今回は「崇拝」という言葉の意味や、似た言葉との違いはもちろんのこと、例文や類義語、英語表現までまとめてくわしくご紹介します。
「崇拝」には「尊敬」や「傾倒」、「信仰」などの似たような言葉がありますが、それぞれ言葉のニュアンスが少しずつ異なります。みなさんもこの機会に「崇拝」のニュアンスを理解して、シチュエーションに応じて「尊敬」や「傾倒」、「信仰」と使い分けられるようにしましょう。
「崇拝」とは
「崇拝」という言葉を見て初めに連想されるのは「宗教」や「神様」、「信者」のような言葉かもしれません。「崇拝」は、神様や祖先、敬服する人(自分よりも高い身分の人や高い位にいると感じている人)に対する行為です。
ここでは、「崇拝」という言葉の意味や読み方、似た言葉とのニュアンスの違いや使い分け、そして「崇拝」を使った四字熟語についてくわしくご紹介していきます。
「崇拝」の意味は? なんと読む?
「崇拝」は「すうはい」と読みます。一般的には「憧れの気持ちがある人を心の底から敬うこと(あがめること)」といった意味を持つ言葉です。
「崇拝」の漢字を2つに分解して考えてみると、「崇拝」の「崇」には、「気高く尊い(たっとい)、あがめる」という意味があります。また、「拝」は「神仏をおがんだり、敬意を抱きながら見たりすること」といった意味を持っています。この2つの漢字をあわせて「神仏をあがめたり、おがんだりすること」という意味になります。
また、キリスト教やイスラム教などの宗教において、行動や言葉、思考などで神聖なるものに自身の全てを捧げる(委ねる)と告白することとされています。
キリスト教のカトリックを例に挙げて考えてみると、「崇拝」に値するのは創造主である全知全能の神のみで、神以外の人やものには、「崇敬」(=あがめ、敬うこと。意味は「崇拝」と同じですが、あがめる気持ちは崇拝よりもやや低めです。)という言葉を用いて、あがめる気持ちに差をつけています。
ちなみにカトリックでは、神様が一番とされているものの、その神様を産んだ聖母マリアさまに対しては、神様の次に特別な存在としてあがめられているため、他の人と区別した特別な崇敬が捧げられています。
「信仰」との違いは?
「崇拝」と「信仰」はどちらも、宗教や神仏に関係する言葉として同じくくりに含まれる言葉ですが、「崇拝」は「神や尊敬する人をあがめたり、おがんだりすること、また、そのような人や神を尊いものとして大切に扱うこと」なのに対して、「信仰」には「神仏を信じてあがめること、特定の対象を絶対のものとして信じて疑わないこと」といった意味があります。
「崇拝」は、心の底から誰かをあがめたり、価値を重んじたりする状態を表しているといえます。一方で「信仰」は相手を「強く信じ疑っていないこと」が強調されている言葉になります。
「尊敬」との違いは?
「崇拝」と「尊敬」は、上述した「崇拝」と「崇敬」の関係と同様に、同じような意味を持つものの、尊敬する相手の立場や位が違う際に使い分けされます。
「崇拝」は神や仏、心の底から尊敬する人に対して尊いものとしてあがめている状態ですが、「尊敬」は、優秀な人や模範となるような人に感心し、敬うことです。
「崇拝」が相手に対して最高峰の敬意を払っているのに対して、「尊敬」は、両親や先生、身近にいる大人や同い年の友達であっても、自分がすごいと思う人であれば誰でも、「尊敬」の対象になるという違いがあります。
「傾倒」との違いは?
「崇拝」と「傾倒」も、相手や物事に対して抱いている気持ちを表す言葉であるということには変わりありませんが、「傾倒」は、「人や物事に対して夢中になる」という要素が強い言葉です。
また、「崇拝」は上記で述べた「崇敬」や「尊敬」のように、相手を敬う気持ちがあるからこそできることです。「傾倒すること」はなにかに夢中になること、と説明できます。
「崇拝」を使った四字熟語
続いては、「崇拝」を使った四字熟語をご紹介します。「崇拝」を使った四字熟語としては、「祖先崇拝」や「偶像崇拝」などが挙げられます。
「祖先崇拝」は、「先祖に対して敬意を持ってあがめ、加護をお祈りする」という意味の四字熟語です。2つ目の「偶像崇拝」は、「神仏以外の人や偶像などを絶対的なものをしてあがめ拝むこと」です。
「崇拝」は、対象となる人やものを心の底から拝むといった最大級の敬意を表す言葉なので、「祖先崇拝」や「偶像崇拝」のように、神様や天にいる人、目では見えない神様を形取った偶像などに使うことが一般的です。有名人のような「(神仏と比べたら普通の)人」に対して「崇拝している」と使うこともできます。
「崇拝」の類義語
上記で、「崇拝」、「信仰」、「崇敬」、「尊敬」、「傾倒」など、同じような場面で使える言葉でありながら、それぞれ少しずつニュアンスが違う言葉をご紹介しました。ここではさらに「崇拝」の類義語として使用できる言葉をご紹介します。
「崇拝」の類義語としては、「盲信する」、「心酔する」、「狂信する」、「信服する」などがあります。
盲信する
「盲信する」とは、「わけもわからずに、ただひたすら信じること、軽々しく信じてしまうこと」です。「崇拝」との違いは、「崇拝」は敬う相手をわけがわからずに信じるということはないため、自分の信念や意志を持ってあがめているという点です。信じるきっかけは違えども、その後の対象に対して信じて疑わない気持ちや一心にあがめるという点では似ているといえます。
心酔する
2つ目の「心酔する」とは、「ある物事に対して熱中すること、夢中になること」をいいます。ある物事に対しての強い気持ちは「崇拝」と同様ですが、どちらかというと、「傾倒」と同じような意味で使うことができます。
狂信する
3つ目の「狂信する」とは、「平常心や理性を欠いてある物事を無批判に信じること」です。対象物に対してひたすらに信じてあがめるというところでは、「崇拝」と似ていますが、「崇拝」には、平常心や理性を欠いている状況であるという意味は含まれていません。
心服する
4つ目の「心服する」は、「心から尊敬しており、喜んで従うこと」という意味の言葉です。神様以外にも、師匠に対して抱く感情でもあります。
「崇拝する」の英語表現
「崇拝する」の英語表現は、「admiration」「adoration」「worship」などです。「崇拝する」という言葉単体で使用する場合は、「admiration」「adoration」を、「偶像崇拝」や「祖先崇拝」、「英雄崇拝」などの四字熟語でいいたい場合は、「worship」を使用して表現することができます。
「崇拝」の使い方・例文
ここでは、以下の例文から「崇拝」の使い方をご紹介します。
1. 彼は、キリスト教の神を崇拝している。
2. 彼女は会社の社長を崇拝しているため、なんでもいわれた通りにしている。
3. あの宗教は崇拝者がたくさんいる。
「崇拝」と、ニュアンスが若干異なる言葉がたくさんあります
「崇拝」とは、「ある人やある物事をあがめ、心から敬服すること」です。「崇敬」や「尊敬」は「崇拝」と似た意味を持っているものの、相手の立場や位が違う言葉です。また、「信仰」や「傾倒」、「心酔」のようにある対象物をひたすら信じて夢中になっている状態を表す言葉もあります。どれも「崇拝」と似ている言葉ですが、少しずつニュアンスが異なる言葉です。みなさんもシチュエーションによって的確な言葉を選べるようにしましょう。