2020年から続くコロナ禍で、訪日外国人観光客は街から姿を消した。その前年まで、年間4,000万人に迫るペースで増えていた訪日外国人観光客は国内の各地で見かけ、とくに日本の伝統文化を感じさせる神社仏閣は人気スポットだった。
JR原宿駅の西側に広がる明治神宮も、外国人観光客に絶大な人気を得ていたスポットのひとつだった。原宿駅前は多くの外国人観光客であふれていたが、コロナ禍でその光景は一変。外国人観光客がいなくなり、原宿駅前は少し寂しい雰囲気になった。
それでも昨年10月頃から、原宿駅の周辺に再び若者が戻りつつあるように感じる。若者が足を向けるエリアはおもに駅の東側。要するに原宿駅と表参道駅の間だろう。
格式ある明治神宮は山手線の線路を挟んだ反対側に広がり、そちらに足を運ぶ人も少なくないが、外国人観光客であふれた頃と比べると、やはり静けさを取り戻したという印象を抱く。
渋谷駅周辺の一帯も「若者の街」と形容されるが、原宿駅周辺も若者が多い。2020年に吹き荒れた「タピオカブーム」も、原宿から火がついたといわれる。それ以外にも、原宿はさまざまなトレンドの発信地となってきた。
1980年代には、歩行者天国でパフォーマンスに興じる若者、俗に言う「竹の子族」を生み出した。その後、歩行者天国の廃止とともに「竹の子族」も姿を消したが、いまもトレンドを牽引する街であることに変わりはない。
原宿の街は、1964(昭和39)年に開催された東京五輪とも大きな関係がある。それまで原宿駅南側の一帯には、「ワシントンハイツ」と呼ばれる進駐軍の宿舎や兵舎が建ち並んでいた。広大なワシントンハイツは五輪開催を機に日本へ返還され、五輪会場として整備された。現在も代々木公園の一画に残る国立代々木競技場は、稀代の建築家、丹下健三が意匠設計を担当した建築物として知られる。
原宿と1964年東京五輪との関係性を感じさせるものは他にもある。原宿駅から東へ延びる表参道は、もともと明治神宮へ参拝するための道であったことが名称の由来だが、明治神宮の入口ともいうべき原宿駅前に、山手線をまたぐように五輪橋が架かっている。五輪橋には地球を模したモニュメントや五輪のレリーフなどがあり、五輪橋と1964年東京五輪の深い関係がうかがい知れる。
原宿駅の北側へ足を進めると、それまでのにぎわいとは一転して、静謐な空間が広がる場所に出る。固く閉ざされた扉からは、どことなく厳粛な空気が漂う。この扉の向こうに、天皇・皇族が鉄道を利用される際に使われた、通称「宮廷ホーム」がある。
通常、天皇・皇族が鉄道を利用される場合、おもに東京駅が使われる。原宿駅の「宮廷ホーム」は大正時代に設置されたが、大正天皇が病状を悪化させていたことから、人目をはばかって乗車できるように配慮され、原宿駅の片隅にホームが設置されたという。現在、一般の人は「宮廷ホーム」に入れないが、過去には「宮廷ホーム」で新型車両のお披露目会などが開催されたこともある。2016年には、原宿駅の開業110周年記念イベントの一環で、「宮廷ホーム」が一般に公開された。
「宮廷ホーム」へ続く道路は、「お召し列車通り」という名称が付けられている。お召し列車とは「天皇陛下および皇后、皇太后がご利用になるために運行される専用の列車」のことをいい、まさに「宮廷ホーム」が立地する通りの名前にふさわしい。かつては「お召し列車通り」を冠したマンションやビルも近隣にあったが、近年は「宮廷ホーム」が使用されていないこともあってか、「お召し列車通り」の名前も忘れられつつある。
「宮廷ホーム」から東へ足を進めると、東郷神社の北参道入口が見えてくる。東郷神社は明治期に元帥として活躍した東郷平八郎を祀る神社で、明治神宮とともに原宿駅界隈の伝統を感じられる憩いの地として親しまれている。
1964年東京五輪と縁の深い原宿だが、2020年東京五輪(開催は2021年)を前に、原宿駅で改良工事が行われ、2020年から新駅舎が供用開始となった。ガラス張りの未来的な外観の駅舎となり、駅構内も混雑緩和のため、スムーズな動線へと改められている。
一方、旧駅舎は明治神宮という鎮守の杜とも調和するハーフティンバーの洋風建築で、都内では最古の木造駅舎として親しまれた。しかし、現代の防火基準を満たしていなかったため、全面的に建て替えられることになった。JR東日本はできるだけ旧駅舎の部材を用い、往時の姿へと復原する方針を明らかにしている。
伝統ある旧駅舎が解体されてしまったことは残念だが、神社仏閣が点在する伝統の地であり、若者が闊歩する街でもある原宿が、21世紀に入っても新たな流行の担い手として、大きな存在感を示していることは注目に値する。ここから次世代の文化が生み出されることを期待したい。