ゼンハイザーが3月8日に発売した「IE 600」は、オーディオ愛好家向けのこだわりが詰まった新たな有線イヤホンだ。今回、試用機を借りて高級機ならではのサウンドをチェック。モノとしての魅力にも迫った。
IE 600の詳細は弊誌でも既に紹介しているが、特徴を改めて簡単に振り返ってみよう。同社のカナル型(耳栓型)有線イヤホン・IEシリーズの新機種で、価格はオープンプライス、店頭予想価格は99,880円前後。ネットの通販サイトでは8万円台後半で買えるところも出てきている。
価格や型番を見れば一目瞭然だが、IE 600は同社の最上位イヤホン「IE 900」(実売179,080円)と「IE 300」(同41,250円)の中間に位置する製品だ。兄貴分にあたるIE 900は精緻かつ開放感もあるサウンドが持ち味で、弟分のIE 300は温かみのあるサウンドを特徴としているが、今回取り上げるIE 600はニュートラルながら“ボーカルを近くに感じる”サウンドに仕上げたという。
まずはIE 600の外観をチェックしよう。IEシリーズでおなじみのユニークな形状のハウジングには、通常の金属よりも頑丈ながら伸縮性があるというアモルファスジルコニウム素材を採用。粉末焼結積層造形法という手法が使われており、3Dプリンターを用いてパウダーにした状態から製造されている。
腐食に強く経年劣化しにくい素材のため、イヤホン内のパーツ保護にも役立つとのこと。また音質的には、アルミやプラスチックよりも重さがあるため、外音の遮断にも優れ、周囲の音に左右されずIE 600のサウンドを楽しめるというメリットがある。
写真だけ見ると、細かな凹凸感があってザラッとした手触りのように見えるが、実際に手に持ってみると滑らかさもあり、なんだか不思議な感覚だ。見た目のゴツゴツとした“金属っぽさ”に反して、意外と軽く感じられるのも面白い。ゼンハイザー製品らしく、モノとしての質感の高さは健在だ。
小さなイヤホン本体の内部には、自社開発・製造の7mm径「TrueResponseトランスデューサー」(ドライバー)をシングルで搭載。音の歪みを最小限にするため、製造工程において左右のドライバーを手作業でマッチングするといった徹底したクオリティコントロールを行っているそうで、このあたりは最上位のIE 900とも共通する。
ほかにも、高域を伸びやかにして繊細な音を再現する「デュアルレゾネーターチャンバー」や、イヤホン内の空気の流れをコントロールして低域と中域の分離感をスムーズにする「アコースティックバックボリューム」といった技術を投入し、高音質を追求している。インピーダンスは18Ω。周波数特性は4Hz~46.5kHz、感度は118dBだ。
IE 600は兄弟機同様にリケーブルに対応しており、IE 300/900と同じくMMCXをベースとした独自の「Fidelity+ MMCXコネクター」を採用している。入力プラグが3.5mmのステレオミニケーブルに加え、4.4mm 5極プラグを採用したバランスケーブルを同梱しているので、対応するオーディオプレーヤーやヘッドホンアンプなどを持っていれば高音質な4.4mmバランスの音が楽しめる。
ただしIE 900と違って、IE 600のパッケージには2.5mm 4極プラグのバランスケーブルは含まれていない。このため、2.5mmバランス対応の機器しか持っていない人はちょっと困るだろう。いくつかのメーカーが出しているIE 300/900向けのリケーブル製品が共用できそうだが、今のところIE 600への対応はアナウンスされていないようで、各社からの案内が待たれるところだ。
ちなみに、ゼンハイザーのオーディオ製品はこれまで創業の地であるドイツで製造されてきたが、生産拠点がアイルランドに集約されたため、IE 600のパッケージにも「Made in Ireland」と表記される。同社のコンシューマー事業は3月1日付けで補聴器ブランドのフォナックなどを展開するSonovaに正式に事業譲渡されたが、ゼンハイザーブランドは引き続き維持され、そのクラフトマンシップや音作りも変わりなく受け継がれるそうだ。
音を聴いてみる
ではIE 600の音を聴いてみよう。今回はIE 600を約十数時間かけてエージングし、フォームタイプの純正イヤーピースを装着。筆者の私物である、iFi audioのUSB DAC/ヘッドホンアンプ「ZEN DAC」(実売22,000円)のほか、ソニーの新しい高級ウォークマン「NW-WM1AM2」(同159,500円)の試用機を組み合わせ、主に4.4mmのバランス接続で聴いた。
定番のイーグルス「Hotel California」やドナルド・フェイゲン「I.G.Y.」、サラ・オレイン「Beyond the Sky」を再生すると、広い音場にボーカルの音像がきちんと中央に定位し、見通しの良いサウンドが楽しめる。ゼンハイザーらしい解像感の高さ、繊細さが好印象で、中低域もほどよく量感があって心地よい。ボーカルだけでなく、楽器やバックコーラスなどの繊細なニュアンスまで伝わるほどだ。歌モノをじっくり聴かせる確かな実力を感じた。
3.5mmステレオミニのアンバランス接続でも十分に音はいいが、高音質なバランス接続に差し替えると中高域がクリアになり、楽器など個々の音像の距離感も適度に広がって見通しがさらに良くなる。また、低域の安定感も増してドッシリ感が加わるようだ。手ごろな価格帯のイヤホンではなかなか味わえない、高級イヤホンならではの音の良さを実感する。
