体操男子で五輪個人総合2連覇などを成し遂げた内村航平(ジョイカルジャパン)が14日、都内ホテルで引退会見を行い、これまでの体操人生を振り返った。

  • 内村航平

“絶対王者”とも言われるほど輝かしい成績を残してきた内村だが、自身の体操人生について「実績だけでいうと結果はかなり残せたかなとは思うんですけど、今振り返ると、まだまだやれたな、あのときああしておけばよかったなとすごく思うので、本当に自分の競技人生に満足できているかというとそうではないかなと思います。まだまだあのときもっとやれただろってすごく思います」と語った。

最もこだわってきた誇れるものは「着地」とのこと。「全種目そこはこだわって、世界チャンピオンとして、オリンピックチャンピオンとして、着地を止めるというのは当たり前のことだと思ってやってきた」と述べ、「世界選手権の最後も、どういう演技でもいいので着地は絶対に止めてやろうという気持ちでやれた。そこが自分がこだわりを持ってやってきたのと、最後の意地を見せられたという思いがあるので、着地を止めているという印象を皆さんもお持ちだと思うし、僕自身もそこを追い求めてやってきたので、そこかなと思います」と語った。

体操人生で最も熱く盛り上がった瞬間を聞かれると、「2つあります。2011年、東京でやった世界選手権の個人総合決勝の全6種目と、リオオリンピックの個人総合の鉄棒ですね。それは今でも感覚とか見た視界が記憶に残っている」と2つ挙げた。

2011年の世界選手権では「今まで感じたことないくらいのゾーンを感じた」と言い、「今日は何をやってもうまくいくという感覚で目覚めて、試合が終わるまですべて自分の思い通りにいったという感覚があって、あれはもう一生出せないと感じたし、ここまで自分の思い通りにいくことはもうないかなというくらいすごい日でした」と当時の感覚を明かした。

また、オレグ・ベルニャエフと激闘を繰り広げたリオ五輪について、「リオオリンピックの鉄棒に関しては、あれだけの点数を逆転できたというのもそうなんですけど、オリンピックの体操の歴史にも残せる激闘をオレグ選手と、オリンピックの会場を2人で支配できたという雰囲気を感じられたのがすごく今でも記憶に残っている」と振り返り、「その2つは絶対に今後味わえないだろうなと感じていました」と語った。

内村は1989年1月3日生まれ、長崎県諫早市出身。オリンピック4大会(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ、2020年東京)に出場。個人総合2連覇(ロンドン、リオ)を含む7つのメダル(金3、銀4)を獲得した。