ガンジーとは、歴史の教科書にも載るほど有名な人物。名前や顔写真は多くの人が知っていますが、具体的にどのような功績を残した人なのかを知らない人もいるのではないでしょうか。
この記事ではガンジーが指揮した非暴力・不服従運動についてくわしくご紹介。ガンジーの名言なども紹介します。
ガンジーとは
ガンジーは、「偉大なる魂」という意味の「マハトマ」を付けて、マハトマ・ガンジーという尊称で呼ばれています。正式な名前はモハンダス・カラムチャンド・ガンジーと言います。
ガンジーの生涯とは
ガンジーは1869年にインドのグジャラートに生まれます。青年期にロンドンに留学し、帰国後に弁護士を開業しました。その後、弁護士として南アフリカへ渡り、約20年間を過ごします。その中でインド人に対する人種差別や迫害を、身をもって体験します。
ガンジーは1915年に南アフリカからインドへ帰国。インド国民会議に加わり、反英独立運動に参加します。ガンジーは幾度も投獄されましたが、インド人の人権を守るためにサティヤーグラハ(非暴力抵抗運動)を展開し、完全独立の実現のために献身しました。1947年のイギリスからの独立には、こうしたガンジーの功績が大きな影響を与えています。
ガンジーは分断が広がるヒンズー教とイスラム教の融和を唱え続けましたが、それはかなわず、独立から間もない1948年に狂信的なヒンズー教徒によって暗殺されました。
ガンジーの非暴力・不服従運動とは
ガンジーが貫いたのは非暴力・不服従運動でした。サティヤーグラハとも言い、代表的なものに塩の行進があります。非暴力・不服従運動は武力で勝利を得ようとするものではなく、具体的には法令に従わない、ストライキをするなどの手段で政府に抵抗し、世の中の不条理を訴えて自分たちの主張を認めさせようとするものでした。
非暴力・不服従運動は1919年に制定されたローラット法へ抵抗した第1次(1919~1922年)と、塩の行進が行われた第2次(1930~1934年)に分けられます。
ローラット法とは
1919年、イギリスによって制定された治安維持法で、イギリス人の総督の名前をとってローラット法を名付けられました。これはインド人を逮捕状なしに逮捕したり、裁判なしに投獄したりできるようにするというものでした。
ガンジーは、ローラット法はインド人の人権が踏みにじるものだと抵抗し、非暴力・不服従による抗議運動を展開しました。
塩の行進とは
1930年、イギリスによる塩の専売にガンジーが反対して行った抗議運動を塩の行進といいます。当時、イギリス政府によって高い税金が課せられていた塩を、インド人が自由に製造・販売できるように訴えるもので、ガンジーらは360kmの距離を行進し、ダンディ海岸で塩づくりを行いました。
行進の途中では、たくさんの人々が運動に加わり、ガンジーによる非暴力・不服従運動は大きな高まりを見せました。
スワデーシ(国産品愛用運動)とは
スワデーシは国産品愛用運動を指し、1906年にインド国民会議がイギリスのベンガル分割令に反対するものとして広まったものです。ベンガル分割令とは、イギリスがインドのベンガル地方を東西に分け、ヒンズー教徒とイスラム教徒を分割することで、反英運動を抑制しようとしたものでした。
スワデーシとは、綿布に代表されるイギリス製品を買わず、インド人が自ら作った製品を推奨するというものでした。
チャルカー(糸車)運動とは
チャルカ―運動もスワデーシの1つで、布製品における国産品愛用の運動のことをいいます。チャルカ―とは、綿花やまゆ、羊毛から糸を紡ぎだすのに使う手動の糸車のことです
チャルカーで綿糸を紡ぎ、布を織りあげるのはインドの農村において重要な家内工業でしたが、イギリスからの安価な綿布が大量にインドに入ってきたことから、こうした農村の工業は衰退し、農民は貧困に 陥っていました。
ガンジーはいま一度、チャルカーによる農村の工業を復活させ、インド人が自分たちで布を織って着物を作り、身に付けることを提唱しました。このようなチャルカー運動は、ガンジーのスワデーシ運動の象徴とされています。
ガンジーの名言
インド独立運動の指導者として、マハトマ(偉大な魂)と尊敬されたガンジーは、多くの名言を残しています。ガンジーが残したとされる名言を紹介します。
「人類への信頼を失ってはいけない。人類は海だ。海の水が数滴汚れていても、海が汚れるわけではない」
暗殺される数か月前、ガンジーが秘書にあてた手紙に書いた一節といわれています。
「自らの分別を信用し過ぎるのは愚かだ。強き者も弱くなる、賢き者も過ちを犯すと心に留めておくことが健全だ」
これはガンジーが立ち上げた新聞「Harijan」に、1940年に掲載された言葉だとされています。国民的な指導者としてだったガンジーですが、自分の立場におごることなく謙虚な姿勢でいたことが想像できます
「わたしが非暴力を誓うのは、それが唯一、来世だけでなく今世においても、人類の至高善をもたらすと分かっているからだ。わたしが暴力に反対するのは、それが良いことに見えても、一時的なものに過ぎず、その悪こそが不変だからだ」
1925年、ガンジーが自分で発行していた「Young India」という週刊誌の中の言葉。ガンジーの非暴力に対する考え方や信念がうかがえます。
「女性を弱いと呼ぶのは中傷だ。これは女性に対する男性の不正だ。強さが肉体的な強さを意味するなら、確かに女性は男性より弱い。だが、強さが精神的な力を意味するなら、女性は男性より計り知れないほど優れている」
こちらも「Young India」にガンジーが書いた言葉です。ガンジーはインドの独立運動において、女性の参加を支持していました。
ガンジーの映画
ガンジーの生涯を追った映画として有名なものに、1983年に公開された「ガンジー」という作品があります。リチャード・アッテンボロー監督による作品で、第55回のアカデミー賞では作品賞などの8つ受賞しました。ガンジー役のベン・キングズレーが、ガンジーの姿や仕草までを見事に再現したことも大きな評価を受けました。
ガンジーについてくわしく知ろう
ガンジーの生涯や、塩の行進、スワデーシ運動などといった非暴力・不服従運動などを見てきました。ガンジーはインド人の指導者として、インド人の人権を主張し、イギリスからの完全独立に大きく貢献した人物です。
人々を勇気づける言葉も多く残し、今もその名言は取り上げられています。世界史の重要人物として欠かせないガンジー。少しでも興味を持たれた方は、映画などでもっと深く迫ってみてはいかがでしょうか。