日本山岳・スポーツクライミング協会(JMSCA)は11月5日、東京2020大会の表彰式を都内で開催。スポーツクライミング女子複合で銀メダルを獲得した野中生萌選手、銅メダルを獲得した野口啓代さんをはじめとする日本選手団、および大会を支えたスタッフを表彰した。
現在の心境、今後の展望は?
登壇した野中選手は「新型コロナウイルスの感染拡大でオリンピックの開催が危ぶまれた時期もあり、また練習ができずに不安になる時期もありました。無事に大会が開催され、このような結果を残せたことは本当に奇跡だと思っています。たくさんのかたにご尽力いただいたことに深く感謝いたします」、野口さんは「競技人生20年間を支えてくださったJMSCAの皆さんに感謝しています。選手としては引退しましたが、これからもクライミングの普及に尽力していきます」と語った。
東京2020大会を振り返った野中選手は「大会直後は、なかなか実感が湧きませんでした。あれから3ケ月が経ち、本当にいろいろな賞をいただいて。この結果を残せて良かったという、あらためてホッとした気持ち、嬉しい気持ちでいっぱいです」と現在の心境を語った。
東京2020大会の直前には怪我もした。その回復具合については「オリンピック後の2ケ月間は右膝が気になっていましたが、クライミングをゆっくりエンジョイしながら、治療を続けてきました。最近はほとんどの動きであまり痛みを感じずに、普段通り登れるようになっています」と状態を話す。
クライミングを再開したのは、東京2020大会から10日ほど経ってから。
「フランスに渡り、セユーズの岩場を2ケ月くらい登っていました。クライミングのグレードで言えば14Cの高グレードでしたが、いつもとは違う気持ちでエンジョイできました。外の岩場で高グレードを狙ったのは、中学生の頃、アメリカのライフルという岩場で13Aを登って以来。セユーズの岩場には海外のトップ選手がたくさんおり、『生萌にはこれが良いんじゃないか』と薦めてもらったりして」と笑顔になった。
ところで、2024年開催のパリ大会ではスポーツクライミング競技のルールが変わる。東京2020大会では「スピード、ボルダリング、リード」の総合成績でメダルを競ったが、パリ大会では「ボルダリングとリード」で1種目、「スピード」で1種目に変更される。
次の大会に向けた課題について、ルール変更を踏まえ「五輪のフォーマットが変わるので、いろいろな考えがありずっと悩みましたが、戦略を変えます。東京2020大会では3種目をやってきましたが、すべての種目を高レベルで維持し続けることは難しいです。メダルを獲るには、各々を強化する必要があり、かなりの練習時間と体力が求められます。正直なところ、種目を絞って臨む選手との差を感じた場面もありました。パリ大会ではスピード専門の選手もたくさん出てくるでしょう。そこで本気でメダルを目指すなら、ボルダリングとリードかな、と思い始めました」。
東京2020大会でメダルを勝ち獲ったからこそ、次も獲りたいという気持ちが強くなってきた、と率直な心境を語った。
一方で、東京2020大会後に引退を表明した野口啓代さんは「五輪後は、メディアの仕事、クライミングの普及活動などをして、忙しく過ごしています。あれから3ケ月が経ちますが、もっと昔のことのように感じますね。最後まで諦めずに登ってメダルが獲れたことが、これからの活動にもつながったと思います。金メダルには届きませんでしたが、私の集大成となるとても良い大会でした」と振り返る。
今後については「選手とは違った観点から、いま頑張っている選手の魅力を伝えたり、もう少し落ち着いたら、クライミングを始めた子どもたちやオリンピックを目指す選手の指導したり、ゆくゆくは大会を開催したり、そんなカタチでクライミングの普及に関わっていきたいです」と野口さん。
未来の日本代表については「国内でもトップレベルを目指す選手がたくさん出てきました。皆さんが可能性を秘めている。そのなかでも今回、一緒に表彰台に立った野中生萌選手を筆頭に、森秋彩ちゃんだったり、伊藤ふたばちゃんだったり、後に続く子たちが出てきている。これからどのような成長を見せてくれるのか、すごく楽しみにしています」と語った。