「この戦、俺がついたほうが勝ちだ。さあ正念場だよ 雑魚さん方よ」しびれる上総広常(佐藤浩市)の登場でざわついた大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第7回「敵か、あるいは」(脚本:三谷幸喜 演出:末永創)。源平合戦では明らかに平氏が有利かと思いきや、彼らが流人と軽視していた源頼朝(大泉洋)がなぜか天に守られている状況で、頼朝と坂東武者たちの力がじわじわと増して、頼もしい人物たちが集まってくる。

  • 『鎌倉殿の13人』北条義時役の小栗旬(左)

上総を口説くように頼朝に任された和田義盛(横田栄司)は「すべては俺にかかってる」とやる気満々で出向くが、気合だけでは曲者の上総は動かず、手助けについていった北条義時(小栗旬)が骨を折ることになる。義盛がまったく役に立たないのは義時が主人公だから仕方ない。そしてここは義時にとって重要な局面になる。

上総を口説くとき、義時が第2形態へと変化したように感じられた。義盛には心が足りないと演技(説得)指導されるも「けっこう心でぶつかったつもりなんですが」と反論する義時。次に上総と相対したときはさらに心がこもった演技を見せる。いつもは不安そうに目線が下がっている義時がしっかり上総を見据えて上まぶたを上げて目力を強め、伝えたいことをしっかり話す。本人もそういう行為のコツをつかみ始めたようでちょっと楽しくなっているように見える。戦に興味がなかったがいつしか「こんなに面白いことはないと」「やつらを西においやり新しい坂東をつくるのです。愉快だとは思いませんか」と笑い、上総の問いかけには「誓えます」とにやりと笑う顔が企みに満ちていた。

八重(新垣結衣)に「なぜ本気で嘘をつかない」ときつく咎められた義時が相手を説得するために本気で芝居をするようになってきた。武術ではなく自分の言葉ひとつで他者を操ることを面白く感じるようになってきたのだろう。食えない感じの上総と腹の探り合いしているときの小栗旬の表情の使い分けが絶妙だ。斜に構えているのに妙に華のある佐藤浩市との芝居を楽しんでいる気がした。

そもそも「頼朝は天に守られている」という義時の言葉が最大のはったりである。当時はまだ神や不思議な現象が信じられていた時代であるうえ、目下、大庭景親(國村隼)の下にいる梶原景時(中村獅童)は頼朝が雷によって隠れ場所を発見されずに済んだ瞬間を目撃しているものだから余計に信ぴょう性は増していく。義時は梶原景時が頼朝を見逃してくれたことを知っているからわざと「天に守られている」を強調する。

神に祈ってもしかたないと考えるりく(宮沢りえ)のようなさばけた人物もいるとはいえ、彼女もまた祈るときは祈り(第6回では経本を読まなくても祈ることができるほどだった)、頼朝が生きていた知らせを受けると「お祈りした甲斐がありましたね」と政子(小池栄子)の祈りをねぎらう。昔も、そして科学が発達した現在でも人間は、できることを最大限にやったらあとは神頼みしかないもので、映画のクランクイン前はお祓いが行われるし、スポーツ選手なんかもジンクスやルーティンをもっている。羽生結弦が北京オリンピックで「氷に嫌われちゃった」発言をしていたけれど自分と関係ない何かの力(運)みたいなものを信じリスペクトすることは、大きな責務を背負うほど強まっていく場合もある。

頼朝はまだまだ天の加護を受け続ける。鎌倉になかなか行くことができず苛立つ彼は漁師の娘・亀(江口のりこ)を見初めて寝所に呼ぶ。その結果、命拾いするのだ。当人はただの軽い浮気心であり、でも人妻と知ってびっくり、知っていれば手を出さなかったらしい誠実さ(?)も一応あり、という好感度の下がらない程度のおとぼけキャラっぷりを振りまきながらそれがなぜか天に守られているとカリスマ的に崇められていく頼朝。

本気の芝居(嘘)が得意な頼朝は、上総相手に得意の芝居を発揮する。ここぞという場ではわざと遅刻してき上総に「さっさと帰れ」と毅然とはったりをかますことができる頼朝。その気迫が上総の心を動かし仲間に引き入れることに成功した。上総の生意気な態度に一切揺らがず厳しい態度で接した頼朝だったが、内心、上総の顔がこわいとビビっていた。と思わせてほんとは頼もしいほうがホンモノかもしれなくて、弱いふりをしているだけかもしれないところが演じている大泉洋にも通じる不思議な魅力である。いずれにしても義時と頼朝、決してスーパーマンではなく、むしろ弱く、ところどころにユーモラスな面を見せれば見せるほど、テッペンをとるための一世一代の名演技が際立っていく。

頼朝の弟・阿野全成(新納慎也)や源義経(菅田将暉)も兄を追って登場する。はたして彼らはどういう人物なのだろう。全成は伊豆山権現にやって来て、政子やりくや実衣(宮澤エマ)の危機を助けようと20年修行してきた祈祷を披露するがまったく効果がない。「今日は難しいようです」と逃げる際の台詞がウケた。天に守られている兄。僧侶修行したのに祈祷が効かない弟。そんな頼りなさだが逃げ足は速く、一応、ピンチを切り抜ける(ふつうなら斬られてしまうだろう)。では、もうひとりの弟・義経は神に守られているのかいないのか。伝承の活躍からいえば守られているのだと思うが。

(C)NHK