを実現できた」(伊藤氏)

島根富士通が長年掲げてきた目標は3つ

  • 世界トップ品質による顧客満足度の向上
  • 海外生産拠点に対抗できるコスト競争力
  • スピーディーでフレキシブルな製品供給体制の強化

以上の3点を追求し続け、それぞれ高い次元で維持した結果が、いまの島根富士通につながっている。

  • 2020年10月、島根富士通は創業から30周年を迎えた

島根富士通は、2020年10月に操業から30周年の節目を迎えた。FCCLの齋藤邦彰会長は、島根富士通に対して次のように期待をかける。

「島根富士通の30年間を振り返ると、他社がコスト削減の観点から海外に生産拠点を移す動きを見て、ひやひやしたこともあった。だが、プリント基板から製造してMADE IN JAPANを継続しているのは、お客さまに少しでも満足してもらいたいという一念によるもの。

品質やリードタイムはもちろん、お客さまによって異なる要求にベストフィットする製品づくりを実現している。島根富士通の工場は多くのお客さまに見学してもらい、この工場で生産されているのならば安心だと購入を決めてくれたお客さまもいらっしゃる。島根富士通は、これからもスマートファクトリーとして大いに成長する」(齋藤会長)

  • 富士通クライアントコンピューティング 齋藤邦彰会長

2020年10月、島根富士通は、新たな事業方針として「SFJ Next 30」を発表した。これまで培ってきた「現場力」、「技術力」、「創造力」に加えて、環境の変化に追随する「変動力」、逆境を乗り越えて糧にする「逆境力」を、島根富士通の新たな強みとする。

新たに掲げた「変動力」では、これまでの「多品種少量生産」を一歩進めた「変種変量生産」へのシフトを図る。オーダーに応じて、人や設備、レイアウトが自在に可変するフレキシブルでコンパクトな製造ラインの構築を目指すという。

ここでは、AIを活用した未来予測を活用。FCCLとの連携を強化し、過去のトレンドから未来のオーダーを予測して在庫の最適化とジャストインタイムを実現、市場の変動に対してダイナミックに追随できる環境を整える。あわせて、2030年までに1人あたりの生産性を2倍に高める目標も掲げている。

「逆境力」では、あらゆる障壁を乗り越えるしなやかな力強さを備えることを目指す。具体的には、人が常に高いモチベーションを持ち、能力を発揮し続けるとともに、ジョブ型やワークシェアリング、テレワークなどのニューノーマルな働き方改革を実践。人と組織、企業がレジリエンスを向上できる力を持ち、自然災害など想定外の出来事が発生しても確実に対応できる新たなBCM・BCPを策定する。工場インフラの強化にも取り組み、持続可能で筋肉質な企業への変革を図っていく。

  • 「変化に強い、しなやかな工場への進化を目指す」(島根富士通の神門明社長)

進化する島根富士通

島根富士通は、コロナ禍においても生産ラインを一度も止めていない。テレワーク需要の拡大や、小中学校における1人1台のパソコン環境を整備するGIGAスクール構想による旺盛な国内パソコン需要に対応した。こうした経験も、島根富士通の逆境力を高めることにつがっている。

2021年5月、デスクトップパソコンの生産を富士通アイソテックから島根富士通に移管し、パソコン生産を一本化したことには大きな意味がある。それは、富士通アイソテックが富士通傘下の企業であるのに対して、島根富士通はFCCLの100%子会社であるからだ。FCCLの立場からすれば、富士通への生産委託を終了したという構図になる。

すでに欧州では、富士通が持っていたドイツ・アウクスブルクのパソコン開発拠点および生産拠点を、2020年度上期に閉鎖。これに代わってFCCLは2020年4月に、自前の開発拠点としてFCCL GmbHをドイツに設立した。2020年3月からは、チェコにてFCCL専用のパソコン生産拠点となるICZを稼働させ、同様にFCCL主導での開発と生産体制を敷いている。(この辺りの詳細は第15回「海外パソコン事業の躍進と凋落」をご一読いただきたい)

つまり、島根富士通へのデスクトップパソコンの生産移管は、生産体制の移行というだけではない。レノボ傘下のFCCLが、富士通に頼らず開発と生産を行う体制を、国内外ともに整えたとも言えるのだ。

FCCLの大隈健史社長兼CEOは、「FCCLの独自性を堅持、レノボグループ内で存在感を高めること、FCCLの継続的成長という3つの方針に取り組むなかで、すべてに島根富士通が深く関わっている。時代の変化に対応した新たな試みを、島根富士通と一緒に進めていきたい」と語る。

島根富士通は、名実ともにFMVシリーズのコアファクトリーとなった。日本に根ざした国内最大のパソコン生産拠点として、これからも進化を遂げる。