「得体の知れない人がどんどん増えていく」と実衣(宮澤エマ)が言うように、13日に放送された大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第10回「根拠なき自信」(脚本:三谷幸喜 演出:安藤大佑)では、鎌倉の仮御所にいろんな人が集まってきた。

  • 『鎌倉殿の13人』第10回の場面写真

京都からやって来た、りくの兄・牧宗親(山崎一)ははんなりした話し方の人物、御所内の差配を頼まれた足立遠元(大野泰広)はなんだか調子が良さそう。孤独と嘆いていた頼朝(大泉洋)の弟・義経(菅田将暉)は兄に会いたがっていたわりに失礼なことを言ったり、政子(小池栄子)にいきなり膝枕したりして距離感がおかしい。源兄弟の1人・範頼(迫田孝也)に対しても母の身分を差別的に捉えている。この回のラストに出てきたもう1人の兄弟・義円(成河)にも含みがありそうに見えた。

せっかく源兄弟が大集合してきたにもかかわらずなんだか波乱含み。そもそも彼らは異母兄弟で、かつ、一緒に暮らした月日がほとんどない。それに比べて北条家は実に親密で、わりと腹を割って話をしている。

頼朝自身が政子に内緒で亀(江口のりこ)と関係を続けている。政子はそれをまだ知らないようだが、先に知ってしまったのが八重(新垣結衣)だ。この知り方がエグかった。仮御所の厨で下働きをはじめた八重を厨の責任者らしき亀が訝しく思い、実衣から素性を聞き出す。そしてマウントを仕掛けるのだ。政子対八重、亀対八重……と頼朝を巡って火花散らす女たち。このなかで亀が最もウワテというか悪質である。やることにかわいげがない。自分と頼朝の仲をさりげなくわざとらしく見せつけるとは陰湿過ぎる。江口のりこの能面のような顔が亀をこわおもしろくしている。

だが、八重も八重だ。実衣は「見返りを求めぬ真心、気高いわあ」と称えるが、なぜ、八重は慣れない下働きをしてまで頼朝のそばにいたいのだろうか。そんなに未練があるのか。伝承だと不運な身の上になったとき身投げして亡くなった説がある。かなりざっくりした認識ではあるが、昔の人は何かと自害しがちな印象がある。切腹や自害や心中が物語になる。切腹や自害は家や己の誇りを守るため、心中は愛を守るため。ところが『鎌倉殿』では八重ははじめのうち「身を投げます」と言っていたこともあったが、しぶとく生きている。それどころか第9回で父・伊東祐親(浅野和之)に「死んではなりません」と強く語りかけていた。

何かと自害しがちな時代劇には珍しく、『鎌倉殿』では“生きる”ことを大事にしているのかもしれない。現代視点で考えると自殺は痛いし苦しいしやらないにこしたことはないから、やっぱり生きられるうちは生きたほうがいい。

女たちが生き残るためそれなりに必死で戦っている一方で、男たちはそれこそ命に関わる戦いを繰り広げている。だが彼らのなかにも無駄な死を避けようと考える者たちがいる。 早く戦場に出たくて「経験もないのに自信もなかったら何もできない。違うか」と戦いに逸る義経に、三浦義澄(佐藤B作)はしなければならない戦としなくて済む戦があると諭す。畠山重忠(中川大志)も、頼朝も慎重派だ。

ところが上総広常(佐藤浩市)が短気をおこし、佐竹義政(平田広明)との戦いの火蓋が切って落とされる。しないといけない戦としなくてすむ戦を見極めること、戦をする大義名分をはかることも男たちの仕事。男のプライドをどこでどう賭けるかも見せ所なのだなあと思う。いや、男に限ったことではない。女も同じく。『鎌倉殿』ではプライドを賭けた戦いがあっちでもこっちでも起こっている。

始まってしまった佐竹軍との戦い。山を使って攻守を万全にしている佐竹軍をどう攻略するかと頭を悩ませているとき、和田義盛(横田栄司)がのんきに鵯(ひよどり)を捕まえてくる。坂東武者たちはしばし「鵯」を見て盛りあがる。「義盛殿は心が澄んでおられるから鳥も安心するのでしょう」と義盛に一方的に敵対視されている重忠が言って、仲間内では仲良くしようとしているのが涙ぐましいというか、重忠の育ちの良さを感じさせる。義盛も重忠と喧嘩しないように空気を変えるために鵯を持ってきたのかもしれない。心が澄んでいるゆえか。余談だが、義盛を演じている横田栄司の白目に濁りが泣く真っ白で、ほんとうに心が澄んで見える。鵯を抱えた指には毛がふさふさ生えていて体も大きく逞しいが瞳は純粋というキャラに見える。

捕まえた鵯は頼朝に渡され、頼朝は八重にあげようとする。八重を想い、贈り物を続ける義時(小栗旬)に「八重は小鳥が好きでな。きのこは好まぬ」とここでまたマウント。政子という正妻と亀という愛人を持ちながら八重のことも気にしてこっそり訪ねていく頼朝。義時に八重を勧めつつマウントするいじましさが喜劇的。

鵯は有名な「鵯越え」に掛けているのか、義時の「おなごはきのこが好きかと思っていました」とはどういう意味なのか気になって観ていると、義円があやしげな劇伴とともに現れて、鵯ではなく「ツグミ」だと指摘し「口をつぐむからツグミと呼ばれているようです」と意味深なことを言う。超える鵯よりもこの物語では誰が何に口をつぐむのか謎をかけられるようなセリフに余韻があった。

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