きょう27日に放送されるフジテレビ系スペシャルドラマ『志村けんとドリフの大爆笑物語』(21:00~)。昨年亡くなった志村けんさんの半生を、山田裕貴の主演で描く“ドラマ”と予告されているが、一概にそのジャンルに当てはめられない、不思議な魅力を持つ作品に仕上がった。
■“コント番組”を見ている錯覚に
物語は1968年2月、一人の青年・志村康徳(のちの志村けん/山田裕貴)が、お茶の間をにぎわせていた人気グループ、ザ・ドリフターズのリーダーであるいかりや長介(遠藤憲一)のマンションを訪ね、弟子入り志願するところから始まる。
その後、運良くドリフのボーヤ(付き人)になった志村だが、待ち受けていたのは数々の挫折と苦悩。過酷すぎるスケジュールとお笑いに人生を捧げる、志村にとって想像を絶する日々とは――。
こうして物語が進む中で、「威勢のいい風呂屋」「ひげダンス」といったドリフの名コントのシーンが登場。これが、あまりにも“本気”なのだ。
従来あったコメディアン・芸人の半生を描くドラマなら、あくまで人生のストーリーを中心に構成し、コントやネタのシーンは“雰囲気”を伝える程度だった。しかし、『志村けんとドリフの大爆笑物語』は、演者のスキル、忠実に作ったセット、そして何より当時のままの長尺で、がっつりコントを見せるため、そこはコントシーンの再現を見ているのではなく、“コント番組”を見ている錯覚にとらわれる。
彼らはコントをしているのではなく、当時のやり取りを忠実に台本に起こし、それを演じているはずなのだが、相手の動作が面白くて思わず笑ってしまうなど、アドリブと思われる細かい部分まで自然に演じているので、やり取りが純粋に笑いとして成立。見ていて「このコント懐かしいなあ」と微笑ましくなるどころではなく、面白くて声を出して笑ってしまった。
特に、いかりやさんを他の4人が過剰なサービスで無理やり銭湯に入れるコント「威勢のいい風呂屋」は、されるがままのいかりやさんがどんどん体力を消耗していくが、今回のドラマでも遠藤憲一に対して他の4人が容赦なく、体を張りまくって最後はヘロヘロになった遠藤の“素”が見えるなど、このコントの面白さがきちんと映し出されている。
ドラマとドキュメンタリーを組み合わせた「ドキュメンタリードラマ」という手法は多く存在するが、今作を定義づけるジャンルを命名するなら「コント on ドラマ」といったところか。そんな不思議な構成が楽しめる作品となっている。
■志村さんのあの裏声を巧みに操る山田裕貴
コントシーン以外でも、ドリフターズ役の“憑依”ぶりが見事だ。高木ブー(加治将樹)、仲本工事(松本岳)のあの雰囲気に加え、いつも厳しい口調のいかりやさんが時折優しさをのぞかせる「◯◯しなさいよ」がサラッと出てくる遠藤。加藤茶の小気味良いテンポの語り口を取り込んだ勝地涼。そして何と言っても、志村さんのあの特徴的な裏声を巧みに操る山田。
そこまで役が体に入っているので、福田雄一監督特有の役者たちに“泳がせる”アドリブシーンにおいて、加藤&志村のあの丁々発止が存在していた。視聴する前は、本人たちとのギャップをどこまで意識せずに見られるのかという不安もあるかもしれないが、その懸念は5人が登場してすぐに払拭されるだろう。
他にも、親子や師弟の絆、随所にBGMで使用される懐かしい曲、福田組おなじみのムロツヨシの出演シーンなど、見どころが盛りだくさん。
ドラマの記者会見で、山田は「コロナで志村さんは亡くなってしまって、このコロナ禍という世界になって苦しんでいる人たちがたくさんいると思うんですけど、そういう人たちの苦しみみたいなものも、その日思いっきり笑いで吹き飛ばせるようなドラマになればいいな」と言っていたが、その願いは多くの視聴者へ届くに違いない。
そして劇中では、「下品上等、俺たちはこれからも下品で体張ったコント一本で行く。異論ないな?」といういかりやさんのセリフがあるが、この言葉は、コンプライアンスが叫ばれる昨今のテレビ界に、忘れてはいけないことを40年前から投げかけられているようにも感じた。