ボーカルを近くに感じるチューニングを施したというIE 600のサウンドは、ジャズシンガーが歌い上げるバラードや弾き語りのようなアコースティックな楽曲をよく聴く人に好まれそうだ。もちろんそれだけに留まらず、オーケストラやジャズなど、歌声のないインスト楽曲にもよく合う。
ノルウェー出身のトランペット奏者、マティアス・アイクの作品から「Midwest」を聴いてみた。メインのトランペットにヴァイオリンを迎え、さらにピアノ、パーカッション、ベースというクインテット構成で、ゆったりした演奏が耳に優しい楽曲だ。IE 600では、それぞれの楽器が奏でる情緒的なメロディをていねいに聴かせ、楽器の質感がリアルで、クールな中にもほどよい温かみを感じさせてくれる。余計な響きも抑えられていて聞きやすい。
さまざまな楽曲を聴いていて、IE 600が最上位のIE 900と明確に違うと感じたのが低域表現だ。
IE 900をレビューしたときは、HOFF ENSEMBLEのアルバム「Quiet Winter Night」に入っている楽曲を聴いて、深みとキレのある低域表現に「このサイズでこんな低音が出るのか!」と驚いた覚えがある。一方、IE 600で同じ曲を聴くとしっかり低域は出るが、IE 900よりは控えめ。そのぶんボーカルに集中して楽しめる印象だった。
両機種はバックボリューム機構のサイズの違いで盛り上がる周波数帯域が異なっており、フラッグシップモデルであるIE 900は全帯域にわたって高い再現性を突き詰めた一方で、IE 600は2~3kHzの周波数帯域を持ち上げることでボーカルの臨場感を高めるサウンドに仕上げている。
これはどちらが優れているという優劣の問題ではなく、そもそもサウンドキャラクターが違うという話だ。IE 600とIE 900に2倍近い価格差があるのは事実だが、ボーカル表現はIE 600のほうが好ましいと評価する向きもあるかもしれない。
個人的にはおいそれと手を出せる価格ではないが、歌モノもそうでない曲もよく聴くので、どっちを重視するか悩ましいポイントになっている。
オーケストラ楽曲にもピッタリ。IEシリーズ完成?
ところで、個人的にゼンハイザーのイヤホンというと、オーケストラサウンドによく合う印象を持っている。コンサートホールに響きわたる音の表現や、ほどよい残響が得られる感じがそういったイメージを与えているのかもしれない。
そんなわけで今回は最近CDで手に入れた、小澤征爾の指揮とナレーション、ボストン交響楽団の演奏による「ピーターと狼」のリッピング音源(FLAC形式)を、IE 600で聴いてみることを思いついた。
「ピーターと狼」は、帝政期のロシア(現ウクライナ)で生まれ、ソビエト連邦時代に活躍した作曲家のプロコフィエフが、子供のための音楽作品として作った小編成のオーケストラ作品だ。勇敢な少年ピーターが仲間たちと協力し、獰猛なオオカミを生け捕りにするまでを描く童話で、ストーリーに合わせて緩急を付けた楽曲構成になっている。特定の楽器の音色とメロディで作中の登場人物(あるいは動物たち)の特徴を表現しており、オーケストラの楽器紹介を兼ねているのも面白いところだ。
ピーターは弦楽器による陽気な主旋律で表され、冒頭から子ども向けの作品らしい楽しい雰囲気を演出。よたよた歩きのアヒルはユーモラスなオーボエのメロディで、恐ろしいオオカミはおどろおどろしいホルンの旋律で表現される。
IE 600は高音から低音までバランスが良くて再生能力が高く、ほどよい左右の広がり感もあるので、こういったオーケストラ楽曲にもピッタリ。IE 600の実力が随所で活きてくる。
たとえばオオカミに目をつけられ、追いかけ回されたアヒルが飲み込まれてしまうシーンでは、緊迫感ある弦楽器の旋律から細やかな弦の動きまで見えるよう。また、後半ではオオカミの後を付けてきた狩人たちが姿を現し、木管楽器を中心とした行進曲風の旋律が流れるが、各楽器の音像が適度な距離感を保ちつつ表現される。まるでコンサートホールで聴いているかのよう……とまではいわないが、臨場感があって楽しく聴ける。
ちなみにこれは余談だが、おそらく録音時に小澤征爾が指揮をしながら歩き回ってナレーション録りを行っていたのだろう、曲が進むにつれて彼の声が前後左右にじわじわ移動していき、その動いている感じがやけにリアルでクスッと笑えてしまった。そんな細かなところに気付けたのも、IE 600がボーカル表現に注力してつくられているおかげかもしれない。
ゼンハイザーのIEシリーズは、IE 600の登場をもってひとまず完成されたように思われる。サウンドだけでなく造りや素材にも個性があって面白いシリーズになっており、どれも聴いてみることをオススメしたい。オーディオ愛好家向けということで、高価格で手を出しづらいところもあるが、市場を席巻している完全ワイヤレスイヤホンではまだまだ味わえない世界は確かに存在する。ポータブルオーディオの楽しさや奥深さを教えてくれるイヤホンなので、お気に入りの楽曲を携えてぜひ一度、店頭でIE 600の音を確かめてみて欲しい。
そして個人的には、Sonova譲渡後のゼンハイザーが繰り出すであろう、次の一手も気になるところ。今後も引き続き注目していきたい。