「三顧(さんこ)の礼」とは、優秀・有能な人を手厚い礼儀で出迎えることを意味します。優秀でも特に肩書きを持たない人を、高い地位の人や大きな組織が頭を下げて来てもらうような場合に使います。
「三顧の礼」は中国の武将である劉備が、隠棲していた諸葛孔明の下を三度にわたって訪れたという出来事に由来する故事成語です。本記事では「三顧の礼」の詳しい由来や意味と使い方、類語、対義語と一緒に、今でも使われる「三国志」由来の故事成語をわかりやすく紹介します。
「三顧の礼」とは?
最初に「三顧の礼」の意味や由来を整理しておきましょう。
「三顧の礼」の読み方と意味
「三顧の礼」は「さんこのれい」と読みます。「三顧之礼」と書いて四字熟語として紹介されている場合もあります。「三顧の礼」の基本的な意味は以下のようになります。
真心から礼儀を尽くして、すぐれた人材を招くこと。また、目上の人が、ある人物を信任して手厚く迎えること。
(三省堂「新明解四字熟語辞典」より引用)
「顧」とは?
「顧」は通常は「かえりみる」という意味が中心ですが、ここでは「訪れる」という意味で使用されています。
「三顧の礼」の由来
「三顧の礼」とは三国志に由来する言葉です。
三国志とは、劉備(りゅうび)が蜀という国を興し、覇権を拡大しようとする物語です。劉備は優秀な軍師を求めて田舎に隠棲していた諸葛孔明のもとを訪れました。孔明に会えなかった劉備は再訪を重ね、三度目にやっと会うことができました。
このエピソードは後に諸葛孔明自身の手による「前出師表(ぜんすいしのひょう)」という書物に残っています。漢王朝の血を引く劉備が、無名で年も若い自分のところにわざわざ三度も足を運んでくれた、と感謝を込めて振り返っています。
カードゲーム (MTG) での「三顧の礼」
三国志の物語は中国や日本だけでなく世界中で人気があり、映画や小説、ゲーム、コミックでも繰り返し描かれています。全世界で2000万人を超えるファンを有するトレーディングカードゲーム「マジック・ザ・ギャザリング (MTG)」の中にも「三国志」のセットがあり、「三顧の礼 (Three Visits)」のカードもあります。
「三国志」に出てくる故事成語
「三国志」や「三国志」を元に書かれた歴史小説「三国志演義」は、古くから人気があり、「三国志」に由来する故事成語もたくさん残っています。その中から有名なものをいくつか紹介します。
「水魚の交わり」
「水魚(すいぎょ)の交わり」とは、魚が生きるには水が必要なように、切り離せない親密な関係を意味します。
三国志の中では、「三顧の礼」に続いて出てくるエピソードです。諸葛孔明を迎え入れた劉備は手厚くもてなします。その様子に不満を抱いたのは、長年劉備を懸命に支え、苦労を共にした関羽や張飛でした。抗議する2人に、劉備は「自分にとって孔明は魚に水があるようなものなのだ(切っても切り離せない関係なのだ)」と理解を求めたのでした。
その故事から「水魚の交わり」は、切っても切り離せない関係をさす言葉として使われるようになりました。
「画餅に帰す」
「画餅(がべい)に帰す」とは、絵にかいた餅になる、という意味で、食べられないことから、考えていたことや計画したことが、役に立たなくなってしまった、という意味です。
三国志の中では、魏の初代皇帝である文帝の言葉として登場します。文帝は、人材を選ぶ場合は、世の中の評判だけを頼りに人を選んではならない、「世評というのは地面に描いた餅のようなものだ。実際には何の役にも立たない」と言いました。その故事から、計画しただけで実行できなくなったことを「画餅に帰した」と言うようになりました。「絵にかいた餅」も同じ意味の言葉です。
「泣いて馬謖を斬る」
「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」とは、全体の決まりごとや秩序を守るために、私情を捨て、部下を処罰する、という意味の言葉です。
