栃木県那須塩原市は、旧黒磯市・西那須野町・塩原町が合併して2005(平成17)年に誕生。新市名は東北新幹線の駅として使用されていた「那須塩原」を採用している。
旧黒磯市の玄関でもあった黒磯駅は、東北へと線路を延ばそうとする日本鉄道により、1886(明治19)年に開業した。昨年は黒磯駅開業135周年にあたり、JR東日本は祝賀行事として黒磯駅の貴賓室を一般公開していた。
貴賓室とは、天皇・皇后両陛下や皇室関係者が鉄道を利用する際に使う部屋のことで、那須御用邸の最寄り駅だった黒磯駅にも貴賓室が設けられた。那須は御用邸が所在し、それが理由となって保養地としても評判を高めていく。黒磯駅も特急列車が停車する駅となり、街が栄えていった。
黒磯駅の駅舎は西側を向いており、かつての市街地も駅から西側へ広がる。駅前には大きな広場が設けられ、広場の南側には2020年に開館したばかりの那須塩原市図書館がある。木のぬくもりを生かした建物は天井が高く設計され、窮屈な印象を与えない開放的な空間となっている。
オープンしたばかりの図書館は新しさを感じさせ、駅前には若者向けのカフェなどもある。その一方で、歴史を感じさせる建物も残り、老舗の和菓子屋・そば屋などもある。駅前の街並みは、ほどよい具合に新旧の街並みが入り混じっている。歴史的な街並みを散策しながら、カフェなどで休憩するのも悪くない。
駅前通りを南北に貫く小さな通りを北へ向かうと、黒磯神社の鳥居が見えてくる。黒磯神社は鉄道開通にともない黒磯の人口が増加した当時、郷土の篤志家から寄進されて創建。神社仏閣としては深い歴史を持つわけではないものの、黒磯の総鎮守として地域住民から愛されている。小さな鳥居は白く塗られていて目を引くが、境内は静かで豊かな緑をたたえ、神社特有の雰囲気を保っている。
黒磯神社を後にし、県道55号を北へ向かうと、関東第一の青流ともいわれる那珂川が見えてくる。
江戸時代まで、那須一帯は地質的な原因から開墾が進まない土地として知られていた。明治期に那須疏水が開かれ、ようやく農耕地としての開拓が進められる。那須疏水は多く政治家・技術者によって実現したが、中でも立役者として名高い人物が、山形県令・福島県令・栃木県令などを歴任した三島通庸だった。
三島は那須疏水を開削し、私財を投じて那須に農場を開いた。道路建設にも積極的で、県令在任時に多くの大型道路できた。地域住民からは「鬼県令」「土木県令」として恐れられたが、三島が推進した大型道路は山形から福島を経て栃木に到達し、それが東京までつながるという、物流を重視した政策でもあった。
大型道路の建設にあたり、障壁になったのが北関東の大河、那珂川だった。那珂川には木製の橋が架けられていたが、たびたび氾濫が起き、橋の流出と再架橋が繰り返された。1932(昭和7)年、内務省技師の永田年によって5代目となる晩翠橋が竣工。永田はダム開発で活躍した人物だが、京都の鴨川改修でも初代事務所長を務めるなど、河川や橋梁の技術にも長けていた。
5代目の晩翠橋は、資材がそれまでの木製から鋼製に変更された。強度が増したことは言うまでもなく、意匠も美しくなったことから地域住民にも愛された。竣工から80年以上の歳月が経過し、その間に改修・補強工事がなされているものの、ほぼ当時の姿を現在まで伝えている。その美しい姿から、2002(平成14)年には土木遺産に選定された。
晩翠橋から那珂川の上流へ向かうと、日本庭園などが整備された那珂川河畔公園が見えてくる。那珂川河畔公園は広大な親水空間を特徴とし、水鳥なども観察できる。河川敷を利用した野球場などもあり、市民がスポーツに興じる場になっている。
那珂川河畔公園と道路を隔てて隣接するのは黒磯公園。2つの公園は高低差があり、両公園の間に長い歩道橋が架けられている。曲がりくねった歩道橋は独特なデザインで、目にするだけで圧倒され、複雑な構造ゆえに歩きたくなる衝動をかき立てる。歩道橋で連絡する黒磯公園は、遊具なども設置されているが、園内は芝生広場が大半を占める。
公園の向かい側には、民具などを展示する黒磯郷土館が建つ。黒磯郷土館は展示物だけでなく、建物が茅葺屋根で、それ自体が文化財ともいえる貴重な歴史遺産になっている。
黒磯駅の市街地は駅西側に広がっているため、駅東側へ出る場合は改札を出て自由通路を渡ることになる。バスロータリーなどが整備されているものの、人通りはほとんどない。駅西側とは対照的に、駅東側は閑静な住宅街が広がっている。
黒磯駅は那須御用邸の玄関駅としてにぎわったが、1982(昭和57)年に東北新幹線が開業すると状況が一変。1駅隣の東那須野駅が新幹線停車駅となり、同時に那須塩原駅へと改称。御用邸への玄関駅の座を譲ることになった。黒磯駅はその後も特急列車の停車駅として存在感を保ってきたが、歳月とともに特急列車は縮減されていく。
2001(平成13)年、新宿駅や渋谷駅など東京の主要駅を経由する湘南新宿ラインが運行開始。当初の湘南新宿ラインに黒磯行が設定されたこともあり、都心でも「黒磯」の駅名を目にする機会は多かった。2004年のダイヤ改正で、湘南新宿ラインの黒磯行は不定期列車となるが、2015年から運行開始した上野東京ラインで黒磯駅が復活。しかし、時代の流れから黒磯行の運転本数は減少している。
2005年に那須塩原市が誕生したことにより、自治体としての黒磯市も消滅。駅名として残っているものの、以前と比べて「黒磯」の名前に親しみを感じる人は少なくなっているかもしれない。そうした状況ではあるものの、黒磯駅は栃木県北の重要駅としての役割をいまも保ち続けている。