諸葛孔明が魏と戦っていた時、腹心の部下である馬謖が、孔明の命令に背いて独断で行動し、大敗します。孔明は軍規に従って馬謖を処刑しました。その故事から、規律の違反者に対しては、個人的な気持ちを捨てて厳しくあたる人や場面に対して使われるようになりました、
「死せる孔明生ける仲達を走らす」
「死せる孔明(こうめい)生ける仲達(ちゅうたつ)を走らす」とは、偉大な人は死後も生前の威光が残っていて、人々を畏怖させる、という意味の言葉です。
諸葛孔明は、魏の司馬仲達と戦っている最中に病死します。孔明の遺言で蜀の全軍は退却します。孔明の死を聞いた仲達はすぐに追撃を開始しますが、蜀軍が反撃の構えを見せたので、仲達は「死の知らせは孔明の策略にちがいない」と追撃せず、退却しました。それを知った人々は「死んだ孔明を恐れ、生きている仲達は逃げ出した」と言いました。その故事から、死後も残る大きな影響力を恐れて何もできないでいる人や場面に対して使われるようになりました。
「三顧の礼」の類語
「三顧の礼」とよく似た意味の四字熟語に、「三徴七辟」「草廬三顧」という言葉があります。
「三徴七辟(さんちょうしちへき)」
「礼儀を尽くして優秀な人材を招くこと」という意味です。「目上の者がある人物を手厚く迎えること」という意味で、「三顧の礼」と同様に使います。
「草廬三顧(そうろさんこ)」
「優秀な人材を獲得するためには、礼儀と処遇が必要である」という意味の言葉です。「三顧の礼」において、劉備が諸葛孔明の暮らす草廬(庵)を三度訪ねたということから使われるようになりました。
「三拝九拝(さんぱいきゅうはい)」
「三拝九拝」の「拝」とは「おがむ」という意味です。何度も何度も頭を下げて頼むことを言います。「三顧の礼」と同様、お願いする時の表現ですが、身分が上の人にも使います。
「三顧の礼」の対義語
相手に丁寧にお願いする「三顧の礼」に対し、反対の意味を持つ「傲岸不遜」と「慇懃無礼」の2つの語を紹介します。
「傲岸不遜(ごうがんふそん)」
「傲岸」とはおごりたかぶっていること、「不遜」とは横柄なことから「傲岸不遜」とは威張って人を見下す様子や態度を表します。目下にあたる人にも丁寧に頼む「三顧の礼」とは対極にある言葉です。
「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」
「慇懃」とはきわめて丁寧なこと、「無礼」とは礼儀を欠いていることから「慇懃無礼」とは、丁寧過ぎて、かえって相手にとっては失礼になる場合や、表面的にはこの上なく丁寧なのに、内心では人を見下している場合をさします。目上に対しても目下に対しても使われます。
「三顧の礼」の例文と使い方
「三顧の礼」の例文を見ながら、実際の使い方を見ていきましょう。
〇〇さんは社長が三顧の礼で顧問にお迎えした方だから、年は若くても丁寧に接してください
「三顧の礼」は目上の人が、わざわざ礼を尽くして依頼する、という含意があります。そのため「三顧の礼で」を付け加えることで、依頼される人の重要度が一層際立ちます。
~の分野では世界的権威の〇〇博士を三顧の礼で研究顧問にお迎えした
「三顧の礼」を、世評の高い人や功績がある人に対して使うのは、言葉本来の意味から考えると不適切です。このような場合は「三拝九拝して」だと違和感がありません。
優秀な人材は組織の宝、「三顧の礼」の故事を忘れないようにしよう
「三顧の礼」とは、目上の人がある人物を見込んで仕事を頼んだり、組織に迎え入れたりする時に使います。社長や組織の長にある人が、部下や一般人に対する場合の表現なので、使う場合は双方の関係性に気を付けましょう。
「三顧の礼」は「三国志」の故事に由来します。二千年近い時を経て今日でも残っているのは、地位のある人や大きな組織が、能力のある人を地位や身分に依らず高く遇してきたからに他なりません。
「三国志」や「三国志演義」には「三顧の礼」や「水魚の交わり」のように、人の思いや行動をいきいきと伝えるエピソードが数多く盛り込まれています。そうしたエピソードを端的に表現した故事成語は、今に生きる私たちに重要な示唆を与えてくれますね。